直木賞受賞作
第2回(昭和10年下半期)受賞

吉野朝太平記

鷲尾雨工

第一巻 昭和10年7月・春秋社刊、松柏館発売




師直もろなお放縦ほうしょう

「うふゝゝ、ういやつだ」
 そう呟きつゝ、高師直こうのもろなおは、几帳きちょうのかげから現われた。
 白絹の布帛きれで、濃い胸毛の、ふとく縮れたのにたまった汗のたまをぬぐいながら、つりあげてある半蔀はんしとみの下まで出て、熱ぼったい息をあらく吐きだしてから、ふかぶかと外気を吸ってほゝえんだ。
 庭苑にわは桜花の夕ぐれだった。
 西の対屋のろうてすりに、寵愛の側室そばめ──側室には違いないが、二条関白の妹姫だから、実にやんごとない高貴な身分なのである。だが師直の愛子五郎丸を心ならずも産まなければならなかった──その二条御前ごぜんづきの女房たちのもたれているのが、花の隙間すきまに、おぼろに見えた。
 師直は、
小渚おなぎさ──」
 と、女の名を呼んだが、答えがなかった。
 几帳のかげでは、小渚が装おいをなおしているらしく、うちぎのすそが、ほの暗い中でゆらいだ。
「どうじゃな、三位卿よりも頼もしくはないか?」
 師直は、脂ぎった鼻と、厚い唇をゆがめた。小渚は、文章博士もんじょうはかせ、日野三位行氏ゆきうじ卿の愛妾だった。
「これさ、もはや恥じろうにも及ぶまいに、さあ出てまいれ」
 ほうも、表袴うわばかまも、ぬぎすてて、下がさねの襟をはだけ、ながい石帯しゃくたいと、金蒔絵の太刀とを、床にほうりだして──。でも、頭には、巻纓まきふさ老懸おいかけをかぶったまゝの師直であった。
 きょうは、洛西の天竜寺に、持明院法皇じみょういんほうおうが、嵐山の花をみそなわした。師直は、それに扈従こじゅうし奉った供奉ぐぶの正装を、ふだんの狩衣かりぎぬに着かえる暇さえ惜しむほどに、あわたゞしく、こゝ一条今出川の、自分のやかたの東対屋の一間へ、女をひき入れたのであった。
「小渚。まいれと申すに」
 ふたゝび呼ばれて、女は羞恥しゅうちをおびつゝ、師直のそばへ歩みよった。その柔かな手くびを、ぎゅっとらえて、
「約束の品々を、とらすぞよ」
 そういって師直は、あかあかともうのはいった別室へ、小渚をつれてゆくと、
「おゝ!」
 おもわず驚きの目をみはったのも道理、台のうえにうず高く、まばゆいほどに見事な錦のあやが、女人のこころを惑わさずにはおかぬような絢爛けんらんさを、きらめかしつゝ積みかさねられてあったのだ。
「なんとまあ、あでやかな綾錦あやにしき!」
 手を、胸に──。動悸どうきをおさえて、
「あの──これを?」
つかわすのじゃ」
「くださる? くださるのでございまするか?」
「そのつゝみも取らすぞ。こなたの台の上のだ。それをあけてみい」
 高脚の台のうえには、縫箔ぬいはくの布づつみが載っていた。
 なかばは夢心地で小渚が、つゝみをとくと、なかは、燦然さんぜんとかゞやく砂黄金すなこがね──。
「あっ!」
 あぶなく倒れかけて、ようやくひじで、からだをさゝえた小渚であった。目をつぶって、ひたいには八の字を刻んで、たしなみも、すっかり忘れて、あえいだ。
「なんと、嬉しかろう? 師直は、いつわりは申さぬぞ。遣わすと云ったら、かならず遣わす」
 と、こだわりなげに笑って、
「首尾よく、三位卿ときたかたに因果をふくめて──納得なっとくをさせて、梅枝うめがえとかをおとりにつかって、吉野の宮居みやいから、このわしの、首ったけの──な、あらん限りの財宝にかえてもと──それほどに想いこがれているあの美女たおやめを、まんまとおびきだしたなら、ふゝゝゝ──」
 目尻に、卑猥ひわいしわを、ふかぶかと寄せて、
「このふところに、しっぽりと、かいいだかせてくれさえすれば、成就じょうじゅの謝礼には、どんな褒美でも、およそ望みのまゝであろうぞ。なんの、これしきの、当座とうざの引出物は、ほんの手附てつけだ。ふとした出来心から、そなたをもせがんだ、そのむくいは、また何ぞ別に考えよう。わしは女に、物吝ものおしみはせん」
 四十代を、なかば過ぎたとは思われない師直の、さかんなあから顔を、いかにも霊験れいけんのあらたかな、福運の神でも仰ぐような気持で、小渚は見あげた。
「きっと頼んだぞ」
「はい」
 女の肩に、大きなたなごころをかけて、片手が、黒髪をなでた。
「立ち戻って、申すべき筋道は、忘れはしまいな? 先刻いゝ聞かせたとおり──よいか?」
「はい」
「師直に逆らわば、誰であろうと容赦ようしゃはせぬぞ。顔世かおよを出し渋ったために、身をほろぼしたのが塩谷えんや判官ほうがんだ。かんがみていましむべき前例だぞ。くつがえった車のわだちは、心して踏まぬようにと──まずきたかたに申せ」
「はい」
「わしの所望に、かぶりをふった菅宰相かんさいしょうも──なんぼ菅原道実すがわらみちざねの子孫であろうと、いかに北野の長者であろうと、な、あの最後じゃ。公卿くぎょうでも、殿上人でも、この師直に睨まれたら、いのちはなかろうと、三位卿を、おどかすのじゃ」
「はい」
 さすがに怖気おじけだちながらも、小渚が、
「わたくしに叶いまするかぎりは──」
 と、答えたとき、襖へだてた彼方かなたの廊で、
「師直、師直」
 と呼ぶ、従弟の、播磨守師冬もろふゆの声がきこえた。

 頭にだけ、勿体もったいらしく老懸おいかけをつけた、変妙な姿が目に入ると、
「な、なんでござるらちもない、その風態なりは!」
 師冬が、いらだった声で、とがめた。
 だが、みだらなかたちを、一向はじる気色けしきもなしに、師直は落着きはらって、
「用か?」
「師直」
 あきれた眼で師冬は、従兄と、ついぞ見知らぬ女とを、見くらべて、太い眉をぴくぴくとしかめた。
 すでに膏肓こうこうに入った悪癖ではあるし、師直ほどではなくても、師泰もろやすも、師秋もろあきも、また師冬自身にしても、決して女あさりは嫌いどころか、こうの一家一族は、その道の達者ぞろいなのだが、いま、容易ならぬ噂を、聞きこんで駆けつけただけに、腹にすえかねた思いで、
「一大事が、起りかけておる」
 と、叩きつけるようにいうと、
「ふうむ、一大事がの」
 師直は、まるで他人ひとごとらしく呟いた。そして手を伸ばして、小渚が躰をさがらせていたのを、またも身近に引きよせて、
「あれ、武州ぶしゅうさま!」
 と小声でこばむのを、小脇にかゝえて、白い頬にほつれるびんの毛を、まさぐった。
「女を、女をはなたれい」
「大切な女だ。感心な心がけの者だぞ。ぬしがせくなら、こゝで聞こうではないか。かまわん、申せ」
「細川、畠山、石堂、吉良きらなど、十五六人の大名らが集っている」
 師冬が、ひげのあついあごを、つきだすと、
「上杉の屋敷にか?」
「おう、御存じかもはや?」
「いや、知らん。話せ」
「上杉も、今日という今日は、堪忍袋かんにんぶくろの緒をきらしたと見える」
連判れんばんでも、つくろうというのか?」
「お身の、毒舌どくぜつのたゝりだ。のどかなるべきお花見の御遊ぎょゆうに、月卿雲客げっけいうんかくのつらなる前で、あのように完膚かんぷなきまでに、のゝしられては上杉とて、無念骨髄むねんこつずい、つね日ごろお身をうらむ宗徒むねとの大名らを鳩合きゅうごうして、下御所しもごしょ弾劾だんがいの決議をつきつけるかも知れぬ。いや、きっとそういたすであろう。下御所にとっても、お身は目の上のこぶじゃ。うっとうしゅうて、こらえかねてござるぞ」
 下御所というのは、足利将軍尊氏たかうじの弟、直義ただよしのことである。
「ふゝゝゝ!」
 と、師直は、あざけり笑って、
「連判に、頭かずがそろわば、わしの地位、あやうしとぬしは申すのか」
「それはお身への、将軍の御信頼を疑いはせぬが─」
「なら、案ずるな。執事しつじの権能を、わしからうばう力が、直義どのにあるものか」
 執事というと、名は軽そうにきこえるが、実は将軍の代理者ともいえる権力を、がっちり握っていた師直であった。だから天下の副将軍とあがめられる直義にたいしてさえ、一歩もゆずろうとはしなかった。
「しかし──」
 と、師冬は、頭を横にゆすって、
「国々に、戦雲うごきつゝある時ならばいざ知らず、吉野がたの、おもなる大名小名が、なかばはほろび、のこるは屏息へいそく、意気なえて、康永こうえいこのかた、すでに五年の泰平つゞきだ。それゆえ、わしらの武力も、ひところほどにははばがきかぬ。世がおだやかでは、弱いやからの、人なみづらが通る。われわれこうの、兄弟従兄弟いとこが、いかに戦ったかを、彼等はわすれて、たゞたゞお身の、権勢と、とみを、にくみ、うらやんでいる。しかるにお身は、強気つよき自儘三昧じまゝざんまい──認識をかいた豪奢のたらだら」
「はゝ、なにがたらだら」
「美邸に住むもよし、美女を蓄うるもあながち悪しくはなけれど、ほど、ほどがござろうぞ」
「いうな。おことまでが──」
「いや申す!」
 百戦不撓ふとう双肩もろがたを、ぐいとそびやかして、
「かくいう師冬、そもそもこのやかたが気に入らん」
「さようか。だが、わしには、かなり住み心地がよい。雑賀石さいがいしの巨大なのを運ばせて、築山には、宇津の峠のおもむきをかたどったし、泉水には、難波なにわあしのながめをうつしたでの」
「そ、それがよくない。悪うござる」
普請ふしんにも、念を入れたぞよ。寝殿しんでん対屋たいのや──泉殿いずみどのから渡殿わたどのまわり──」
「武州っ!」
 と、師冬はさえぎって、
「武弁武士の棲家すみかには、とんと似合わぬ構えじゃ。身どもが気にくわんと申すのを、ふにおちぬげなしらじらしさが、よけい面白うござらん。将軍家の土御門つちみかど東洞院御所をも、はるかにしのぐ結構ずくめは、ぶんをわすれた贅沢ぜいたくだ。栄燿えようだ。あの唐門からもんのきらびやかさは、だいそれた潜上せんじょうだ、下剋上げこくじょうだ。そしられても弁疏べんそことばはござるまいぞ」
「あるある」
「え、なんと?」
威圧いあつのためじゃ」
 せまらぬ声で、師直は、おゝどかに答えつゝ、女の黒髪の下で、頸窩ぼんのくぼをいろうた。
「あァれ殿、殿──」
 小渚が身をくねらせた。

「のみならず」
 と、師冬は、ふたゝび肩を、そばだてゝ、
さきの関白、二条公の姫ぎみを、掠奪りゃくだつもひとしい手段でねやにいれたのを手はじめに、眉目みめうるわしとあれば、見さかいもなく、およそ東武士あずまぶしとはつり合わぬ雲上、高貴の女性をもてあそばるゝは、お身の病いだ。師直、御辺ごへんの、うりょうべき病患びょうかんじゃ」
 はげしい語気を、やはり軽く、
「ちがう、違う」
 受け流して、膝のうえでもがく女を、抱きすくめながら、師直が、
「それも、これもだ──」
 と、てらてら脂肪しぼうびかりのする自分の顔を、そむける女の頬さきへ、もって行って、
「みんな、武将の威光というものを、かゞやかすのに役立つのじゃよ、あやかれ、あやかれ」
 臆面おくめんなしの頬ずりに、師冬は、むかむかとなって、
「つ、つける薬がないっ!」
 たちかけると、
「まて。わしの薬味やくみの、処方だけきいてゆけ。播磨はりま、──末法堕落まっぽうだらくのいまの世に、なまじいな説法やおきてで、人の統治がつくと思うか? せんずるところ実力で、否応いやおうなしにおしつけるおしの一手じゃ」
「ほう! 色におぼれ、栄華をすごすのが、世を治むる秘訣おくのてとは! なるほど、こりゃおしの一手かしれぬて」
 師冬が、皮肉に苦笑にがわらいしながら、座を立つと、師直はようやく真顔まがおで、
「建武のみだれは、なぜ起った? 公家くげをのさばらせては、政治はとれん。殿上人の増長によってかもされた大乱をしずめたはわしの弾圧政治だ。大塔宮だいとうのみやの御生母、民部卿三位局さんみのつぼねの旧御所を、こうして我が邸に造りかえたのも、ふかい所存があってのことだ。わしは、ことさらに身分の高い姫たちに寝屋のとぎをしいるのじゃ」
 従弟が、
(だめだ! 病いは骨がらみ──)
 そう思った時、
「見るがいゝ──」
 と、師直は、おゝきな小鼻を、うごめかして、
青公卿あおくげたちの、今日きょうびの柔順さを。あだかも猫じゃ。いまの猫ども、かつては建武の虎であったぞ」
 小渚の、ふくらかな肩が、きぬごしに、なであげ、なでおろされた。巌丈がんじょうな腕に、さっきから抱えられつゞけているのだ。
「建武の乱は──」
 師直は、従弟のひとみを、じっと見あげて、
「ひっきょう、尊氏たかうじの殿が、公家くげを甘やかしなされ過ぎたことにきざした。雲上人に、武の力を、分譲されたのが、間違いのもとだった。護良もりなが親王のおんことは、申すまでもあるまい。親房ちかふさ顕家あきいえ両卿に、奥州の軍権をにぎられたがため、わしらは長い年月、いかに苦労したか? 暦応りゃくおうのたしか元年、青野ガ原のいくさを、おぬし忘れはせぬだろう?」
 鎌倉をおとしいれて、破竹はちくのいきおいで上ってきた北畠顕家卿の大軍と、美濃の青野ガ原で戦ったのが、師冬だった。奥州鎮守府の兵は、つよかった。
「命が、危うかったではないか」
 師冬は、敗れた。そして追われた。鎮守府ちんじゅふ将軍顕家卿は、畿内きないに入った。
「わしは、安倍野と石津で、手いたい戦をしなければならなかった。あのときは、師泰もろやす師秋もろあきも、必死だったぞ」
 師直が負けたなら、京はたもてなかったにちがいない危機であった。しかし、高の主力軍と決戦した顕家卿は、武運にめぐまれずして堺浦さかいうらの、乱闘のちまたの哀れ露と消えた。
「のう師冬、その後も東国で、親房卿は、なん年おぬしを手こずらせたか──」
「昔話は、やめてほしい」
「健忘症でも、関城や、下妻しもづま城をかこんだ折に、なめた辛苦は舌のさきに、こびりついておるはずだ」
 奥州の武力が、常陸ひたちに拠った親房卿の城々を、後詰ごづめした。くすのきは、湊川に死し、新田にったは越前に斃れたが、親房卿は、その嫡男、顕家を陣沒させても、ほこをおさめようとはしなかった。師冬はさんざんもてあましたのであったが、それはもはや過去の記憶というだけのもので、いまや目前の敵はけっして南朝なんちょう方ではなくて、味方の内部に、幕府のうちにあると、そう思わずにはいられなかったので、
「もし上杉が、非常手段に訴えなば、なんとなさる? さあ、それ訊きにきたのだ」
「非常手段? ばかな!」
 膝の女を玩具おもちゃあつかいに、ぐるり向き変えらすと、うちぎの裾が床になびいた。
「あれ、ごめん遊ばして──」
 と、躰をちゞめて、小渚おなぎさがかこつと、師冬も、我慢がまんできずに、
「見苦しいっ!」
 どなったが、師直は、傍若無人ぼうじゃくぶじんだった。
「やくな、やくな」
「ちえ、れ狂う時かっ! 対策をきこう、対策を」
「上杉が、重能しげよしが──ふん!」
「そりゃ傲慢ごうまんでござるぞ、武州っ! 上杉は、将軍家の外戚がいせきだ」
「人を買いかぶる前に、おのが値打ねうちを知れ」
「おみは、弾劾だんがいを怖れぬのかっ?」
「わからぬ男じゃ、帰れ!」
「後悔なさるな!」
「たわけめ。足利あしかがの天下にしたのは、この師直だ」
「よし! あとで詫びさせてやるっ!」
 師冬は、ゆかをけって、渡り廊へ出た。
 あまりにも思いあがった師直には手がつけられぬ。が、高一門の、浮沈ふちんの瀬戸は、近づいている。指図はなくとも、備えなくてはならん。師冬は、そう考えながら、ながい廊下をいそいだ。

 小渚と、引出物を、日野邸へ送りとゞけるように、師直が郎従にいゝつけたとき、老臣の益子ましこ弾正が、もうかなり老いしなびた顔を暗くして、対の屋へ入ってきた。
 そのあとから、矢板将監しょうげんがついて来て、弾正と共に入側いりがわの、はしにすわった。顔一ぱいの熊毛髭で名の通った、この将監は、戦場場数ばかずの勇士だった。
「殿──」
 両人ふたりは諌めに伺候しこうしたのであった。
「お詫びごとの使者を、おたてなされませ」
「なに、詫びごと?」
 師直は、元弘以来、自分のために犬馬の労をおしまなかった弾正入道の、懸念顔けねんがおをながめて、
「おれに、あやまれというのか?」
重能しげよしの殿は、上杉家の御当主じゃ。将軍さまとは、お従兄弟いとこどうし、院の昇殿をいの一番におゆるされになった方でござります」
 弾正が、そういうと、熊毛髭の将監も、
「建武の三年、正月の加茂川原合戦に、将軍家のおん身代りとして、討死されたは上杉の御先代、兵庫入道憲房のりふさどのでござりましたぞ。まった延元は三年、わか葉のはつ夏──」
 と、述べかけるのを、
「風も、緑に、かおるころおいか」
 そうさえぎって、師直は、狩衣かりぎぬの腰ひもをしめた。侍女たちが、礼服をたゝんで、装束筥しょうぞくばこにおさめた。
「阿倍野の決戦には、憲藤のりふじ重行しげゆき、御兄弟があっぱれ奮闘、お命を捨てられました。上杉こそ、勲功随一のお家がらでござります」
 熊毛髭が声をはげますと、
「将監──」
 にやり微笑をうかべつゝ、師直は、黄帛縁きぬのべりのしとねに、どっかり坐って、
「おれは、師冬にわめかれて、もう耳がつかれた。ほかの話ならいとわぬが、上杉の太鼓たいこだけは、たゝくのをやめい」
やかた──」
 と、首をゆすぶりながら、弾正入道が膝をすゝめた。
 師直は、
「言ってきかすが──」
 と、かぶせて、侍女のはこんできたらんの湯を、一口すゝってから、
「そのほうらは、上杉をなにか大層な名門かのように考えているが、公家出くげでといってもたかの知れた故実有職こじつうそくの家筋でしかないぞ。わが高の家とて、惟頼これより下野しもつけに土着して武士となるまでは、やはりみやこの公家仲間だ。御堂みどう関白の世の春宮亮しゅんぐうりょう業遠なりとお、その子成佐なりすけ、孫、惟章これあきら、みな学業をもって朝廷につかえたのだ。もとよりおれは、公家などをうやまいはせぬ。だが、家柄からいっても、上杉と劣る高ではないのだ」
「でも兵庫入道どのは、将軍家のおん母ぎみと御兄妹であらせられた」
「弾正──。おれの先祖は、将軍家の祖先、足利義国の弟じゃ。だが、そんなこけの下の詮議せんぎよりは、なまあたらしい武功だ、手柄だ。そして現在の腕が、ものをいう」
 師直は、そういってから、侍女をかえりみて、
酒肴しゅこうをもて」
 と、命じた、弾正と将監は、目を見合わせた。
「この両人ふたりにも、飲ますのじゃ」
 侍女は、かしこまって立った。
「おれの心祝いを、その方らにもけてつかわす。じつに素晴らしくよいことがあるぞよ。まだ、ほんの前祝いだが、こらしょうのなくなるくらい嬉しいのだ、わははゝゝ!」
 師直は、腹の底からわらって、あきれいぶかる両人へ、
「しかめ面を、すきな酒で洗いおとせ」
 そういうと、将監が、
「お酒どころでは、ござりませぬ。すわといわば、間に合うよう、屋形を警固かためなくてはなりませぬ」
「馬鹿め! 誰れが寄り合おうと、泣き寝入りだ。いらぬ心配は、あたまから追ん出して、飲め飲め。そちには、一骨折ってもらいたいことがあるぞ、将監」
「は。拙者それがしに?」
「とても、大儀なつとめだぞよ」
「はあ」
「仕おわせたら、恩賞は莫大ばくだいじゃ。しかと働いてくれ」
「殿、いかなるお役にござりましょうか?」
 熊毛髭が見上げると、
「飲みながら、申しつける」
 師直は、にこやかに答えた。



京の日野邸

「え、戻った? あの、小渚おなぎさが、も、もどったとや?」
 日野行氏ゆきうじ卿が、叫んだ。
 もはや帰らないものと、かなしくも諦めきっていた鍾愛しょうあいの女が、ふたゝび我が屋形に──と聞くが早いか、死びとのように青ざめたかおに、さっと血の気がもどったのである。
 けれども、まだ疑ぐるように、
「まことか? まことか?」
 いとも仰山ぎょうさんにわめく三位行氏卿は、文章博士もんじょうはかせで、大学頭たいがくのかみだから、当今の碩学せきがくに違いないが、いたって小心の臆病もので、人がらは一向すぐれていなかった。
「おみごとなお引出物を──」
 そう、侍女の梅枝うめがえがつげると、
「な、なに、引出物?」
 まず、自分の耳を信じなかったが、たちまち、
「おゝ!」
 があんと、不安にうたれて、
「小渚、小渚を、はよう!」
 呼べといわれて、梅枝は、
「あの──たゞいま、北の方さまと、お話し中でございまする。なにやら、おひそやかに、人をお遠ざけになりまして」
 と、答えたので、ますます勘違いした三位は、またも血相けっそうを蒼白にかえて、北の対屋へと走って行った。
「おゝわがつま!」
 北の方は、三位をみるなり訴え声で、
「高の執事どのが、御難題を──」
「引出物──引出物で、あがなおうと申すのであろう? あゝ錦の山、あやきんらん──」
 と、はこびこまれた贈り物へ、目をすえて、
「むゝ砂黄金すなこがねの、おゝづつみじゃな。宝をつんで、小渚──小渚──」
 愛妾を、ひしとかゝえて、
「そもじを、買おうとは、憎いわ僧いわ、えゝなんとしょう?」
 と、取乱して、女々しくうめく三位へ、北の方が、
「あれ、さようではございませぬぞえ、つまの卿」
「いや、そうじゃそうじゃ、へびの前のかえるだ!」
「いゝえ、蛇は蛇でも、蛙は小渚とおもいきや、とおい吉野の──」
おろちにねらわるゝ小兎だ、小渚おなぎさだ。あゝ小渚だ! のがれようとて──」
 三位は、北の方の言葉もきこえないらしく、そう歎きわびながら、愛妾の肩からゆかにくずおれたまゝ、ぐったりと俯伏うっぷしたので、小渚が、のぞき込んで、
「もし、卿さまの、おぼし違いではございませぬか? やかたさま! 武蔵守どのゝ御執心なのは──」
「いやいや外道げどうだ、鬼畜だ! おそろしいのは魔性ましょう師直──」
 むっくりと顔は、もたげたが、文章博士の魂は、ひらいたひとみから、ふらふらとぬけて出たかのようであった。空虚うつろになった。脳裡のうりには、高武蔵守師直の所望を、にべもなくしりぞけたがために、無残にも、横死おうしをとげた北野の長者、菅宰相かんさいしょうのいたましさが、たゞ一ぱいにひろがった。
 と、にわかに目先が暗々くら/゛\となり、斬りおとされた自分の首と、真紅の血潮をふく胴体とが、まがまがしいまぼろしに描きだされた。
「あっ!」
 恐怖のさけびと共に、むちゅうで頭上のかんむりを、両手でつかんで、あおに倒れたから、おどろいて北の方と小渚は、右と左から、介抱しつゝ、
「わがつま!」
「卿さま!」
「もうし、師直どのゝ懸想人けそうびとは、吉野の宮居に住もう女でごさいまする」
「わたくしはただ、頼まれましたのみでございまする」
「のう、お気づよう、夫の卿! 小渚は、なかだちを、橋わたしを、いられたまでゝございまする」
「お引出物は、申さば、お周旋とりもちしろの──お手附──。媒介なかだちを、首尾よう果たしたなら、お礼は望みのまゝ、館さまの思召し次第とございました。さあ、おこゝろをかと──」
 小渚は、女子よりも弱い性根しょうねの行氏卿を、たすけおこして、背中をさすった。
 と、どんよりまなこをひらいて、
「おゝ、そんなら懸想人けそうびとは、小渚、そもじでは、あらざりしか?」
「はい」
「さらば──さらば誰れぞや」
「吉野に、宮仕えなされます、弁内侍べんのないしさまでございまする」
「なに、弁内侍とや?」
 しまりの失せた、三位の下顎したあごを、小渚はいつになく、さげすむ気持で眺めるのだった。
 ──三位と師直! こうも差別さべつのあるものか? 暴虐でも、理不尽りふじんでも、あれほど強い武家と、みやびやかがよいにしても、かくまで弱々しい公家くげと──いずれが、このもしい?
 あくどい師直のうつが、まだ消えずにいた。小渚のこゝろは、あやしく動いた。

 日ごろは、どこまでも物やさしくて、学にはひいで、詩歌の道にも堪能たんのうな、大宮びとの師表で、まことにいみじき文芸のおさであり、経史のつかさであると仰ぎみていた自分のあるじに、今宵こよいは思いがけもなく幻滅をおぼえた小渚おなぎさであった。
「へだたる吉野の、内侍をば」
 そう、三位はいったが、小渚は答えなかった。
 心がまるで顛倒てんとうして、推理すいりの力が、どこへかけしとんでしまったらしい行氏卿を、今出川やかたでの師直の、山がくずれてもおどろかぬ態度に、ひきくらべていたのだった。
(播磨守師冬どのほどの豪傑ごうけつが、一大事といってあわてるのを、ぐいとおさえて、言いまくるあの御胆力ごたんりょく──そしてまあなんという、きびきびとしたおつむりの働きよう!)
 三位へは、北の方が、
「内侍は、いとけない頃からたまをあざむく、顔かたちでございました。吉野へまいって後、もはや十とせ、うるわしいつぼみがさぞ、あでやかに花咲いたことでございましょう。噂によれば、俊業としなりどのも、妹の内侍のために、よい婿がねを探しておらるゝとやら申しまする。──南山なんざんの若公家たちは、われこそわれこそときそいたっておるとやら、街のわらんべまでが取沙汰とりざたいたしまするものを、師直どのの白羽の矢がむいたとて──なんでそのように、わが夫には?」
 と、きかれて、
「身が、いぶかるは、非道ひどうの高が強淫ごういんではないぞよ。たゞ──」
 いゝさして、太息といきとともに、うなだれつゝ、
「橋渡しを、まろのいとしむ小渚に、強いた心が──?」
「それとても、あきらかと、わらわはあやしみませぬ。内侍は、父ぎみ俊基朝臣なきのちは、この館にひきとられ、伯父ぎみなるわがつまをば、実の親とかわりのう、したわれつゝ育ったひとでございまする」
「お方、お身はそう云わるゝが、南山の賢所かしこどころ掌侍しょうじをつとむる内侍を、まろが力で、なんとしょう? 陣鐘矢叫じんがねやたけび、さいわいやんで、こゝ五六年、天下はからくも穏かだが、天竜寺の供養ごときで後醍醐の院の、おん尊霊みたまなごまろうか? 北畠の親房卿はなおすこやかだし──楠の一族は、ひそかに武をねり、ほこをみがくとか聞く。吉野の欝憤うっぷんは、ふかいぞよ」
 三位はやっと、どうやら文章博士らしく、そして五十という歳に手のとゞいた中老相応そうおうな、分別がおを、夫人へ見せて、
「殊に、内侍の兄、俊業としなりは亡父のこころをうけて、南朝に忠勤をはげんでおる。幼少のころは、内侍ともども我が家にあって、まろになついてはいたけれど、吉野へ走ってこのかた、かりのたよりも絶えてない、うとましさだ。北と南にわかれては、それも詮ないことではあるが、そうした兄をもつ内侍がもとへ、いかに、まろが言い送ろうと、とてもとても! こりゃ、山を動かせよ、海をうずめよ、とうるにもひとしい難題じゃ。無体むたいじゃ」
 そういゝおわって、うちしおれると、
「そりゃ師直どのとて、やすきわざとは、おもわれませぬ。まともの手だてでは、おぼつかないとあって、たばかりうばうたくらみを、彼方かなたからお授けでございまする。のう、小渚」
「はい」
「なんと? いつわって奪えと──?」
「北の方のおん文を、梅枝にたずさえさせて、吉野へつかわせ、との事でございました」
 と、小渚はこたえて、いまはむしろ、師直に味方する気持で、
「このはかりごとが、成就じょうじゅのあかつきには三位の官位を進め、かつは所領をも、たんまりと参らそうが、もしけがわせ給わずば、おん身の上、よもや安穏あんのんではあるまい。先には塩谷判官、近くは菅宰相、在登ありのりの卿のためしもある。前のわだちは、ゆめ踏みたもうな、とございました」
「おゝ、けがわずば、安穏あんのんではあるまいと?」
「はい」
「申したか」
「はい」
 まっさおな三位のかおが、ぎゅっとゆがんで、ひきつった。
「あゝゝ、まろは見こまれた! まろは──北の方──どうしたら、大蛇おろちに、よい智慧が、いやいやお身に、よい智慧がないか、大蛇の※(「月+咢」)の、にえとならずに──」
 と、三位は、頭も、舌も、しどろもどろに、
「どうじゃ、分別は? 思案しあんは、これさ思案は、小渚、そもじは──頼む。まろは、まろはもう考える力がない、あゝ! 目が、目がくらむ」
 うめきつゝ、どっと倒れたのだった。
「北の方、小渚、う、う、う──」
「いたわしいけれど、内侍をにえに──」
 三位卿夫人は、そう呟いた。
 小渚が、
梅枝うめがえを、お呼びなされませ」
 と、いうと、北の方がうなずいた。
 燭台しょくだいの灯がゆれた。庭さきから、なまぬるい微風そよかぜが入ってきたのである。待賢門外の春の宵は、もの静かにふけて行った。
 二十四年のむかし、後醍醐のみかどの、おん股肱ここうとして、正中しょうちゅうの変の中心人物となった日野俊基としもと朝臣あそんは、この館のあるじ行氏卿の弟だった。まことに似つかない弟と兄であった。弟は、討幕の志がならず、捕われて鎌倉へおくられた。そして仮粧坂けはいざかで斬られた。公家にはまれな、たんのすわった人となりであった。ところが兄は、今、師直をおそれて、婦女子までがさげすむほどに見苦しく、とりみだした。そして弟の遺した子、弁内侍は、師直という淫魔いんまへのにえにそなえられようとしているのだった。



水越みずこしとうげ

 大和やまと河内かわちの国ざかい、水越峠のいたゞきが、峠路とうげみちにけずられた崖の赭土あかつちを、あかるい春陽に反射させていた。ふかい渓谷は、白雲でうずまったかとまがうばかりに、らんまんと山桜を咲かせていたし、渓谷たにからそばだつ懸崖を、めぐりめぐり登る坂みちが、薄緑うすみどりにもえでた喬木林の、※(「木+無」)ぶなかしけやきなどの梢を、縫いつゞるかのように見えた。
 峠の尾根は、北のほうへも、だんだん高まって、国境を蜿々と走るのであるが、南はすぐ急勾配きゅうこうばいで、その斜面は、千古斧鉞ふえつをいれない常緑の大森林を、おごそかに抱きつゝ、金剛山こんごうせんけわしい峯へつらなっていた。
虎夜叉とらやしゃ──。あの山のおかげで、ずいぶん遠廻りさせられるのう」
 と、馬上で、次郎正時まさときがいった。
 おなじく馬上で、弟の虎夜叉正儀まさのりが笑った。
「はゝゝゝ。おかげで、千早ちはやの城は堅固けんごなのだ。小言も、いわれますまい」
 正時は、手綱たづなをつめて、
「だがの、吉野がよいには、まこと邪魔じゃまだぞよ」
 正儀の馬が、いなゝいた。
「なんの。馬にあるかせて。──山国そだちのくせに、次郎兄も案がい栄耀えよういわるゝよ」
 そう、正儀がいうと、
「──虎夜叉」
 と、正時は背後を、ちょいと振り返って、弟と視線を合わせたが、すぐ向き直った。
「お身は、あいかわらず籠城ろうじょう万能論らしいが、わしは別じゃ。山地の戦よりも、はなばなしい野戦を好む」
「次郎兄は、すっかりと兄上にかぶれめさったな。あまり、ほめらるゝことではござらぬぞ」
「なに、ほめらるゝことではないと?」
 とがめる語気でいったが、こんどは背後をかえりみずに、
「兄上正行まさつらにかぶれることが、悪いというのか? かぶれるなどという言葉が、第一よくない。気にいらん」
「かぶれたが悪いとは、決して申さぬ。また、あなたが、心から同感なされたとすれば、なおさら結構じゃ。たゞしかし、この虎夜叉は、ほめませぬぞ」
「ふゝゝ、お身らしい言い方をするわい」
 正時は、そういって口をつぐんだ。
 弟の馬は、兄の馬のしりに、鼻をすりつけながら、坂を登って行った。
 徒歩の郎従どもは、小半町もおくれていたし、恩智おんち興武おきたけとその家来らは、その後からだった。そして和田一家の人々は、すでにはるか目の下になった桜の林のふちから、まだ姿を現わさぬほどおくれていた。
 楠正行のふたりの弟、正時と虎夜叉正儀は、いま、吉野から河内へ帰る途中なのであった。

 登りが、急になった。
 馬は、あえいだ。虎夜叉が、
「吉野に、兄上が居残られた理由を、次郎兄はなんと解さるゝ?」
 と、いったので、あえぐ馬に一鞭くれた正時は、さもいぶかしげに振り返って、
なことをいうの」
「あなたには、異なことゝはおぼさぬか?」
「なに──なにをさ?」
 やゝ鈍重どんじゅうとさえ見える面持おももちで、きゝかえした。
なぞでござるよ」
 持ちまえの、批判ひはんめく薄わらいが、正儀の唇にうかんだ。
「謎──?」
「謎を、わたくしに解かすなら、恋のしわざと解く」
「え、恋のしわざ?」
「さよう」
「ばかな! 兄上が──兄の殿が恋、わはゝゝゝ!」
 鞍つぼに、笑いこける正時の、その笑い声のおさまるのを待って、
「笑うのは御勝手ながら、わたくしの察見さっけんの矢、きっと図星づぼしでござろうぞ」
「虎夜叉、お身はときおり、人をからかう。よからぬくせじゃ」
ぐちは、気散じの妙薬だ。──妙にうっとうしい時や、緊張きんちょうが、度をこした折など、きゝめがあらたかだ。たゞし只今の話は、おゝ真面目まじめでござるよ」
 今年ようやく二十歳、とは、どうしても思えぬ熟成ねびた口調だった。いや、物の言いかたのみでなく、容貌といゝ、態度といゝ、三つ年上の正時の方が、むしろ弟らしく見えた。現にいま、着ている小桜色ぼかしの派手な狩衣かりぎぬが、だいぶ不似合なくらいだ。長兄の正行とくらべてさえ、若くはなかった。そして頭脳も、気持も、外貌みかけよりまだ一段と老成のおもむきがあった。
 正時の狩衣は、萠黄もえぎだった。その袖を、自分の手でしっかりと掴みながら、やゝきびしく、
「亡き父ぎみは、かりそめにも、揶揄やゆ冗談じょうだんはつゝしまれたというぞ。──おのが頭のよさを、虎夜叉お身は、悪用するのだ」
 そう、正時がいったとき、白辛夷しろこぶしの花枝──ちょうど崖から路へ、したざまに差しでたのを、ぽきりと、虎夜叉は折った。
 兄が、言葉をつゞけた。
「逆賊足利を、いかにして討とうと、お心くだく以外、兄の殿正行に、なんで他意たいがあろう」
 弟は白辛夷の、大輪の花弁の濃い香を、ぎしめながら、
「次郎兄の、嗅ぐ鼻のうといこと!」
「なに、鼻が?」
 とたんに、乗馬がまた、いなゝいた。
 正時は、あぶみのかゝとで、馬腹をうった。
 虎夜叉が、
「ものゝ裏の匂いが、おわかりにならん」
「おれは、正路しょうろをふんで、けっして裏道は通らぬからな」
「通れるかぎりは、無論よろしかろう。しかし正路は往々、ふさがることがある」
 しばらくして、正時が、
「兄上のこと、いさゝかは、根拠こんきょあって申したのか?」
 と、たずねた。
「さすがに、お気にはかゝると見える」
「お身とは、てんでおうまれつきが異うぞ。早熟そうじゃくに女色をおぼえた自分の物差で、出鱈目でたらめにおしはかったとて寸法が合うかよ」
 それには答えずに、正儀は花枝を捨てゝ、手綱たづなをしぼった。
 頂上にちかづいて、坂の勾配こうばいが、ひどくなった。二騎の馬は、汗だくだくで、あえぎをはげしくした。
不憫ふびんじゃ。おりてやろうか」
 と、いう兄へ、
「癖になる。山国の馬だ」
 と、弟が答えた。
 馬は、胸衝むなつきの急坂を、からくも登りつめて、兄弟を国境に立たせた。金剛山脈の西斜面は、一しおふけた春景色を敷きひろげていた。

 兄弟は、馬をやすませつゝ、眺めおろした。
 青崩おうがやの大きな谷が、水分みくまりの盆地へ、傾きひらけていた。うらゝかな陽の光をあびて、紅、白、萠黄もえぎ、真っ黄色──。わか葉の緑に花のいろを、まぜてかげろう、この山峡こそ、兄弟がそこに生まれ、そこに育ち、湊川みなとがわに尊王の大旆たいはいをかゝげて討死した父、正成まさしげの遺志をつぐべき長兄の、正行まさつらと共に成長し、今年はもはやその父の壮烈きわまる戦死をとげた延元元年から、指折りかぞえると十二年目の正平二年、多聞たもん正行は二十五歳、次郎正時は二十三歳、虎夜叉正儀は二十歳の春をむかえた楠氏、譜代の采邑さいゆうであったのだ。
 累世るいせの居邸のもりかげに、屋形の白壁が光っていた。すこし離れて、鎮守がみ建水分たけみくまり神社の朱の鳥居と、重臣の神宮寺正房の屋敷に年古る毬形まりがたの老杉とが、くだり一里はんの麓にめだった。
 楠氏の邸館やかたの杜は、おおぎの形をした盆地の、ちょうどかなめの位置にあった。盆地のまん中で、この青崩おうがやの谷の水をあつめた水分川が、金剛山から流れだす千早川を合流させているのが、あざやかに見えた。盆地の東のふちは、こゝ水越みずこしとうげの尾根の支翼わかされだった。そして西のふちをかぎっているのは、上赤坂、下赤坂、甘南備かんなみ東条とうじょうの四つの丘で、それが、それぞれ城をようした。つらなるその四つの城は、水分をまもる要害で、やぐらのいらかに、塁の狭間はざまに、とりでの柵の石垣に、外郭くるわめぐりの塹壕からぼりに、楠の武力の尋常でなさがあらわれているのであった。
「虎夜叉」
 と、正時は、盆地の春のよそおいから、目を転じて、
「兄上が、吉野におとゞまりなされたは、近衛左大臣や花山院かざんいんの内府なんどの、柔弱な、怯懦きょうだなお心持を、いくぶんでも骨のある考えかたに向けかえて、堂上にはびこる非戦論を一掃しようとの御存念、と、わしは思う」
 そういったが、弟はまだ、眺めつゞけていた。
 水分川が、盆地を横ぎり、神山の山峡をぬって、富田林とんだはやしの北にぬけ、そこで石川の本流に出合い、南河内の平野をうるおしつゝ、丁字形に、大和川へぶつかる姿──それを見ていたのである。
「花ぐもりで、岸和田からさかいうらの、海はかすみにとけているし、大和川の川向うも、おゝ空と野原のけじめはつかぬ。だが我れわれの領土、南河内と、南和泉いずみは、一望のもと、文字どおりじゃ」
 正儀の目には、銀光をはなつ狭山池さやまいけがあった。淡緑うすあお和泉いずみの山々があった。一族和田の城ととりでがあった。
「のう虎夜叉」
 と、かさねて正時が、
「兄の殿は、こんどの御評定ごひょうじょうには、異常なお覚悟で御参加あったものと思うがの、どうじゃ?」
「いかにも」
 虎夜叉は、和田の本城である槇尾城まきのおじょうから、目近の観心寺の三重の塔へ、視線をうつして、
「しかし、お宿を如意輪寺にょいりんじから、俊業としなり朝臣あそんやかたにかえられた一事が、次郎兄の解釈かいしゃくを裏切る」
 と、独りごともどきにいうと、
「わはゝゝゝ!」
 兄は、豪放ごうほうに、笑いごえを爆発ばくはつさせて、
「なんのことだ! そ、それがおぬしの、──はゝゝは!」
 と、なおも笑いつゞけつゝ、
「そ、それが出鱈目でたらめの、あて推量ずいりょう根拠こんきょか。なにかと思ったら、こけな! らちもない!」
「なかなか」
 首をふりながら、弟はやっと、眼を、兄の顔へむけて、
「北畠准后親房ちかふさと、四条隆資たかすけ卿、まったくこのお両人ふたりほか、ござるまいではないか? 兄上が、まず動かそうとなさるゝならば──。な、北畠のたちも、四条屋形も、所在はともに、如意輪寺の隣りじゃ。ところが兄上は、蔵王堂ざおうどうよりもなお手前の、日野邸へ、わざわざお宿がえなされた」
「それが?」
「次郎兄」
「なにがおかしい? 俊業どのゝ亡き父君、日野俊基としもと朝臣あそんは、われらが父上と肝胆かんたん相照らした仲であったぞ」
「それはいうまでもなく、日野俊基ば、正中の昔、いち早く尊王、討幕をとなえた人傑でござる。かしこくも先皇、後醍醐ごだいごのみかどに、われらの父をば、結びつけまいらせし、建武維新の殊勲者だ。だが、いまの俊業は、不肖の子、むしろ父の名をはずかしむる凡庸ぼんようたちでござるぞ」
「しかし、日野と楠──特別な間柄だ」
「いや、昔のよしみは、おろそかには思いませぬが、われらが兄正行が、恢復かいふくの大業を、ともに語るべき友にはあらず」
 そういゝきった正儀のひとみには、明敏なかゞやきがあった。

 顔立ちは、一見兄弟らしく似てはいた。だがよくみると、正時のかお造作ぞうさくは間がのびていた。気質は、胆汁質たんじゅうしつで一本気だった。
 弟が、俊業を、不肖凡庸ふしょうぼんようとあなどったので、不快な色をうかべて、
「お身は、秀才だ。万事に器用じゃ。だが一つ、珠に瑕瑾きずがある。惜しいかな、深い瑕瑾だ。重大な闕点けってんだ。それは、ほかでもない、父にていないという短所だ」
「とんだ傍道わきみちへ、おそれになったな」
「えゝ聞け!」
 と、たちまち語気はげしく、
他人ひとを、不肖の子とのゝしるまえに、おのれをかえりみろ! 神童が、たゞの才子にしたは、その闕点けってんのせいだぞ。学問、武術、ゆくとして可ならざるはなしという、その英材が──と、おれはうらめしいのだ。お身のあらゆる長所でうずめても、うずめつくせぬ深い瑕瑾きずだぞ、虎夜叉っ! わしは、うらめしくて涙が出る!」
 声が、わなゝいた。そしてやゝ、黙して後、
「わしとて、決して俊業としなりの朝臣を、お世辞にも俊髦しゅんぼううつわとはいわん。しかし兄の殿は、純情のじんじゃ。道をとうとぶお方じゃ。器量きりょうおとればとて、ふるきよしみをすてゝかえりみぬお人ではない。そこがおぬしとは、人格の異るところだ」
「お言葉どおり」
 と、会釈えしゃくした正儀は、
「十日ほど、宮中から──」
 云いさして、莞爾にっこりほゝえんだ。
 正時のひとみがひらいて、あごがすこし、前へ出た。
禁裏きんりから、十日ほど何が?」
「日野やかたにおやど下り、なさるそうな」
「む?」
「うとい!」
「え?」
内侍ないしが、弁内侍べんのないしが──」
「なに、内侍どのが?」
 と、正時は、やゝ白眼しろめをはだけて、
「お身に、そのようなことが、どこから?」
 あやしんで訊くと、虎夜叉が、
「俊業朝臣から、承わった」
 と、答えた。
「朝臣が、お身に──?」
 正時は、半信半疑に、手をこまぬいた。
 こくりうなずいて、虎夜叉が、
「たしかに、恋慕れんぼのなやみが、兄の殿にあった」
 そう呟くようにいうと、萠黄もえぎ狩衣かりぎぬの袖を、ぱっと左右へあけて、大きく首を、正時はゆすった。
「なにを証拠しょうこに、申すのだ?」
「兄上のまなざしに、人知れず胸こがす者の、もだえが、見えましたゆえ」
「ふゝん!」
 鼻で、あざわらって、
「いつの間にやら、虎夜叉は読心術とくしんじゅつまで、おぼえたそうじゃ」
 正儀は、真顔まがおで、頭をさげて、
「こゝ半月ほど、専心に修業つかまつった」
 そう応酬したとき、徒歩かちの郎従たちが、ようやく峠の頂上に現われた。
 正時が、
くだろう」
 と、手綱たづなをひいた。
 正儀も、馬を、くだり坂の方へ、進めた。
 兄は、やはり前行ぜんこうしつゝ、
「お顔色の、すぐれぬのは、肉体すこやかでないせいじゃ。わしと、お身とは、ちと達者すぎるで──出来ることなら健康を、わけて差上げたいが──まゝにならぬでのう」
憂鬱ゆううつは、御病身のためもある。しかし」
 と、弟は、ちょいとことばを保留してから、
「恋は、曲者くせものじゃ」
 やゝ皮肉に、だが自分に呟くようにいって、鞍のうえで眼をつぶった。



吉野の日野邸

 吉野のむら──たゞ修験道の霊場、蔵王堂ざおうどう如意輪寺にょいりんじの名と共に、深山みやまの桜の名所として知られただけの、僻南へきなんの山里も先帝、後醍醐ごだいごの院がおそれおゝくも仮の宮居を、おかせられてから最早十年あまり、仕え奉る、公卿、朝臣あそんたちが、それぞれ棲むべき屋敷を、こゝに設けるようになった今日きょうびでは、いくぶんか行在所あんざいしょらしい趣きをそなえてきた。
 だが、なにぶんにもかりそめの土木のことだから、どの屋敷も、いたってお粗末そまつで、これが殿上人の屋形であろうかとうたがわれた。
 日野俊業としなり朝臣の住いも、もちろん、その例に洩れよう筈がなかった。
 日野邸は、蔵王堂から西へまがって、一目千本の桜の名所へ下る坂の、そのおり口にあったから、行宮あんぐうのある如意輪寺からは、かなり離れていた。
 気分がすぐれず、病いの気味合いということで、宿さがりを願った弁内侍は、輿こしで、兄俊業の邸に戻った。めっきり長くなった春陽の日脚ひあしも、吉野山の西尾根に、ちかづく時刻だった。
 わかきあによめの、俊業夫人は、内侍を西のたいへむかえ入れて、いたわった。
「まあ、おやつれあそばしたこと!」
 嫂は、そういって、いろいろ容態を気づかい尋ねた。
「五蔵の病いでは、ございませぬ。たゞ味気あじけのうて味気のうて、るせなさの、つのりつのった気鬱きうつしょうでございまする」
 と、内侍は答えた。
 さながら妖桃ようとうの春をいたむるかんばせ、垂柳すいりゅうの風にたえかねた物ごし──という、ふるいたとえが、ぴったりと当てはまるような容貌かおかたちであった。嫂の言葉どおり、目のふちに、頬のほとりに、やつれは見えてはいたものの、なやめる美女のさまには、また一種いうにいわれぬ魅力がふくまれていた。
医師くすしは、誰れでございましたか?」
「あの──医師くすしにはせませぬ。ながらえたとても、かいのない命でございまするものを!」
「まあ、内侍さまのお言葉とも思われませぬ。かいのない命などと、どうした訳でございましょう?」
 俊業夫人は、いぶかしそうに、見まもった。
 浮線綾ふせんりょうに、山吹やまぶきの花を散らし織りにした唐衣からぎぬを着た、若い嫂は、四条大納言の息女で、眉目みめうつくしい女性だった。けれども山河へだてた京童きょうわらんべまで、国色無双と噂する弁内侍のうるわしさと並べてみると、朝の陽に光をうばわれる、残んの星のようにしか見えなかった。
「たぐいもないその美しさで──なぜ、そのように──この世をおはかなみなさるかのように?」
 と、嫂は重ねていうと、
嫂上あねうえさま!」
 と、だけで、たちまち薄縁うすべりして、堪えがたそうになみだをながした。そして声をしのばせて、しめやかにすゝり泣いた。
 嫂は、いざり寄って、濃香こいこうに緋の牡丹花ぼたんの織りだされた内侍の唐衣の、背をそっとさすりながら、
「もし内侍さま。──みずからおもとめになった病いとやら、おきゝいたしては、なおさらのこと、わらわは心にかゝりまする。さあ、あたりにさいわい人はなし、お胸のうちのお秘めごとを、どうぞわらわにだけ、お洩らし下さいませ。わがつまはお兄上。のう、内侍さま、他人ひとにはおつゝみなされましょうとも、わらわへは、なんのお心おきがございましょう。さあおっしゃって下さいませ」
 といった。
 だが、答えは、き止めることの出来ない、涙だけがあった。
 俊業夫人は、しかしこんづよく、なだめたり、すかしたりして、ひそかにひめられた憂鬱ゆううつもとを、さぐりあてようとつとめた。夫人は、聡明で、思慮ぶかく、それで勝ち気なたちは、父隆資たかすけ卿そっくりだった。先帝以来、南朝のおもなる支柱の一本だった四条大納言には、たしかにふさわしい息女であった。だが、俊業としなりのつれあいとしては、かなりに過ぎた妻だったので、なにか事があると夫は、いつも夫人に、導かれていた。
「御遠慮あそばしては、却ってお恨めしゅう存じまするぞえ」
 そういって、夫人は、のぞき込んだ。そして、内侍の耳へ、自分の顔をよせて、何かさゝやこうとしたとき、
「内侍どのは、それにか?」
 俊業朝臣の声が、きこえた。
 入側に立ちどまって、怪訝けげんらしく、妹の様子をながめたが、
所労いたつきのため、宿下りを願った由、お身に病いがあろうとは、つい昨日まで、夢にも知らなかった。いかゞじゃの?」
 と、いゝながら入って来て、坐った。
 俊業の端麗たんれいな顔には亡父俊基の面影おもかげがしのばれた。が、体格ははるかに劣って、脆弱ぜいじゃくだった。
「楠どのと、話に身をいれて、つい遅くなった。当分は、日夜語りあえるものを、今日に限ったかのように、万事を忘れて──おん身をさえ、なおざりに致した。許されい」
 俊業が、そう云いおわらぬうちに、内侍は、
「おゝ!」
 と、おもわず叫ぶように声を立てゝ、その凄艶せいえんな美貌をもたげた。
 驚きと、よろこびと、羞耻しゅうちと、待望とが、内侍の表情のなかで、あやしくまじりあった。
「あの──楠の──楠の殿には──このたちに?」
 と、く内侍へ、嫂が、
「昨夜から──こゝしばらくは、御滞留ごとうりゅうとのことでございまする」
 と答えた。
 俊業夫人は、心の中で、たしかに──と首肯うなずけるものをつかんだ。
 敏感な若夫人は、
(楠どのに──内侍は恋している)
 と、思った。だが、なぜ、ながらえても甲斐かいないなどとまではかなむのであろう?
 俊業夫人には、それがせなかった。
 この吉野に住む公達きんだちが、いかに多く、内侍へ、胸をこがしたことだろう。けれども、そうした懸念けねんは、すべて片想いに終った。だれ一人、この麗人の心を、とらえ得たものはなかった。内侍はあれほど美しくても、情知なさけしらずなのであろうか? とさえ思われたのに──。
 楠への恋──。それは、ふさわしい恋だ。武家ではあるが、正行ほどの若人は、殿上の公達にも、あるかどうか? ないともいえる。内侍は、ないと感じたにちがいない。けれども、何故の悲観ひかんであろう? 身も世もないように?
 夫人は、考えたが、わからなかった。
 俊業が、云った。
「楠どのは、お宿を、我が館へうつされたのだ。次郎、虎夜叉、ふたりの御舎弟は、和田、恩智おんちなど宗徒むねとの衆をはじめ、郎党たちを引き具して、今朝未明に如意輪寺の宿坊をたれた。居残った郎従たちは、わずか十人たらずゆえ、手狭いこの屋敷でも、事欠かぬのが、身どもの仕合わせであった。──その昔、亡き父上、俊基としもとが、正成の殿と回天の事業を、ひそかにかたらわれたのにあやかって、身どもゝ今や、正行どのと、討幕の再挙についてはかろうと思うのじゃ。──内侍どの、よろこんでたもれ。亡き父上は、わしがこのたび、正行どのを我が家に迎えたことを、草葉の蔭で、どのくらい御満足におぼすであろう!」
 そう云って、眼をしばたゝいた。胸は、亢奮こうふんにおどるのであった。
 だが、内侍の胸の高鳴りは、それに幾層倍か知れぬ輪をかけていた。

 おさえてもおさえても、嬉しさが、はげしい戦慄おのゝきとなって、からだじゅうをいまわった。
「おゝ兄上、わらわは、うれしゅうございまする!」
 声も、こゝろの熱にうかされたように、わなゝく内侍へ、
「む、うれしいか。──おゝうれしそうな!」
 と、俊業は、たゞもう、自分の悲壮な気持へ、自分の忠と孝の至誠へ、同感しての内侍の歓びである、とばかり思い込んで、
「たんと、よろこんでほしい。身どもゝこれで、はじめて父尊霊そんりょう位牌いはいの前に、自分を、さまで恥ずることなくぬかずける。また周囲の人々へも、顔むけがなる。──のう内侍どの。あまりにすぐれた父をもつ子は、つらいものじゃ。心ひそかにしばしば泣けてくる。父俊基は、あの若さで、山伏姿に身をやつして、勤王の士を求めるために、単身、雄々しくも、諸国の山河を跋渉ばっしょうしたではないか。それが、どうじゃ。あれ俯甲斐ふがいなき子のざまよ! 父は勇敢にも大難に殉じた。鎌倉は化粧坂けはいざかの露ときえても、名を後の世にのこしたのに、あれあれあの子の、安きをぬすむにがにがしさよ! 烈々たる父の気魄きはくはいずくにかある、と蔭口をきかれ、後ろ指をさゝれる、そのつらさ。推量すいりょうして欲しいぞよ、内侍どの!」
 つらかった、いろいろの記憶を、一遍に想いだしたかのように、暗然となると、内侍もまた、それとはまるで異う理由から、一度は陽に照り映える花のようにかゞやいた顔を、たちまち曇らせた。
 内侍の恋うひとは、嫂の今感づいたとおり、楠多聞兵衛正行まさつらその人であった。如意輪寺のにわでふと相見た一目の恋が忘れられず、夜も、昼も、こがるゝ想いに、胸をむしばまれて、睡られなかった。いても、立っても、面影が眼の先にこびりついて離れなかった。そのやるせなさから、とうとう羞かしさを忘れて、如意輪寺の吉水よしみず法印に、切ない心のなかを告げて、ひそかに楠への、なかだちを依頼したのであった。吉水法印は、内侍を、まるで肉身の孫のようにいとしんでいた。で、老法印は、内侍のために、正行に会って、語った。だが、内侍の意中を告げられた正行は、にべもなく、それをこばんだのだ。とても、かなわぬ恋だ、あきらめるほかあるまいと、そういわれたとき内侍は、世の中が真っ暗くなったように感じた。内侍のふかいもだえは、そこから生じた。
 あがめなついていた老法印の言葉ではあったけれど、こればかりはあきらめらるゝ事柄ではなかった。こばまれたのだから、無ろん、諦めたいとは思った。忘れようとは思った。だが、そう思えば思うほど、いよいよつのる恋であった。ついに内侍は賢所かしこどころのつとめがおろそかになるのを怖れて、宿下りを願ったのであった。
 ところが、兄のやかたに還ってみると、そこには恋う人、正行が、如意輪寺から宿を変えて、こゝしばらく滞在するというのだ。内侍の心は、嵐のように動いた。
 そして、たちまち堪らなく悲しくなった。
 恋い人は、この屋敷のなかに──と思うと、あさましくも心が、狂いそうに感じられてきた。
 内侍は、心地こゝろ苦しいからといって、この対の屋の寝所の、臥褥ふしどに入ったまゝ、食事もとらず、かしずく女房たちにも顔をあわせなかった。夜がきても、そして人は寝静まっても、内侍は、とても睡れなかった。
(こうして、気が──狂ってゆくのではなかろうか?)
 しかし、あかつき近くなって、どうやらすこしは心が静まってきた内侍だった。で、朝は、臥褥ふしどを離れて、朝餉あさげの箸もとり、嫂と顔を合せて、語りあいもした。
 嫂が、午後、ふたゝび姿を見せた。
 きょうもまた、のどかな日和ひよりだった。せまい庭ではあったが、泉水、築山、植込みなど、ひと通りは設けられていた。その庭に咲く桜を、ながめつゝ、嫂は、
「一目千本は、ついそこでございますもの、お気散じにいかゞでございます? こゝ両三日が見ごろの花ざかりを、御覧あそばしては?」
 と、すゝめた。だが、
「心憂い折の花は、ひとしおこゝろを滅入めいらせまする」
 内侍は、さびしげに、ほんのわずか微笑ほゝえんだ。
「そんなら、いま少時すこしお待ちあそばせ、おっつけ、このさゝやな庭景色──なんの風情ふぜいもない眺めが、きっとお心を晴らすであろう眺めに変わりましょうぞえ」
「眺めの変わるとおっしゃるのは」
「申さぬが花──。さぞやお胸をときめかす花とだけ──。もし、内侍さま、今朝はやばやとわがつまは、わらわの実家さとの館へ、参られて、まだ帰られませぬ」
「四条館へ──あの、お一人で?」
「いえ、お二人で、仲むつまじげに──」
 嫂が、そう答えたとき、この対屋から、あまりへだたっていない中門ちゅうもんの扉があいた。
 内侍は、兄俊業が庭に入って来た姿を目にいれた刹那せつな
(お二人で──)
 と、いう観念が、非常なはやさで、頭にきらめいたので、はっと感じたその途端とたんに、
「あれい!」
 自分を忘れて、おもわず叫んだまゝ、全身をこわばらせた。
 恋う人!
 楠多聞兵衛正行が、中門をくゞって、庭にあらわれたのであった。



弁内侍べんのないし受難じゅなん

 前日の夕がたは、花曇り、というよりも、やゝ雨模様にくもった空が、今日はまた乳藍色にゅうらんしょくもふかぶかと、うらゝかに晴れていた。
 正午すこし前のことだった。
 西の対屋へ、嫂が入ってきて、
「内侍さま。梅枝うめがえと申す女房が、たずねて参りました。お目もじいたしたいと申しまする」
「わらわに?」
 梅枝という名は、ごくありふれた侍女名であった。現に、中宮御殿にも、女御のお召使いにも──。で、
「御所からでございましょうか?」
「いえ、京の日野やかたの梅枝、と申しまする」
「あら、京の!」
 驚いたのも道理だ。その梅枝なら、伯父三位卿の邸で、内侍があどけない時から、物心をおぼえた十四歳まで、十年あまり、ねんごろにかしずいてくれた侍女だった。自分が、吉野の人となってからは、まったく消息をきかなかったが、だしぬけに、今おとずれて来ようとは!
「三位卿きたかたの、お文をたずさえましたとやら」
世話せわをかけたおなごでございまする。お通し下さいませ」
 恋さえなかったら、どんなにか心が動いたであろう。
 だが、命消えてもとまで、こがるゝその人に、昨日は、初めていろいろと、言葉を交わすことが出来た─。
(あゝなんという気高いおかおだろう! なんとそのお姿のりゝしいことよ! しかもなさけ知る人の眼差まなざしであった。そして、この胸に、ひしひしとせまるようなお声いろ!)
 もう幾晩も、つゞきかさなった睡り不足ぶそくに、あたまも、心も疲れきって、まどろむともなくまどろんだ夢は、恋うその人から許された夢であった。
 けれども、許されたのは、夢であって、現実ではない。現実は、つれない拒絶きょぜつである。こばむ人をいつまで恋うて、大切なお勧めを怠るのか? あきらめなくてはならぬ。あきらめるには、心をよそへまぎらさなければならない。
 そう思いながら、内侍は、梅枝の入ってくるのを待った。
 まもなく、俊業夫人の後ろについて、梅枝が現われた。──みまがうほどに内侍をあでやかにした十年の歳月は、梅枝を四十女らしく老けさせていた。
「──※(「サンズイ+几」)ちかこさま!」
 と、呼びかけたなり、わっと泣き伏した梅枝を見ると、さすがに内侍も、
「まあ、めずらしいこと、梅枝! 伯父おじぎみにも、北の方にも、お変わりはあらせられぬか?」
 と、なつかしげにたずねた。
 梅枝は、泪にぬれさせた顔をあげて、
「はしたない嬉し涙、お許しくださりませ。──うるわしい御気色みけしきを、十年ぶりでお見上げいたしまする。京のお邸ではお二方様はじめ、皆様がおすこやかで、※(「サンズイ+几」)ちかこさまの──おゝわたくしとしたことが、不調法ぶちょうほうな──もうもう絶えず内侍さまの、お噂ばかり。なにくれとなくお不自由がちな深山みやまのお住まい、さぞかし──と思いまいらせても、都と吉野、北と南のおん仲たがいでは、なかなかに、お音信たよりをいたそうにも、便よすがとてもございませぬゆえ──」
「それは、こなたとて、おなじ思いじゃ。お二方の御恩を、わすれはせぬけれど──」
「おなつかしさが、いやませば、わが子とも思うのに、逢うよしもない心さよ、とたもとをおぬらしあそばす北の方さまでございまする」
「おゝ伯母ぎみには、わらわのことを、それほどまでにか!」
「ほんにうらめしい世の中じゃと、それはそれはお痛わしいお歎きでございまする」
 詞藻しそう御堪能ごたんのうな持明院朝の寵臣として、文芸の府のおさに任ずる文章博士もんじょうはかせの邸に召しつかわるゝ女房だけあって、梅枝は、言いまわしが、ひどくうまかった。
「産みの親よりも、育ての親に、いつくしみの深いためしも、まゝございまする」
 と、またも泪を、こぼしてみせた。
 内侍も、つい引き入れられて、
「ほんに産みの恩より、育ての恩! 襁褓むつきのおりに、両親ふたおやに死にわかれたわらわは、伯父ぎみと伯母ぎみの、御養育の御恩に、むくいるすべの今はないのが、心苦しい」
「内侍さま。これは──北の方のお文でございまする」
 持って来た文筥ふばこを、出して、
「そのお筆にもございましょうが、北の方さまには、このたび、住吉に御参詣を、よいしおに、河内かわち高安たかやすまで、お輿こしをはこばれました」
「なに、高安まで?」
 文筥をひらきながら、内侍がきゝかえした。
 高安は、内侍の乳母の在所なのであった。それが、記憶にのこっていた。
「はい。彼所かしこには、あなたさまに、お乳まいらせました安岡やすおかが、百姓のしずが家ながらも、ゆたかに暮しておりまするので──」
「おゝ彼女あれも、つゝがなくて──」
「はい。その安岡の家で内侍さまを、お待ちなされてござります」
「北の方が、わらわを?」
「はい、高安まで、おはこびを、ぜひぜひお願いいたせと申しつかりました」
 梅枝は、こゝだと思ったから、
「まあそのお文を、御覧下さいませ。はかない世の中といゝ、ましてお互いに※(「門/兒」)せめぎあう南と北にわかれて離るゝ身の上ゆえ、このたびでなくては──このしおをのがしては、もうもう逢い見るおりは来ぬやも知れぬと、そう申し上げよという、お言葉でございました」
 内侍は、三位卿夫人の手紙を読んだ。
 こまごまと、思慕しぼの情を述べて、
「乱れがましき世にはべれば、こたびをおいて、いかでか相まみえ参らせん」
 と、あった。そして、その奥に、
 『逢見んとおもふ心を先だてゝ、袖にしられぬ道芝みちしばの露』
 と、一首の歌が、書きそえられていた。
あねうえ──」
 内侍は、俊業夫人へ、
「いかゞ致したもので、ございましょう?」
 と、いうと、
「高安とやらまで、お越しなされませ」
 嫂は、そう答えたが、すぐつけたした。
「でも、わがつまは、なんと申されまするか、わらわからたずねてみましょう」
 北の対へ立ち去る嫂の後ろ姿を見おくって、内侍はむしろ正行のそばから離れる方がいゝと思った。

 供は、女房にょうぼう二人、青侍あおざむらい三人。
 梅枝のつれてきた迎えの人数は、青侍四人と輿丁こしかき六名。
 弁内侍は、もたらせの塗輿ぬりこしに乗った。
 輿わきに附添った梅枝が、
「音にきこえた吉野山、盛りの花に、ちょうど参りあわせたわたくしは、果報かほうものでございました。あゝ美しいこと! 見晴らすかぎり、花また花でございまするのう! このあたりが、一目千本、とやら申すのでございましょうか?」
 などと、しきりに口をきいた。
 一目千本は、やゝ散りかけていた。
 折りからわたる山風が、花吹雪はなふぶきとなって、路へ、人の肩へ、みすをかゞげた輿の中へ、花びらをまいた。
「さきほどは、胸にゆとりがございませぬので、眺め残していそぎましたが、もうお使いを果たしたも同様な今は、心もかるく、深山みやまの春に酔いまする」
 は、すこし西にまわって、乳をとかしたような青空が、かぐわしいかすみのようにたなびく桜が、そして陽炎かげろいたつ※(「女+束+欠」)わかくさが──春愁しゅんしゅうを感じさせるほどに駘蕩たいとうとした山路を、輿がくだって行った。
 くだるにつれて、路が白く、そして、ぼうっと薄紅うすあかく、散った花弁でうずまっていた。
「高安までは、よほどの道のりであろうの」
 と、内侍がたずねると、
「およそ十四五里がほどは、ございましょう。朝まだきに発ちましても、女の足がまじりましてはどうせなか一泊り。──北の方さまは、さぞお待ちわびて、おわしましょう」
 梅枝は、そう答えたが、やがて言葉をついで、
「でも、内侍さまは、またとないようなよい折に、おやどさがり! 思えばこれも、北の方が日ごろ御信心のあつい、住吉神すみよしがみの、御利やくでもございましょうか」
「──そんなら途中で、どこぞに宿やどるのであろうの?」
 内侍はやゝ、不安げにいった。すると、宿はとらねばならぬけれど、せいぜい、路をいそいで、行けるところまで行くつもりだと、梅枝が答えた。輿でゆられるにつれて内侍は、そうはげしくはないけれども眩暈めまいをおぼえて、胸もとが、なんとなく気味わるくなった。梅枝はなお、能弁のうべんに話しかけたが、内侍は口をつぐんでしまった。
 まどった揚句あげくに、やっと心をきめて高安へ、行くことにした内侍であった。嫂がまずすゝめたし、兄の俊業も、でかけた方がよかろうと云ったのだ。
 俊業は、妻から、内侍の病いの気は気鬱きうつのせいで、──じつは恋わずらいであること、そして恋いびとは誰れあろう楠正行であることを告げられた。これまで身分の尊い殿上人の公達きんだちから、どんなに熱心に言い寄られても、ういた心を微塵みじんも動かさなかった内侍は、兄から見れば、むしろはがゆいくらいだった。十七八ならばともかくも、内侍はもう二十はとうに越していた。妙齢みょうれいはすでに過ぎていたともいえた。どんなに美しくても、女には年頃としごろというものがあるのに、こゝろ固いにもほどほどがあると──そう思うと、兄は気がもめてならなかったのであったが、──だから、恋い人が楠と聞いた刹那せつな、やれうれしや、それは実によかったと感じたのであったが、意外にも楠が、内侍の恋を拒絶したと知った時、
(あゝ、人の世はまゝにならぬ!)
 と、おぼえずも嘆声たんせいをもらさずにはいられなかった俊業としなりであった。
(ほんとうに、似合わしい男女ふたりであるのに!)
 今のよしみからいっても、今の関係から考えても──まったく、これ以上にふさわしい夫婦みょうとはなかろうに、さりとは楠も、かたくなゝ!
 俊業は正行の心がうらめしかった。けれども、朝敵討伐に余念よねんのない、忠孝一図に凝りに凝った精神は、内侍の恋をさえれる余裕ゆとりをもたぬのだと思うと、うらむよりは、雄々しくも、健気けなげにもそびえ立つ高さの前に、頭をさげなくてはならなかった。不憫ふびんでも、妹を、断念させなければならない。思いきらすには、心をできるだけ他事よそごとへ、そらしてやらなくてはならぬ。それには丁度いゝ伯母の使者だった。
 そう考えた俊業は、ためらう内侍をうながすために、京の日野家と自分兄妹の関係について、いろいろと語り聞かせたのであった。
 ──そもそも日野家は、宗家そうけの日野南家も、分家の日野北家も、持明院じみょういん(北朝の統)御譜代ごふだいのおんちょうあつい眤近じっきんであった。北畠親房卿の書いた「職原抄しょくげんしょう」に、「今に至り日野南家、じゅ納言なごんに昇る。日野俊光卿、始めて大納言に任じおわんぬ」
 と、ある。すなわち俊光は、大納言となって、伏見上皇の院執権しっけんという顕職けんしょくに任じたのだ。そして分家の種範たねのりも、三位、文章博士もんじょうはかせにのぼった。それまでは、文章博士は宗家そうけの日野南家の任で、分家は代々、正四位下大内記だいないきを出世のとまりにしていたのである。で、宗家の三人の子、資名すけな資朝すけとも資明すけあき、それから分家の二子、行氏ゆきうじ俊基としもと、いずれもみな伏見院から愛された。ところがそうした生粋きっすいの持明院ばつの家にうまれた俊基が、宗家の次男の資朝と共に、後醍醐ごだいごの帝の、歴史の御研究に公然と参与さんよしまいらせて、大覚寺統だいがくじとうの文学興張にしゅとなって働いたので、世間は奇異の眼をみはった。しかも、それどころかひそかに、おん機密を託されて、画策かくさくにつとめた。
 資朝はもっぱら、帝の御帷幄おんいあくに加わったし、俊基は偽籠居にせろうきょしてその間に、外をうけ持った。修験者しゅげんじゃに身をやつして水分みくまりの楠正成を訪ねたり、吉野、熊野の衆徒や郷士ごうしを、説いて廻ったりしたのだ。その結果が、正中しょうちゅうへんとなって、建武維新のさきがけをしたから、二人の周囲は、あっとおどろかされた。資朝は、佐渡へ流されてのち斬られたし、俊基は、すぐ鎌倉へ護送されて、扇谷おおぎがやつ仮粧坂けはいざかで、
   古来こらい   ※(レ点)しなく※(レ点)せいなし
   万里ばんり雲尽くもつき   長江ちょうかう水清みづきよし
 と、辞世のじゅをのこして首をねられた。青侍の後藤助光は死骸を茶毘だびに附し、むなしい遺骨を抱いて、京に帰ったので、北の方は悲しみに堪えかねて、おさない二歳の俊業と、生れたばかりの※(「サンズイ+几」)ちかこ(弁内侍)を、ふり捨てた。亡き夫の四十九日に、濃い墨染の法体ほうたいさまを変えたのだ。そして嵯峨野の奥の、柴戸しばどのなかで、菩提ぼだいをとむらった。が、間もなく夫のあと追って、この世を去ってしまった。
 旧記きゅうきに、
「俊基は、累葉るいよう儒業じゅぎょうを継ぎて才学優長いうちょうなりしかば、顕職けんしょくに召仕われて、官、蘭台らんだいに至り、職、職事しょくじつかさどれり」
 と、ある。
 蘭台は、蔵人頭くろうどのかみだし、職事は右少弁うしょうべんだ。たしかに重要な地位だった。また資朝も、中納言としてときめいていたのだ。この二人が悲惨な最後をとげたから、日野一門はふるえあがった。戦々兢々せん/\きょう/\として、北朝に従順を誓った。俊基と資朝は、当時の公家くげには出色、稀有けうな人物だった。だが、日野家の一族からいわせると異端者いたんしゃであった。その後、俊業は、亡父俊基のこゝろざしを自分の心として、敢然かんぜんと吉野へ走って南朝につかえたが、伯父の行氏が北朝の文章博士でいることに対しては従来の関係からいって、特にいきどおりを感じるといったようなことはなかった。むろん、平安朝がたの伯父の典雅さを、意気地なしと小馬鹿にしてはいたものゝ、格別、憎しみの感情はもたず、自分兄妹が養育された恩誼おんぎは、ありがたく思っていた。
 で、俊業は、内侍に、
「高安へ参らぬとあっては、情誼じょうぎにそむく、人でなしとも、そしられよう」
 と、いった。
 正行まさつらは朝から外出していた。たぶん北畠やかたへ行ったのだろう、と嫂が、内侍に告げた。なにか──虫の知らせか、妙に後ろ髪をひかれるように感じた内侍だったが、やっと決心して迎えの輿こしに乗ったのであった。
 梅枝が、
「内侍さま──」
 と、呼んだ。
 受けこたえがなかった。内侍は、美しいひたいを、悲しそうにひそめながら、睫毛まつげを白い下瞼したまぶたにくつけていた。
 背後の、山の上に残してきた人の引力に、なやむのだった。そしてからだの疲労も、にわかにはげしく感じられた。
 輿は、桜の山を、麓までおりつくした。
 そこは、吉野川の峡谷きょうこくで、路は、谷の崖ぶちに沿い、崖は、絶壁となって、六田むた奔瀬ほんらいに裾をあらわれていた。
 淙々そう/\と流れる川瀬の音を聞いても、やゝしばらく眼をひらかなかった内侍が、
「陽のあるうちに、河内かわちの国境を、越せるであろうか、のう梅枝。──水分みくまりの、楠館──のそばを、この輿は、通るであろうの?」
 そう、いゝながら見ひらいた目で、眺めるともなく川面かわづらを見て、
(おや?)
 と、思った。

 吉野川が、逆に流れている。
(おかしい!)
 いや、路が、川の流れと、逆行ぎゃくこうしている。
(でも、やはり奇異ふしぎじゃ!)
 内侍は、輿が川上の方へ進んでゆくのを、心でたしかめてから、
「あれ、路が、ちがいはせぬか?」
 といった。
「いえいえちがいませぬ。一里ほど上りますれば、上市かみいちでございまする」
 梅枝が、そう返辞へんじすると、内侍はいぶかしげに、
「あれ、上市へ? ──河内へまいるには、吉野川のふち下市しもいちまで下って、それから山路へかゝると、わらわは聞いておったに、げせぬことをお云いじゃのう」
 と、たゞしたが、梅枝はほゝえんだ。
「内侍さまは、地理をおわきまえなさいませぬ。南河内の水分へなら、さよう参るが順路じゅんろでございましょうが、高安は、おなじ河内と申しましても、大和川をこえて北。中河内でございますゆえ、この谷をくだって下市へまいっては、かえって遠まわりに相成りましょう。やはり上市から、竜在峠たつありとうげをこえまして、三輪、大安寺とまいる方が、近くもあれば、路もよろしゅうございまする」
 内侍に、道のりの遠いか近いかの判断がつくわけもなかった。
 梅枝は、京の西、嵐山あらしやまのふもとに、天竜寺が建立こんりゅうされたこと、その天竜寺は、後醍醐のみかどの御冥福をいのるために、尊氏たかうじ将軍が、あらゆるついえをおしまずに建てた一大伽藍がらんであること、そこで行われた「天竜寺供養」が、どんなに盛大だったか、その折の結縁けちえんに、行幸ぎょうこうあそばした上皇のおん行列が、どんなに立派だったか、ということなどを口きらずに内侍の耳へ入れた。
「かしこくも、上皇には、御簾ぎょれんを、おかゝげあそばしましてな、路々につどう老若貴賤の見物どもを、みそなわしたのでございます。ありがたく、わたくしも拝みました。黄練貫きねりぬきのおんに、おん直衣なおし雲立涌くもたてわきの織物でございました。お指貫さしぬきは、たしか薄色でございました。お供は西園寺さいおんじ大納言公重きんしげの卿はじめ、宰相中将忠季ただすえ卿──頭左中弁とうのさちゅうべん宗光朝臣──御本家の資明すけあき中納言さまも、わが館さま行氏卿も、きらびやかな御装束でございました」
 梅枝の言葉は、のべつに続いた。
 輿が半里ばかり進んだ頃、──
 上市のさとはずれには、※(「月+咢」)あごひげが頬一面、眼の下まで、真っ黒ぐろと、すさまじく生えはびこった、筋骨のたくましい武士が、強そうな馬にまたがって、ぎらぎらひとみをひからせていた。
 それは、熊毛髭くまげひげ将監しょうげん──高師直こうのもろなおの家臣にその人ありと知られた豪勇の士、矢板やいた将監であった。
 脇楯わいだて籠手こて臑当すねあてにがちり身をかためた小具足こぐそくいでたちで、おそろしく長い刀をおびていた。そばには、おなじような装束の騎馬武者が数騎と、三十人あまりの郎従が、立ちはだかっていた。
 そこは、吉野川の北岸で、路が追分おいわけになっていて、一方は六田むたへ、岸に沿うてくだる街道、一方は、あぶなげな釣り橋で川を越えて、細い渓川たにがわづたいに、吉野のむらの後ろ手へ、のぼってゆける近道だった。しかし、この近道の方は、輿の通れるような路ではなかった。
「あゝくたびれた!」
 郎従の一人が、路ばたの草原に尻をついて、腰をさすると、二人、三人と、ばたばたとまねて、たちまち十人ほどが、可憐な山慈姑かたくりの花を、尻の下にしきつぶした。
「むゝう眠い! おれは睡っとうて、たまらん」
「まさか、くたびれ儲けになりあしまいな」
「なってたまるか、昨夜よんべはねずの峠越しだ」
慾得よくとくなしに、寝転びたいの」
「ぐっすりと一睡ひとやすみせんことには、どうもならん」
「弱音をはくな。いゝ女のそばになら、二晩三晩は、まんじりともせず喰い下っておるくせに!」
「馬鹿を申せ、そなたとは違うぞ」
心許こゝろもとないて、ちと」
「こう、ひまどってはの」
「心配御無用、出来ばえは保証ほしょうするわい!」
「ふん、お前の知ったことか?」
「ふくれるなよ。うんとこさ御褒美ごほうびが、待っているわさ」
どられたのでは、ないか知ら?」
「猫の子を、ってくるのとは、事がちがう。訳がことなる」
ひなびたれども、雲居に近い、九重こゝのえのおく深い場所からおびき出すのだ。そう、おいそれと参るものか」
「そうともそうとも。どられるはずが、ないではないか?」
「いや、ないとはいわれん」
「いや、ない!」
「いや、なくはない!」
「こう、そりゃなくはないの。今の甚五が口真似くちまねではないけれど、雲井に近い※(「クサカンムリ/(月+曷)」)じょうろうをおびき出すのに、輿こしをかついで行ったのは──大きな声では云えないが、ちいっと念が入りすぎて、過ぎたるはなお及ばざるのではないかのう?」
須野左すのざ。みょうなことをいう。相手が貴い※(「クサカンムリ/(月+曷)」)じょうろうだからこそ、輿もいて迎えに行ったのじゃ」
「だからこそ、尻尾しっぽをつかまれはせぬかと、かく申す須野左門さもん、案じている」
「な、なぜさ?」
「相手が、輿のないひとかよ?」
 一人が「なるほど」と、感心して、
「はゝゝ梅枝それでこしくだけか!」
 と、笑うと、一人が、
「なあにあの腰は、二枚腰じゃ」
 と、首をゆすぶった。
「ほい、いつあらためた?」
「誰れが、たゞで聞かすか。だが塗輿ぬりごしの件は、八幡大丈夫、と思う」
「大丈夫、どられる気遣きづかいはないと、この甚五も思うの。さきが天眼通てんがんつうではあるまいし、まあ考えても見るがいゝ、京のまちが、寝静まってから、今出川のお邸を出て、奈良、櫟本いちのもと柳本やぎもと、三輪と──大和路へ入ってからは、伊賀は名張なばりの佐々木殿館へまいる一行という触れ込みゆえ、たれも、われわれを吉野へ行く者とは考えまいさ。な。三輪の宿で、きのう一日逗留とうりゅうして、楠の主従が河内かわちへ、のこらず帰ったということを、ごく内密にたしかめてさ。の、それから昨夜よんべ、急に夜中ちだ。初瀬はつせへ曲ったものと思わせて、まっすぐに、多武峯とうのみねをこして竜在峠たつありとうげ松明たいまつたよりの山路の暗闇を、寝不足ねぶそくの眼を皿にして、足は擂粉木すりこぎ──らくではなかったよ、なあ! 峠をおりて、朝からずっと、この追分おいわけで立ちん棒、棒のように相成った脚腰あしこしを、ふんばって、上市かみいちむらから吉野の方へは、人っ子は論ないこと、犬一疋、鹿一疋もまだおろか、蛇一本、蜥蜴とかげ一本、通さなんだ。塩焼飯しおやきめしで、腹をもたせて、見張っている目は、だいぶかすむが、熊髭くまひげどのに頑張られては、まぶたを相談させるわけにもゆかぬので、のう──われわれをあやしいと注進に、走って行った人間の、ないことだけは、たしかにわかる。と、すればだ、どうじゃ?」
「いかにも!」
 と、皆が、うなずいた。
「お互に、恩賞おんしょうにあぶれるおそれは、およそないのう」
 そう、甚五がいったとき、騎馬きばの士の一人が、
てっ!」
 と、どなった。
 街道に、輿が見えたのである。
「やあ、来た来た!」
「ござった!」
「おいでなすった!」
 山慈姑かたくりの花咲く草原から、郎従らは、尻をあげて、往還おうかんへかけ戻った。
「とうとうわなに、しめこの内侍ないしじゃ!」
「てへ、かたじけないぞ!」
「おやおや? あたじけないともだな、たった二三人らしいぞ」
「ちえ、張合いがないのう!」
「ぷ。おれたちの、働き場所がふっとんだわい」
「ふっとばした梅枝婆アめ、おぼえていろ!」
「婆アはなかろう、あぶらぎっている」
「二枚腰どころか、十二枚腰じゃ」
「腰か、腕かは知らんが、すごいての」
「そりゃ※(「月+咢」)あごじゃよ、口じゃよ」
「あの口で、手柄てがらを総なめ、総なめ!」
「ちえちえ、いまいましいなあ!」
「これさ、さもしい根性こんじょう、出すまい出すまい!」
 輿の脇で、梅枝が、手をふった。
 熊毛髭の将監しょうげんが、
「御苦労っ!」
 と、馬上で大声をはなった。



追及ついきゅう

 正行まさつらは今朝、北畠やかたをおとずれた。
 それは、親房ちかふさ卿の心をうごかして、朝議ちょうぎの再開をねがうつもりだった。
 こゝ両三年は現状維持、なお形勢けいせいをみてから──という、先日の決議が、なんとしても不服だったのである。正行は、一日も早く、戦いたかった。決して軽々しくはやって、無謀むぼうに功をいそぐのではない。間諜かんちょうは京都からしきりに、高師直と、上杉重能しげよしとの不和、軋擽あつれきをしらせて来る。執事武蔵守師直もろなお、越後守師泰もろやす、播磨守師冬もろふゆ、刑部大輔師秋もろあき、伊豫守重成しげなりなどの高一族と──伊豆守重能しげよし、弾正少弼しょうひつ朝定ともさだ、左馬助朝房ともふさたちの上杉一門との争いは、足利幕府の勢力が、まっ二つに分裂することを意味するのだ。だから時機じきは、すでに熟している。そう正行は考えたのであった。
(北畠の准后じゅんこうは、先帝以来の補弼ほひつ棟梁とうりょうでおわす。その親房卿が、戦機、熟せり、戦わなければならぬ、と一言、みかどの御前において仰せあって下さりさえすれば──鶴の一声。群卿ぐんけいは、さながら群鶏ぐんけいのごとく──おれは、すぐにも開戦が、できるのだが──)
 きのう、俊業としなりと一緒に、四条大納言の館をたずねたのは、大納言隆資たかすけ卿をまず説いて、隆資卿から北畠准后の心を、開戦論の方へかたむくように語らってもらうためだった。俊業も、正行のために、口をそえて、岳父しゅうとの大納言へ極力、申しのべた。
 だが、大納言は、正行と俊業の言葉を、とりあげなかった。
「よしや、麿まろが、いかに申そうと、准后の御心、なんとして動こう。北畠の卿は、東西に征戦せいせんをお重ねになって、多年、兵馬の間に起臥おきふしあそばされたお方じゃ。帝業補佐ほさの尊きおん身でありながら、同時にまた、三軍に将たるべきうつわゆえ、おんずから戦機をみるの明をそなえておられる。なんで他入の言によって、御自身の御判断を、右左されようぞ」
 そういわれては、正行は直接に、親房卿にぶつかってみる外なかった。
 で、今日、北畠館に伺候しこうしたのであったが、親房卿は、昨夜らい、風邪の気味で、なお臥所ふしどにあったので、えっすることが出来なかった。
 館の門をでると、正行は少時すこしたゝずんでいたが、南へ歩きだした。
 供の郎従、橘内きつないが、
「いずれへ?」
 と、伺うと、
御陵みさゝぎへ」
 と、答えた。
 しばらく歩いて、左へわかれる木下路このしたみちを、はいってゆくと、そこには、先帝、後醍醐院の御陵ごりょうがあった。
 おそれおゝくもかりの宮居、おんわびしき行在あんざいと定められた吉野寺よしのでら、吉水院如意輪寺の客殿の、裏手の築地ついじぎわから高まる丘陵の一端に、常盤ときわの緑と、年ごとにめぐむ※(「女+束+欠」)わかばの、濃淡に、いとも蓊鬱おううつと、おゝわれつゝ、かんさびてある御陵の御まえに、正行は、ひれふして、黙祷に時をうつした。
 そして、頭を、もたげてからも、容易に目をひらかなかった。
「──身は南山にうずむといえども、しんはつねに北闕ほくけつを望む」
 正行のくちびるから、低くもれるのは、おんいたわしき、先帝の御辞世のみぎりの、御詠ぎょえいの句であった。
 まぶたの間から、滂沱ぼうだとして、涙がわいた。涙は、青白い頬を、つたい流れた。
 やがて御陵前を辞した正行は、木下路を戻ったが、さとの方へはかえらずに、足を山路やまじへむけた。
 橘内が、また、
「いずれへ、お越しなされます?」
 と、云った。
「奥のやしろへ」
 と、正行は答えた。

 十町ほど、登ると、山路は奥の千本の、さくら林のなかに入った。
 橘内が、うしろから、
「下の千本は、もう昨日あたりから散りはじめましたし、鎮守ちんじゅのお社、蔵王権現ざおうごんげんうらの、中の千本も、どうやら色があせかけたようでござりますが、こゝは、ちょうど七八分──山の深いせいでもござりましょうが、花は満開よりも、半開からこのくらいが、眺めどころでござりましょうな」
 そういったが、正行はだまったまゝ登って行った。
 ほんのりとべにをとかした白雲のなかを、わけのぼるようで、花は申分なくめでられたけれど、あるじの殿のうしろ姿が、なぜかしらひどく淋しげに見えるのが、橘内には気にかゝった。
 桜花の中を、五六町のぼると、金峰きんぷ神社の社頭だ。そこは、吉野連峯ちゅうでは、最も高い場所だった。
 正行は、神前にぬかずいてから、眺望のきく地点へ行って、腰をおろした。やしろの附近には、青侍あおざむらいをつれた公家が二三人、吉水院の衆徒や里人さとびとの間にまじって歩いていたが、このあたりは、ちょうど人影が絶えていた。
 吉野川の大きな峡谷が、正行の目の下の、如意輪寺の森や、蔵王堂ざおうどうのいらかなどの彼方に蜿々えん/\と横たわっていた。
 正行は、その峡谷をへだてた西の空に、自分の領土の標識ひょうしきをなす金剛山の、峯をながめた。
 金剛山は、葛城かつらき信貴しき生駒いこまとつらなる金剛山脈と、紀伊見峠きいみとうげ槇尾山まきのおやま牛滝うしだき根来ねごろの峯をつなぐ紀伊山脈とを、左右の両翼に従えて、こゝ吉野