直木賞受賞作
第2回(昭和10年下半期)受賞

吉野朝太平記

鷲尾雨工

第一巻 昭和10年7月・春秋社刊、松柏館発売




師直もろなお放縦ほうしょう

「うふゝゝ、ういやつだ」
 そう呟きつゝ、高師直こうのもろなおは、几帳きちょうのかげから現われた。
 白絹の布帛きれで、濃い胸毛の、ふとく縮れたのにたまった汗のたまをぬぐいながら、つりあげてある半蔀はんしとみの下まで出て、熱ぼったい息をあらく吐きだしてから、ふかぶかと外気を吸ってほゝえんだ。
 庭苑にわは桜花の夕ぐれだった。
 西の対屋のろうてすりに、寵愛の側室そばめ──側室には違いないが、二条関白の妹姫だから、実にやんごとない高貴な身分なのである。だが師直の愛子五郎丸を心ならずも産まなければならなかった──その二条御前ごぜんづきの女房たちのもたれているのが、花の隙間すきまに、おぼろに見えた。
 師直は、
小渚おなぎさ──」
 と、女の名を呼んだが、答えがなかった。
 几帳のかげでは、小渚が装おいをなおしているらしく、うちぎのすそが、ほの暗い中でゆらいだ。
「どうじゃな、三位卿よりも頼もしくはないか?」
 師直は、脂ぎった鼻と、厚い唇をゆがめた。小渚は、文章博士もんじょうはかせ、日野三位行氏ゆきうじ卿の愛妾だった。
「これさ、もはや恥じろうにも及ぶまいに、さあ出てまいれ」
 ほうも、表袴うわばかまも、ぬぎすてて、下がさねの襟をはだけ、ながい石帯しゃくたいと、金蒔絵の太刀とを、床にほうりだして──。でも、頭には、巻纓まきふさ老懸おいかけをかぶったまゝの師直であった。
 きょうは、洛西の天竜寺に、持明院法皇じみょういんほうおうが、嵐山の花をみそなわした。師直は、それに扈従こじゅうし奉った供奉ぐぶの正装を、ふだんの狩衣かりぎぬに着かえる暇さえ惜しむほどに、あわたゞしく、こゝ一条今出川の、自分のやかたの東対屋の一間へ、女をひき入れたのであった。
「小渚。まいれと申すに」
 ふたゝび呼ばれて、女は羞恥しゅうちをおびつゝ、師直のそばへ歩みよった。その柔かな手くびを、ぎゅっとらえて、
「約束の品々を、とらすぞよ」
 そういって師直は、あかあかともうのはいった別室へ、小渚をつれてゆくと、
「おゝ!」
 おもわず驚きの目をみはったのも道理、台のうえにうず高く、まばゆいほどに見事な錦のあやが、女人のこころを惑わさずにはおかぬような絢爛けんらんさを、きらめかしつゝ積みかさねられてあったのだ。
「なんとまあ、あでやかな綾錦あやにしき!」
 手を、胸に──。動悸どうきをおさえて、
「あの──これを?」
つかわすのじゃ」
「くださる? くださるのでございまするか?」
「そのつゝみも取らすぞ。こなたの台の上のだ。それをあけてみい」
 高脚の台のうえには、縫箔ぬいはくの布づつみが載っていた。
 なかばは夢心地で小渚が、つゝみをとくと、なかは、燦然さんぜんとかゞやく砂黄金すなこがね──。
「あっ!」
 あぶなく倒れかけて、ようやくひじで、からだをさゝえた小渚であった。目をつぶって、ひたいには八の字を刻んで、たしなみも、すっかり忘れて、あえいだ。
「なんと、嬉しかろう? 師直は、いつわりは申さぬぞ。遣わすと云ったら、かならず遣わす」
 と、こだわりなげに笑って、
「首尾よく、三位卿ときたかたに因果をふくめて──納得なっとくをさせて、梅枝うめがえとかをおとりにつかって、吉野の宮居みやいから、このわしの、首ったけの──な、あらん限りの財宝にかえてもと──それほどに想いこがれているあの美女たおやめを、まんまとおびきだしたなら、ふゝゝゝ──」
 目尻に、卑猥ひわいしわを、ふかぶかと寄せて、
「このふところに、しっぽりと、かいいだかせてくれさえすれば、成就じょうじゅの謝礼には、どんな褒美でも、およそ望みのまゝであろうぞ。なんの、これしきの、当座とうざの引出物は、ほんの手附てつけだ。ふとした出来心から、そなたをもせがんだ、そのむくいは、また何ぞ別に考えよう。わしは女に、物吝ものおしみはせん」
 四十代を、なかば過ぎたとは思われない師直の、さかんなあから顔を、いかにも霊験れいけんのあらたかな、福運の神でも仰ぐような気持で、小渚は見あげた。
「きっと頼んだぞ」
「はい」
 女の肩に、大きなたなごころをかけて、片手が、黒髪をなでた。
「立ち戻って、申すべき筋道は、忘れはしまいな? 先刻いゝ聞かせたとおり──よいか?」
「はい」
「師直に逆らわば、誰であろうと容赦ようしゃはせぬぞ。顔世かおよを出し渋ったために、身をほろぼしたのが塩谷えんや判官ほうがんだ。かんがみていましむべき前例だぞ。くつがえった車のわだちは、心して踏まぬようにと──まずきたかたに申せ」
「はい」
「わしの所望に、かぶりをふった菅宰相かんさいしょうも──なんぼ菅原道実すがわらみちざねの子孫であろうと、いかに北野の長者であろうと、な、あの最後じゃ。公卿くぎょうでも、殿上人でも、この師直に睨まれたら、いのちはなかろうと、三位卿を、おどかすのじゃ」
「はい」
 さすがに怖気おじけだちながらも、小渚が、
「わたくしに叶いまするかぎりは──」
 と、答えたとき、襖へだてた彼方かなたの廊で、
「師直、師直」
 と呼ぶ、従弟の、播磨守師冬もろふゆの声がきこえた。

 頭にだけ、勿体もったいらしく老懸おいかけをつけた、変妙な姿が目に入ると、
「な、なんでござるらちもない、その風態なりは!」
 師冬が、いらだった声で、とがめた。
 だが、みだらなかたちを、一向はじる気色けしきもなしに、師直は落着きはらって、
「用か?」
「師直」
 あきれた眼で師冬は、従兄と、ついぞ見知らぬ女とを、見くらべて、太い眉をぴくぴくとしかめた。
 すでに膏肓こうこうに入った悪癖ではあるし、師直ほどではなくても、師泰もろやすも、師秋もろあきも、また師冬自身にしても、決して女あさりは嫌いどころか、こうの一家一族は、その道の達者ぞろいなのだが、いま、容易ならぬ噂を、聞きこんで駆けつけただけに、腹にすえかねた思いで、
「一大事が、起りかけておる」
 と、叩きつけるようにいうと、
「ふうむ、一大事がの」
 師直は、まるで他人ひとごとらしく呟いた。そして手を伸ばして、小渚が躰をさがらせていたのを、またも身近に引きよせて、
「あれ、武州ぶしゅうさま!」
 と小声でこばむのを、小脇にかゝえて、白い頬にほつれるびんの毛を、まさぐった。
「女を、女をはなたれい」
「大切な女だ。感心な心がけの者だぞ。ぬしがせくなら、こゝで聞こうではないか。かまわん、申せ」
「細川、畠山、石堂、吉良きらなど、十五六人の大名らが集っている」
 師冬が、ひげのあついあごを、つきだすと、
「上杉の屋敷にか?」
「おう、御存じかもはや?」
「いや、知らん。話せ」
「上杉も、今日という今日は、堪忍袋かんにんぶくろの緒をきらしたと見える」
連判れんばんでも、つくろうというのか?」
「お身の、毒舌どくぜつのたゝりだ。のどかなるべきお花見の御遊ぎょゆうに、月卿雲客げっけいうんかくのつらなる前で、あのように完膚かんぷなきまでに、のゝしられては上杉とて、無念骨髄むねんこつずい、つね日ごろお身をうらむ宗徒むねとの大名らを鳩合きゅうごうして、下御所しもごしょ弾劾だんがいの決議をつきつけるかも知れぬ。いや、きっとそういたすであろう。下御所にとっても、お身は目の上のこぶじゃ。うっとうしゅうて、こらえかねてござるぞ」
 下御所というのは、足利将軍尊氏たかうじの弟、直義ただよしのことである。
「ふゝゝゝ!」
 と、師直は、あざけり笑って、
「連判に、頭かずがそろわば、わしの地位、あやうしとぬしは申すのか」
「それはお身への、将軍の御信頼を疑いはせぬが─」
「なら、案ずるな。執事しつじの権能を、わしからうばう力が、直義どのにあるものか」
 執事というと、名は軽そうにきこえるが、実は将軍の代理者ともいえる権力を、がっちり握っていた師直であった。だから天下の副将軍とあがめられる直義にたいしてさえ、一歩もゆずろうとはしなかった。
「しかし──」
 と、師冬は、頭を横にゆすって、
「国々に、戦雲うごきつゝある時ならばいざ知らず、吉野がたの、おもなる大名小名が、なかばはほろび、のこるは屏息へいそく、意気なえて、康永こうえいこのかた、すでに五年の泰平つゞきだ。それゆえ、わしらの武力も、ひところほどにははばがきかぬ。世がおだやかでは、弱いやからの、人なみづらが通る。われわれこうの、兄弟従兄弟いとこが、いかに戦ったかを、彼等はわすれて、たゞたゞお身の、権勢と、とみを、にくみ、うらやんでいる。しかるにお身は、強気つよき自儘三昧じまゝざんまい──認識をかいた豪奢のたらだら」
「はゝ、なにがたらだら」
「美邸に住むもよし、美女を蓄うるもあながち悪しくはなけれど、ほど、ほどがござろうぞ」
「いうな。おことまでが──」
「いや申す!」
 百戦不撓ふとう双肩もろがたを、ぐいとそびやかして、
「かくいう師冬、そもそもこのやかたが気に入らん」
「さようか。だが、わしには、かなり住み心地がよい。雑賀石さいがいしの巨大なのを運ばせて、築山には、宇津の峠のおもむきをかたどったし、泉水には、難波なにわあしのながめをうつしたでの」
「そ、それがよくない。悪うござる」
普請ふしんにも、念を入れたぞよ。寝殿しんでん対屋たいのや──泉殿いずみどのから渡殿わたどのまわり──」
「武州っ!」
 と、師冬はさえぎって、
「武弁武士の棲家すみかには、とんと似合わぬ構えじゃ。身どもが気にくわんと申すのを、ふにおちぬげなしらじらしさが、よけい面白うござらん。将軍家の土御門つちみかど東洞院御所をも、はるかにしのぐ結構ずくめは、ぶんをわすれた贅沢ぜいたくだ。栄燿えようだ。あの唐門からもんのきらびやかさは、だいそれた潜上せんじょうだ、下剋上げこくじょうだ。そしられても弁疏べんそことばはござるまいぞ」
「あるある」
「え、なんと?」
威圧いあつのためじゃ」
 せまらぬ声で、師直は、おゝどかに答えつゝ、女の黒髪の下で、頸窩ぼんのくぼをいろうた。
「あァれ殿、殿──」
 小渚が身をくねらせた。

「のみならず」
 と、師冬は、ふたゝび肩を、そばだてゝ、
さきの関白、二条公の姫ぎみを、掠奪りゃくだつもひとしい手段でねやにいれたのを手はじめに、眉目みめうるわしとあれば、見さかいもなく、およそ東武士あずまぶしとはつり合わぬ雲上、高貴の女性をもてあそばるゝは、お身の病いだ。師直、御辺ごへんの、うりょうべき病患びょうかんじゃ」
 はげしい語気を、やはり軽く、
「ちがう、違う」
 受け流して、膝のうえでもがく女を、抱きすくめながら、師直が、
「それも、これもだ──」
 と、てらてら脂肪しぼうびかりのする自分の顔を、そむける女の頬さきへ、もって行って、
「みんな、武将の威光というものを、かゞやかすのに役立つのじゃよ、あやかれ、あやかれ」
 臆面おくめんなしの頬ずりに、師冬は、むかむかとなって、
「つ、つける薬がないっ!」
 たちかけると、
「まて。わしの薬味やくみの、処方だけきいてゆけ。播磨はりま、──末法堕落まっぽうだらくのいまの世に、なまじいな説法やおきてで、人の統治がつくと思うか? せんずるところ実力で、否応いやおうなしにおしつけるおしの一手じゃ」
「ほう! 色におぼれ、栄華をすごすのが、世を治むる秘訣おくのてとは! なるほど、こりゃおしの一手かしれぬて」
 師冬が、皮肉に苦笑にがわらいしながら、座を立つと、師直はようやく真顔まがおで、
「建武のみだれは、なぜ起った? 公家くげをのさばらせては、政治はとれん。殿上人の増長によってかもされた大乱をしずめたはわしの弾圧政治だ。大塔宮だいとうのみやの御生母、民部卿三位局さんみのつぼねの旧御所を、こうして我が邸に造りかえたのも、ふかい所存があってのことだ。わしは、ことさらに身分の高い姫たちに寝屋のとぎをしいるのじゃ」
 従弟が、
(だめだ! 病いは骨がらみ──)
 そう思った時、
「見るがいゝ──」
 と、師直は、おゝきな小鼻を、うごめかして、
青公卿あおくげたちの、今日きょうびの柔順さを。あだかも猫じゃ。いまの猫ども、かつては建武の虎であったぞ」
 小渚の、ふくらかな肩が、きぬごしに、なであげ、なでおろされた。巌丈がんじょうな腕に、さっきから抱えられつゞけているのだ。
「建武の乱は──」
 師直は、従弟のひとみを、じっと見あげて、
「ひっきょう、尊氏たかうじの殿が、公家くげを甘やかしなされ過ぎたことにきざした。雲上人に、武の力を、分譲されたのが、間違いのもとだった。護良もりなが親王のおんことは、申すまでもあるまい。親房ちかふさ顕家あきいえ両卿に、奥州の軍権をにぎられたがため、わしらは長い年月、いかに苦労したか? 暦応りゃくおうのたしか元年、青野ガ原のいくさを、おぬし忘れはせぬだろう?」
 鎌倉をおとしいれて、破竹はちくのいきおいで上ってきた北畠顕家卿の大軍と、美濃の青野ガ原で戦ったのが、師冬だった。奥州鎮守府の兵は、つよかった。
「命が、危うかったではないか」
 師冬は、敗れた。そして追われた。鎮守府ちんじゅふ将軍顕家卿は、畿内きないに入った。
「わしは、安倍野と石津で、手いたい戦をしなければならなかった。あのときは、師泰もろやす師秋もろあきも、必死だったぞ」
 師直が負けたなら、京はたもてなかったにちがいない危機であった。しかし、高の主力軍と決戦した顕家卿は、武運にめぐまれずして堺浦さかいうらの、乱闘のちまたの哀れ露と消えた。
「のう師冬、その後も東国で、親房卿は、なん年おぬしを手こずらせたか──」
「昔話は、やめてほしい」
「健忘症でも、関城や、下妻しもづま城をかこんだ折に、なめた辛苦は舌のさきに、こびりついておるはずだ」
 奥州の武力が、常陸ひたちに拠った親房卿の城々を、後詰ごづめした。くすのきは、湊川に死し、新田にったは越前に斃れたが、親房卿は、その嫡男、顕家を陣沒させても、ほこをおさめようとはしなかった。師冬はさんざんもてあましたのであったが、それはもはや過去の記憶というだけのもので、いまや目前の敵はけっして南朝なんちょう方ではなくて、味方の内部に、幕府のうちにあると、そう思わずにはいられなかったので、
「もし上杉が、非常手段に訴えなば、なんとなさる? さあ、それ訊きにきたのだ」
「非常手段? ばかな!」
 膝の女を玩具おもちゃあつかいに、ぐるり向き変えらすと、うちぎの裾が床になびいた。
「あれ、ごめん遊ばして──」
 と、躰をちゞめて、小渚おなぎさがかこつと、師冬も、我慢がまんできずに、
「見苦しいっ!」
 どなったが、師直は、傍若無人ぼうじゃくぶじんだった。
「やくな、やくな」
「ちえ、れ狂う時かっ! 対策をきこう、対策を」
「上杉が、重能しげよしが──ふん!」
「そりゃ傲慢ごうまんでござるぞ、武州っ! 上杉は、将軍家の外戚がいせきだ」
「人を買いかぶる前に、おのが値打ねうちを知れ」
「おみは、弾劾だんがいを怖れぬのかっ?」
「わからぬ男じゃ、帰れ!」
「後悔なさるな!」
「たわけめ。足利あしかがの天下にしたのは、この師直だ」
「よし! あとで詫びさせてやるっ!」
 師冬は、ゆかをけって、渡り廊へ出た。
 あまりにも思いあがった師直には手がつけられぬ。が、高一門の、浮沈ふちんの瀬戸は、近づいている。指図はなくとも、備えなくてはならん。師冬は、そう考えながら、ながい廊下をいそいだ。

 小渚と、引出物を、日野邸へ送りとゞけるように、師直が郎従にいゝつけたとき、老臣の益子ましこ弾正が、もうかなり老いしなびた顔を暗くして、対の屋へ入ってきた。
 そのあとから、矢板将監しょうげんがついて来て、弾正と共に入側いりがわの、はしにすわった。顔一ぱいの熊毛髭で名の通った、この将監は、戦場場数ばかずの勇士だった。
「殿──」
 両人ふたりは諌めに伺候しこうしたのであった。
「お詫びごとの使者を、おたてなされませ」
「なに、詫びごと?」
 師直は、元弘以来、自分のために犬馬の労をおしまなかった弾正入道の、懸念顔けねんがおをながめて、
「おれに、あやまれというのか?」
重能しげよしの殿は、上杉家の御当主じゃ。将軍さまとは、お従兄弟いとこどうし、院の昇殿をいの一番におゆるされになった方でござります」
 弾正が、そういうと、熊毛髭の将監も、
「建武の三年、正月の加茂川原合戦に、将軍家のおん身代りとして、討死されたは上杉の御先代、兵庫入道憲房のりふさどのでござりましたぞ。まった延元は三年、わか葉のはつ夏──」
 と、述べかけるのを、
「風も、緑に、かおるころおいか」
 そうさえぎって、師直は、狩衣かりぎぬの腰ひもをしめた。侍女たちが、礼服をたゝんで、装束筥しょうぞくばこにおさめた。
「阿倍野の決戦には、憲藤のりふじ重行しげゆき、御兄弟があっぱれ奮闘、お命を捨てられました。上杉こそ、勲功随一のお家がらでござります」
 熊毛髭が声をはげますと、
「将監──」
 にやり微笑をうかべつゝ、師直は、黄帛縁きぬのべりのしとねに、どっかり坐って、
「おれは、師冬にわめかれて、もう耳がつかれた。ほかの話ならいとわぬが、上杉の太鼓たいこだけは、たゝくのをやめい」
やかた──」
 と、首をゆすぶりながら、弾正入道が膝をすゝめた。
 師直は、
「言ってきかすが──」
 と、かぶせて、侍女のはこんできたらんの湯を、一口すゝってから、
「そのほうらは、上杉をなにか大層な名門かのように考えているが、公家出くげでといってもたかの知れた故実有職こじつうそくの家筋でしかないぞ。わが高の家とて、惟頼これより下野しもつけに土着して武士となるまでは、やはりみやこの公家仲間だ。御堂みどう関白の世の春宮亮しゅんぐうりょう業遠なりとお、その子成佐なりすけ、孫、惟章これあきら、みな学業をもって朝廷につかえたのだ。もとよりおれは、公家などをうやまいはせぬ。だが、家柄からいっても、上杉と劣る高ではないのだ」
「でも兵庫入道どのは、将軍家のおん母ぎみと御兄妹であらせられた」
「弾正──。おれの先祖は、将軍家の祖先、足利義国の弟じゃ。だが、そんなこけの下の詮議せんぎよりは、なまあたらしい武功だ、手柄だ。そして現在の腕が、ものをいう」
 師直は、そういってから、侍女をかえりみて、
酒肴しゅこうをもて」
 と、命じた、弾正と将監は、目を見合わせた。
「この両人ふたりにも、飲ますのじゃ」
 侍女は、かしこまって立った。
「おれの心祝いを、その方らにもけてつかわす。じつに素晴らしくよいことがあるぞよ。まだ、ほんの前祝いだが、こらしょうのなくなるくらい嬉しいのだ、わははゝゝ!」
 師直は、腹の底からわらって、あきれいぶかる両人へ、
「しかめ面を、すきな酒で洗いおとせ」
 そういうと、将監が、
「お酒どころでは、ござりませぬ。すわといわば、間に合うよう、屋形を警固かためなくてはなりませぬ」
「馬鹿め! 誰れが寄り合おうと、泣き寝入りだ。いらぬ心配は、あたまから追ん出して、飲め飲め。そちには、一骨折ってもらいたいことがあるぞ、将監」
「は。拙者それがしに?」
「とても、大儀なつとめだぞよ」
「はあ」
「仕おわせたら、恩賞は莫大ばくだいじゃ。しかと働いてくれ」
「殿、いかなるお役にござりましょうか?」
 熊毛髭が見上げると、
「飲みながら、申しつける」
 師直は、にこやかに答えた。



京の日野邸

「え、戻った? あの、小渚おなぎさが、も、もどったとや?」
 日野行氏ゆきうじ卿が、叫んだ。
 もはや帰らないものと、かなしくも諦めきっていた鍾愛しょうあいの女が、ふたゝび我が屋形に──と聞くが早いか、死びとのように青ざめたかおに、さっと血の気がもどったのである。
 けれども、まだ疑ぐるように、
「まことか? まことか?」
 いとも仰山ぎょうさんにわめく三位行氏卿は、文章博士もんじょうはかせで、大学頭たいがくのかみだから、当今の碩学せきがくに違いないが、いたって小心の臆病もので、人がらは一向すぐれていなかった。
「おみごとなお引出物を──」
 そう、侍女の梅枝うめがえがつげると、
「な、なに、引出物?」
 まず、自分の耳を信じなかったが、たちまち、
「おゝ!」
 があんと、不安にうたれて、
「小渚、小渚を、はよう!」
 呼べといわれて、梅枝は、
「あの──たゞいま、北の方さまと、お話し中でございまする。なにやら、おひそやかに、人をお遠ざけになりまして」
 と、答えたので、ますます勘違いした三位は、またも血相けっそうを蒼白にかえて、北の対屋へと走って行った。
「おゝわがつま!」
 北の方は、三位をみるなり訴え声で、
「高の執事どのが、御難題を──」
「引出物──引出物で、あがなおうと申すのであろう? あゝ錦の山、あやきんらん──」
 と、はこびこまれた贈り物へ、目をすえて、
「むゝ砂黄金すなこがねの、おゝづつみじゃな。宝をつんで、小渚──小渚──」
 愛妾を、ひしとかゝえて、
「そもじを、買おうとは、憎いわ僧いわ、えゝなんとしょう?」
 と、取乱して、女々しくうめく三位へ、北の方が、
「あれ、さようではございませぬぞえ、つまの卿」
「いや、そうじゃそうじゃ、へびの前のかえるだ!」
「いゝえ、蛇は蛇でも、蛙は小渚とおもいきや、とおい吉野の──」
おろちにねらわるゝ小兎だ、小渚おなぎさだ。あゝ小渚だ! のがれようとて──」
 三位は、北の方の言葉もきこえないらしく、そう歎きわびながら、愛妾の肩からゆかにくずおれたまゝ、ぐったりと俯伏うっぷしたので、小渚が、のぞき込んで、
「もし、卿さまの、おぼし違いではございませぬか? やかたさま! 武蔵守どのゝ御執心なのは──」
「いやいや外道げどうだ、鬼畜だ! おそろしいのは魔性ましょう師直──」
 むっくりと顔は、もたげたが、文章博士の魂は、ひらいたひとみから、ふらふらとぬけて出たかのようであった。空虚うつろになった。脳裡のうりには、高武蔵守師直の所望を、にべもなくしりぞけたがために、無残にも、横死おうしをとげた北野の長者、菅宰相かんさいしょうのいたましさが、たゞ一ぱいにひろがった。
 と、にわかに目先が暗々くら/゛\となり、斬りおとされた自分の首と、真紅の血潮をふく胴体とが、まがまがしいまぼろしに描きだされた。
「あっ!」
 恐怖のさけびと共に、むちゅうで頭上のかんむりを、両手でつかんで、あおに倒れたから、おどろいて北の方と小渚は、右と左から、介抱しつゝ、
「わがつま!」
「卿さま!」
「もうし、師直どのゝ懸想人けそうびとは、吉野の宮居に住もう女でごさいまする」
「わたくしはただ、頼まれましたのみでございまする」
「のう、お気づよう、夫の卿! 小渚は、なかだちを、橋わたしを、いられたまでゝございまする」
「お引出物は、申さば、お周旋とりもちしろの──お手附──。媒介なかだちを、首尾よう果たしたなら、お礼は望みのまゝ、館さまの思召し次第とございました。さあ、おこゝろをかと──」
 小渚は、女子よりも弱い性根しょうねの行氏卿を、たすけおこして、背中をさすった。
 と、どんよりまなこをひらいて、
「おゝ、そんなら懸想人けそうびとは、小渚、そもじでは、あらざりしか?」
「はい」
「さらば──さらば誰れぞや」
「吉野に、宮仕えなされます、弁内侍べんのないしさまでございまする」
「なに、弁内侍とや?」
 しまりの失せた、三位の下顎したあごを、小渚はいつになく、さげすむ気持で眺めるのだった。
 ──三位と師直! こうも差別さべつのあるものか? 暴虐でも、理不尽りふじんでも、あれほど強い武家と、みやびやかがよいにしても、かくまで弱々しい公家くげと──いずれが、このもしい?
 あくどい師直のうつが、まだ消えずにいた。小渚のこゝろは、あやしく動いた。

 日ごろは、どこまでも物やさしくて、学にはひいで、詩歌の道にも堪能たんのうな、大宮びとの師表で、まことにいみじき文芸のおさであり、経史のつかさであると仰ぎみていた自分のあるじに、今宵こよいは思いがけもなく幻滅をおぼえた小渚おなぎさであった。
「へだたる吉野の、内侍をば」
 そう、三位はいったが、小渚は答えなかった。
 心がまるで顛倒てんとうして、推理すいりの力が、どこへかけしとんでしまったらしい行氏卿を、今出川やかたでの師直の、山がくずれてもおどろかぬ態度に、ひきくらべていたのだった。
(播磨守師冬どのほどの豪傑ごうけつが、一大事といってあわてるのを、ぐいとおさえて、言いまくるあの御胆力ごたんりょく──そしてまあなんという、きびきびとしたおつむりの働きよう!)
 三位へは、北の方が、
「内侍は、いとけない頃からたまをあざむく、顔かたちでございました。吉野へまいって後、もはや十とせ、うるわしいつぼみがさぞ、あでやかに花咲いたことでございましょう。噂によれば、俊業としなりどのも、妹の内侍のために、よい婿がねを探しておらるゝとやら申しまする。──南山なんざんの若公家たちは、われこそわれこそときそいたっておるとやら、街のわらんべまでが取沙汰とりざたいたしまするものを、師直どのの白羽の矢がむいたとて──なんでそのように、わが夫には?」
 と、きかれて、
「身が、いぶかるは、非道ひどうの高が強淫ごういんではないぞよ。たゞ──」
 いゝさして、太息といきとともに、うなだれつゝ、
「橋渡しを、まろのいとしむ小渚に、強いた心が──?」
「それとても、あきらかと、わらわはあやしみませぬ。内侍は、父ぎみ俊基朝臣なきのちは、この館にひきとられ、伯父ぎみなるわがつまをば、実の親とかわりのう、したわれつゝ育ったひとでございまする」
「お方、お身はそう云わるゝが、南山の賢所かしこどころ掌侍しょうじをつとむる内侍を、まろが力で、なんとしょう? 陣鐘矢叫じんがねやたけび、さいわいやんで、こゝ五六年、天下はからくも穏かだが、天竜寺の供養ごときで後醍醐の院の、おん尊霊みたまなごまろうか? 北畠の親房卿はなおすこやかだし──楠の一族は、ひそかに武をねり、ほこをみがくとか聞く。吉野の欝憤うっぷんは、ふかいぞよ」
 三位はやっと、どうやら文章博士らしく、そして五十という歳に手のとゞいた中老相応そうおうな、分別がおを、夫人へ見せて、
「殊に、内侍の兄、俊業としなりは亡父のこころをうけて、南朝に忠勤をはげんでおる。幼少のころは、内侍ともども我が家にあって、まろになついてはいたけれど、吉野へ走ってこのかた、かりのたよりも絶えてない、うとましさだ。北と南にわかれては、それも詮ないことではあるが、そうした兄をもつ内侍がもとへ、いかに、まろが言い送ろうと、とてもとても! こりゃ、山を動かせよ、海をうずめよ、とうるにもひとしい難題じゃ。無体むたいじゃ」
 そういゝおわって、うちしおれると、
「そりゃ師直どのとて、やすきわざとは、おもわれませぬ。まともの手だてでは、おぼつかないとあって、たばかりうばうたくらみを、彼方かなたからお授けでございまする。のう、小渚」
「はい」
「なんと? いつわって奪えと──?」
「北の方のおん文を、梅枝にたずさえさせて、吉野へつかわせ、との事でございました」
 と、小渚はこたえて、いまはむしろ、師直に味方する気持で、
「このはかりごとが、成就じょうじゅのあかつきには三位の官位を進め、かつは所領をも、たんまりと参らそうが、もしけがわせ給わずば、おん身の上、よもや安穏あんのんではあるまい。先には塩谷判官、近くは菅宰相、在登ありのりの卿のためしもある。前のわだちは、ゆめ踏みたもうな、とございました」
「おゝ、けがわずば、安穏あんのんではあるまいと?」
「はい」
「申したか」
「はい」
 まっさおな三位のかおが、ぎゅっとゆがんで、ひきつった。
「あゝゝ、まろは見こまれた! まろは──北の方──どうしたら、大蛇おろちに、よい智慧が、いやいやお身に、よい智慧がないか、大蛇の※(「月+咢」)の、にえとならずに──」
 と、三位は、頭も、舌も、しどろもどろに、
「どうじゃ、分別は? 思案しあんは、これさ思案は、小渚、そもじは──頼む。まろは、まろはもう考える力がない、あゝ! 目が、目がくらむ」
 うめきつゝ、どっと倒れたのだった。
「北の方、小渚、う、う、う──」
「いたわしいけれど、内侍をにえに──」
 三位卿夫人は、そう呟いた。
 小渚が、
梅枝うめがえを、お呼びなされませ」
 と、いうと、北の方がうなずいた。
 燭台しょくだいの灯がゆれた。庭さきから、なまぬるい微風そよかぜが入ってきたのである。待賢門外の春の宵は、もの静かにふけて行った。
 二十四年のむかし、後醍醐のみかどの、おん股肱ここうとして、正中しょうちゅうの変の中心人物となった日野俊基としもと朝臣あそんは、この館のあるじ行氏卿の弟だった。まことに似つかない弟と兄であった。弟は、討幕の志がならず、捕われて鎌倉へおくられた。そして仮粧坂けはいざかで斬られた。公家にはまれな、たんのすわった人となりであった。ところが兄は、今、師直をおそれて、婦女子までがさげすむほどに見苦しく、とりみだした。そして弟の遺した子、弁内侍は、師直という淫魔いんまへのにえにそなえられようとしているのだった。



水越みずこしとうげ

 大和やまと河内かわちの国ざかい、水越峠のいたゞきが、峠路とうげみちにけずられた崖の赭土あかつちを、あかるい春陽に反射させていた。ふかい渓谷は、白雲でうずまったかとまがうばかりに、らんまんと山桜を咲かせていたし、渓谷たにからそばだつ懸崖を、めぐりめぐり登る坂みちが、薄緑うすみどりにもえでた喬木林の、※(「木+無」)ぶなかしけやきなどの梢を、縫いつゞるかのように見えた。
 峠の尾根は、北のほうへも、だんだん高まって、国境を蜿々と走るのであるが、南はすぐ急勾配きゅうこうばいで、その斜面は、千古斧鉞ふえつをいれない常緑の大森林を、おごそかに抱きつゝ、金剛山こんごうせんけわしい峯へつらなっていた。
虎夜叉とらやしゃ──。あの山のおかげで、ずいぶん遠廻りさせられるのう」
 と、馬上で、次郎正時まさときがいった。
 おなじく馬上で、弟の虎夜叉正儀まさのりが笑った。
「はゝゝゝ。おかげで、千早ちはやの城は堅固けんごなのだ。小言も、いわれますまい」
 正時は、手綱たづなをつめて、
「だがの、吉野がよいには、まこと邪魔じゃまだぞよ」
 正儀の馬が、いなゝいた。
「なんの。馬にあるかせて。──山国そだちのくせに、次郎兄も案がい栄耀えよういわるゝよ」
 そう、正儀がいうと、
「──虎夜叉」
 と、正時は背後を、ちょいと振り返って、弟と視線を合わせたが、すぐ向き直った。
「お身は、あいかわらず籠城ろうじょう万能論らしいが、わしは別じゃ。山地の戦よりも、はなばなしい野戦を好む」
「次郎兄は、すっかりと兄上にかぶれめさったな。あまり、ほめらるゝことではござらぬぞ」
「なに、ほめらるゝことではないと?」
 とがめる語気でいったが、こんどは背後をかえりみずに、
「兄上正行まさつらにかぶれることが、悪いというのか? かぶれるなどという言葉が、第一よくない。気にいらん」
「かぶれたが悪いとは、決して申さぬ。また、あなたが、心から同感なされたとすれば、なおさら結構じゃ。たゞしかし、この虎夜叉は、ほめませぬぞ」
「ふゝゝ、お身らしい言い方をするわい」
 正時は、そういって口をつぐんだ。
 弟の馬は、兄の馬のしりに、鼻をすりつけながら、坂を登って行った。
 徒歩の郎従どもは、小半町もおくれていたし、恩智おんち興武おきたけとその家来らは、その後からだった。そして和田一家の人々は、すでにはるか目の下になった桜の林のふちから、まだ姿を現わさぬほどおくれていた。
 楠正行のふたりの弟、正時と虎夜叉正儀は、いま、吉野から河内へ帰る途中なのであった。

 登りが、急になった。
 馬は、あえいだ。虎夜叉が、
「吉野に、兄上が居残られた理由を、次郎兄はなんと解さるゝ?」
 と、いったので、あえぐ馬に一鞭くれた正時は、さもいぶかしげに振り返って、
なことをいうの」
「あなたには、異なことゝはおぼさぬか?」
「なに──なにをさ?」
 やゝ鈍重どんじゅうとさえ見える面持おももちで、きゝかえした。
なぞでござるよ」
 持ちまえの、批判ひはんめく薄わらいが、正儀の唇にうかんだ。
「謎──?」
「謎を、わたくしに解かすなら、恋のしわざと解く」
「え、恋のしわざ?」
「さよう」
「ばかな! 兄上が──兄の殿が恋、わはゝゝゝ!」
 鞍つぼに、笑いこける正時の、その笑い声のおさまるのを待って、
「笑うのは御勝手ながら、わたくしの察見さっけんの矢、きっと図星づぼしでござろうぞ」
「虎夜叉、お身はときおり、人をからかう。よからぬくせじゃ」
ぐちは、気散じの妙薬だ。──妙にうっとうしい時や、緊張きんちょうが、度をこした折など、きゝめがあらたかだ。たゞし只今の話は、おゝ真面目まじめでござるよ」
 今年ようやく二十歳、とは、どうしても思えぬ熟成ねびた口調だった。いや、物の言いかたのみでなく、容貌といゝ、態度といゝ、三つ年上の正時の方が、むしろ弟らしく見えた。現にいま、着ている小桜色ぼかしの派手な狩衣かりぎぬが、だいぶ不似合なくらいだ。長兄の正行とくらべてさえ、若くはなかった。そして頭脳も、気持も、外貌みかけよりまだ一段と老成のおもむきがあった。
 正時の狩衣は、萠黄もえぎだった。その袖を、自分の手でしっかりと掴みながら、やゝきびしく、
「亡き父ぎみは、かりそめにも、揶揄やゆ冗談じょうだんはつゝしまれたというぞ。──おのが頭のよさを、虎夜叉お身は、悪用するのだ」
 そう、正時がいったとき、白辛夷しろこぶしの花枝──ちょうど崖から路へ、したざまに差しでたのを、ぽきりと、虎夜叉は折った。
 兄が、言葉をつゞけた。
「逆賊足利を、いかにして討とうと、お心くだく以外、兄の殿正行に、なんで他意たいがあろう」
 弟は白辛夷の、大輪の花弁の濃い香を、ぎしめながら、
「次郎兄の、嗅ぐ鼻のうといこと!」
「なに、鼻が?」
 とたんに、乗馬がまた、いなゝいた。
 正時は、あぶみのかゝとで、馬腹をうった。
 虎夜叉が、
「ものゝ裏の匂いが、おわかりにならん」
「おれは、正路しょうろをふんで、けっして裏道は通らぬからな」
「通れるかぎりは、無論よろしかろう。しかし正路は往々、ふさがることがある」
 しばらくして、正時が、
「兄上のこと、いさゝかは、根拠こんきょあって申したのか?」
 と、たずねた。
「さすがに、お気にはかゝると見える」
「お身とは、てんでおうまれつきが異うぞ。早熟そうじゃくに女色をおぼえた自分の物差で、出鱈目でたらめにおしはかったとて寸法が合うかよ」
 それには答えずに、正儀は花枝を捨てゝ、手綱たづなをしぼった。
 頂上にちかづいて、坂の勾配こうばいが、ひどくなった。二騎の馬は、汗だくだくで、あえぎをはげしくした。
不憫ふびんじゃ。おりてやろうか」
 と、いう兄へ、
「癖になる。山国の馬だ」
 と、弟が答えた。
 馬は、胸衝むなつきの急坂を、からくも登りつめて、兄弟を国境に立たせた。金剛山脈の西斜面は、一しおふけた春景色を敷きひろげていた。

 兄弟は、馬をやすませつゝ、眺めおろした。
 青崩おうがやの大きな谷が、水分みくまりの盆地へ、傾きひらけていた。うらゝかな陽の光をあびて、紅、白、萠黄もえぎ、真っ黄色──。わか葉の緑に花のいろを、まぜてかげろう、この山峡こそ、兄弟がそこに生まれ、そこに育ち、湊川みなとがわに尊王の大旆たいはいをかゝげて討死した父、正成まさしげの遺志をつぐべき長兄の、正行まさつらと共に成長し、今年はもはやその父の壮烈きわまる戦死をとげた延元元年から、指折りかぞえると十二年目の正平二年、多聞たもん正行は二十五歳、次郎正時は二十三歳、虎夜叉正儀は二十歳の春をむかえた楠氏、譜代の采邑さいゆうであったのだ。
 累世るいせの居邸のもりかげに、屋形の白壁が光っていた。すこし離れて、鎮守がみ建水分たけみくまり神社の朱の鳥居と、重臣の神宮寺正房の屋敷に年古る毬形まりがたの老杉とが、くだり一里はんの麓にめだった。
 楠氏の邸館やかたの杜は、おおぎの形をした盆地の、ちょうどかなめの位置にあった。盆地のまん中で、この青崩おうがやの谷の水をあつめた水分川が、金剛山から流れだす千早川を合流させているのが、あざやかに見えた。盆地の東のふちは、こゝ水越みずこしとうげの尾根の支翼わかされだった。そして西のふちをかぎっているのは、上赤坂、下赤坂、甘南備かんなみ東条とうじょうの四つの丘で、それが、それぞれ城をようした。つらなるその四つの城は、水分をまもる要害で、やぐらのいらかに、塁の狭間はざまに、とりでの柵の石垣に、外郭くるわめぐりの塹壕からぼりに、楠の武力の尋常でなさがあらわれているのであった。
「虎夜叉」
 と、正時は、盆地の春のよそおいから、目を転じて、
「兄上が、吉野におとゞまりなされたは、近衛左大臣や花山院かざんいんの内府なんどの、柔弱な、怯懦きょうだなお心持を、いくぶんでも骨のある考えかたに向けかえて、堂上にはびこる非戦論を一掃しようとの御存念、と、わしは思う」
 そういったが、弟はまだ、眺めつゞけていた。
 水分川が、盆地を横ぎり、神山の山峡をぬって、富田林とんだはやしの北にぬけ、そこで石川の本流に出合い、南河内の平野をうるおしつゝ、丁字形に、大和川へぶつかる姿──それを見ていたのである。
「花ぐもりで、岸和田からさかいうらの、海はかすみにとけているし、大和川の川向うも、おゝ空と野原のけじめはつかぬ。だが我れわれの領土、南河内と、南和泉いずみは、一望のもと、文字どおりじゃ」
 正儀の目には、銀光をはなつ狭山池さやまいけがあった。淡緑うすあお和泉いずみの山々があった。一族和田の城ととりでがあった。
「のう虎夜叉」
 と、かさねて正時が、
「兄の殿は、こんどの御評定ごひょうじょうには、異常なお覚悟で御参加あったものと思うがの、どうじゃ?」
「いかにも」
 虎夜叉は、和田の本城である槇尾城まきのおじょうから、目近の観心寺の三重の塔へ、視線をうつして、
「しかし、お宿を如意輪寺にょいりんじから、俊業としなり朝臣あそんやかたにかえられた一事が、次郎兄の解釈かいしゃくを裏切る」
 と、独りごともどきにいうと、
「わはゝゝゝ!」
 兄は、豪放ごうほうに、笑いごえを爆発ばくはつさせて、
「なんのことだ! そ、それがおぬしの、──はゝゝは!」
 と、なおも笑いつゞけつゝ、
「そ、それが出鱈目でたらめの、あて推量ずいりょう根拠こんきょか。なにかと思ったら、こけな! らちもない!」
「なかなか」
 首をふりながら、弟はやっと、眼を、兄の顔へむけて、
「北畠准后親房ちかふさと、四条隆資たかすけ卿、まったくこのお両人ふたりほか、ござるまいではないか? 兄上が、まず動かそうとなさるゝならば──。な、北畠のたちも、四条屋形も、所在はともに、如意輪寺の隣りじゃ。ところが兄上は、蔵王堂ざおうどうよりもなお手前の、日野邸へ、わざわざお宿がえなされた」
「それが?」
「次郎兄」
「なにがおかしい? 俊業どのゝ亡き父君、日野俊基としもと朝臣あそんは、われらが父上と肝胆かんたん相照らした仲であったぞ」
「それはいうまでもなく、日野俊基ば、正中の昔、いち早く尊王、討幕をとなえた人傑でござる。かしこくも先皇、後醍醐ごだいごのみかどに、われらの父をば、結びつけまいらせし、建武維新の殊勲者だ。だが、いまの俊業は、不肖の子、むしろ父の名をはずかしむる凡庸ぼんようたちでござるぞ」
「しかし、日野と楠──特別な間柄だ」
「いや、昔のよしみは、おろそかには思いませぬが、われらが兄正行が、恢復かいふくの大業を、ともに語るべき友にはあらず」
 そういゝきった正儀のひとみには、明敏なかゞやきがあった。

 顔立ちは、一見兄弟らしく似てはいた。だがよくみると、正時のかお造作ぞうさくは間がのびていた。気質は、胆汁質たんじゅうしつで一本気だった。
 弟が、俊業を、不肖凡庸ふしょうぼんようとあなどったので、不快な色をうかべて、
「お身は、秀才だ。万事に器用じゃ。だが一つ、珠に瑕瑾きずがある。惜しいかな、深い瑕瑾だ。重大な闕点けってんだ。それは、ほかでもない、父にていないという短所だ」
「とんだ傍道わきみちへ、おそれになったな」
「えゝ聞け!」
 と、たちまち語気はげしく、
他人ひとを、不肖の子とのゝしるまえに、おのれをかえりみろ! 神童が、たゞの才子にしたは、その闕点けってんのせいだぞ。学問、武術、ゆくとして可ならざるはなしという、その英材が──と、おれはうらめしいのだ。お身のあらゆる長所でうずめても、うずめつくせぬ深い瑕瑾きずだぞ、虎夜叉っ! わしは、うらめしくて涙が出る!」
 声が、わなゝいた。そしてやゝ、黙して後、
「わしとて、決して俊業としなりの朝臣を、お世辞にも俊髦しゅんぼううつわとはいわん。しかし兄の殿は、純情のじんじゃ。道をとうとぶお方じゃ。器量きりょうおとればとて、ふるきよしみをすてゝかえりみぬお人ではない。そこがおぬしとは、人格の異るところだ」
「お言葉どおり」
 と、会釈えしゃくした正儀は、
「十日ほど、宮中から──」
 云いさして、莞爾にっこりほゝえんだ。
 正時のひとみがひらいて、あごがすこし、前へ出た。
禁裏きんりから、十日ほど何が?」
「日野やかたにおやど下り、なさるそうな」
「む?」
「うとい!」
「え?」
内侍ないしが、弁内侍べんのないしが──」
「なに、内侍どのが?」
 と、正時は、やゝ白眼しろめをはだけて、
「お身に、そのようなことが、どこから?」
 あやしんで訊くと、虎夜叉が、
「俊業朝臣から、承わった」
 と、答えた。
「朝臣が、お身に──?」
 正時は、半信半疑に、手をこまぬいた。
 こくりうなずいて、虎夜叉が、
「たしかに、恋慕れんぼのなやみが、兄の殿にあった」
 そう呟くようにいうと、萠黄もえぎ狩衣かりぎぬの袖を、ぱっと左右へあけて、大きく首を、正時はゆすった。
「なにを証拠しょうこに、申すのだ?」
「兄上のまなざしに、人知れず胸こがす者の、もだえが、見えましたゆえ」
「ふゝん!」
 鼻で、あざわらって、
「いつの間にやら、虎夜叉は読心術とくしんじゅつまで、おぼえたそうじゃ」
 正儀は、真顔まがおで、頭をさげて、
「こゝ半月ほど、専心に修業つかまつった」
 そう応酬したとき、徒歩かちの郎従たちが、ようやく峠の頂上に現われた。
 正時が、
くだろう」
 と、手綱たづなをひいた。
 正儀も、馬を、くだり坂の方へ、進めた。
 兄は、やはり前行ぜんこうしつゝ、
「お顔色の、すぐれぬのは、肉体すこやかでないせいじゃ。わしと、お身とは、ちと達者すぎるで──出来ることなら健康を、わけて差上げたいが──まゝにならぬでのう」
憂鬱ゆううつは、御病身のためもある。しかし」
 と、弟は、ちょいとことばを保留してから、
「恋は、曲者くせものじゃ」
 やゝ皮肉に、だが自分に呟くようにいって、鞍のうえで眼をつぶった。



吉野の日野邸

 吉野のむら──たゞ修験道の霊場、蔵王堂ざおうどう如意輪寺にょいりんじの名と共に、深山みやまの桜の名所として知られただけの、僻南へきなんの山里も先帝、後醍醐ごだいごの院がおそれおゝくも仮の宮居を、おかせられてから最早十年あまり、仕え奉る、公卿、朝臣あそんたちが、それぞれ棲むべき屋敷を、こゝに設けるようになった今日きょうびでは、いくぶんか行在所あんざいしょらしい趣きをそなえてきた。
 だが、なにぶんにもかりそめの土木のことだから、どの屋敷も、いたってお粗末そまつで、これが殿上人の屋形であろうかとうたがわれた。
 日野俊業としなり朝臣の住いも、もちろん、その例に洩れよう筈がなかった。
 日野邸は、蔵王堂から西へまがって、一目千本の桜の名所へ下る坂の、そのおり口にあったから、行宮あんぐうのある如意輪寺からは、かなり離れていた。
 気分がすぐれず、病いの気味合いということで、宿さがりを願った弁内侍は、輿こしで、兄俊業の邸に戻った。めっきり長くなった春陽の日脚ひあしも、吉野山の西尾根に、ちかづく時刻だった。
 わかきあによめの、俊業夫人は、内侍を西のたいへむかえ入れて、いたわった。
「まあ、おやつれあそばしたこと!」
 嫂は、そういって、いろいろ容態を気づかい尋ねた。
「五蔵の病いでは、ございませぬ。たゞ味気あじけのうて味気のうて、るせなさの、つのりつのった気鬱きうつしょうでございまする」
 と、内侍は答えた。
 さながら妖桃ようとうの春をいたむるかんばせ、垂柳すいりゅうの風にたえかねた物ごし──という、ふるいたとえが、ぴったりと当てはまるような容貌かおかたちであった。嫂の言葉どおり、目のふちに、頬のほとりに、やつれは見えてはいたものの、なやめる美女のさまには、また一種いうにいわれぬ魅力がふくまれていた。
医師くすしは、誰れでございましたか?」
「あの──医師くすしにはせませぬ。ながらえたとても、かいのない命でございまするものを!」
「まあ、内侍さまのお言葉とも思われませぬ。かいのない命などと、どうした訳でございましょう?」
 俊業夫人は、いぶかしそうに、見まもった。
 浮線綾ふせんりょうに、山吹やまぶきの花を散らし織りにした唐衣からぎぬを着た、若い嫂は、四条大納言の息女で、眉目みめうつくしい女性だった。けれども山河へだてた京童きょうわらんべまで、国色無双と噂する弁内侍のうるわしさと並べてみると、朝の陽に光をうばわれる、残んの星のようにしか見えなかった。
「たぐいもないその美しさで──なぜ、そのように──この世をおはかなみなさるかのように?」
 と、嫂は重ねていうと、
嫂上あねうえさま!」
 と、だけで、たちまち薄縁うすべりして、堪えがたそうになみだをながした。そして声をしのばせて、しめやかにすゝり泣いた。
 嫂は、いざり寄って、濃香こいこうに緋の牡丹花ぼたんの織りだされた内侍の唐衣の、背をそっとさすりながら、
「もし内侍さま。──みずからおもとめになった病いとやら、おきゝいたしては、なおさらのこと、わらわは心にかゝりまする。さあ、あたりにさいわい人はなし、お胸のうちのお秘めごとを、どうぞわらわにだけ、お洩らし下さいませ。わがつまはお兄上。のう、内侍さま、他人ひとにはおつゝみなされましょうとも、わらわへは、なんのお心おきがございましょう。さあおっしゃって下さいませ」
 といった。
 だが、答えは、き止めることの出来ない、涙だけがあった。
 俊業夫人は、しかしこんづよく、なだめたり、すかしたりして、ひそかにひめられた憂鬱ゆううつもとを、さぐりあてようとつとめた。夫人は、聡明で、思慮ぶかく、それで勝ち気なたちは、父隆資たかすけ卿そっくりだった。先帝以来、南朝のおもなる支柱の一本だった四条大納言には、たしかにふさわしい息女であった。だが、俊業としなりのつれあいとしては、かなりに過ぎた妻だったので、なにか事があると夫は、いつも夫人に、導かれていた。
「御遠慮あそばしては、却ってお恨めしゅう存じまするぞえ」
 そういって、夫人は、のぞき込んだ。そして、内侍の耳へ、自分の顔をよせて、何かさゝやこうとしたとき、
「内侍どのは、それにか?」
 俊業朝臣の声が、きこえた。
 入側に立ちどまって、怪訝けげんらしく、妹の様子をながめたが、
所労いたつきのため、宿下りを願った由、お身に病いがあろうとは、つい昨日まで、夢にも知らなかった。いかゞじゃの?」
 と、いゝながら入って来て、坐った。
 俊業の端麗たんれいな顔には亡父俊基の面影おもかげがしのばれた。が、体格ははるかに劣って、脆弱ぜいじゃくだった。
「楠どのと、話に身をいれて、つい遅くなった。当分は、日夜語りあえるものを、今日に限ったかのように、万事を忘れて──おん身をさえ、なおざりに致した。許されい」
 俊業が、そう云いおわらぬうちに、内侍は、
「おゝ!」
 と、おもわず叫ぶように声を立てゝ、その凄艶せいえんな美貌をもたげた。
 驚きと、よろこびと、羞耻しゅうちと、待望とが、内侍の表情のなかで、あやしくまじりあった。
「あの──楠の──楠の殿には──このたちに?」
 と、く内侍へ、嫂が、
「昨夜から──こゝしばらくは、御滞留ごとうりゅうとのことでございまする」
 と答えた。
 俊業夫人は、心の中で、たしかに──と首肯うなずけるものをつかんだ。
 敏感な若夫人は、
(楠どのに──内侍は恋している)
 と、思った。だが、なぜ、ながらえても甲斐かいないなどとまではかなむのであろう?
 俊業夫人には、それがせなかった。
 この吉野に住む公達きんだちが、いかに多く、内侍へ、胸をこがしたことだろう。けれども、そうした懸念けねんは、すべて片想いに終った。だれ一人、この麗人の心を、とらえ得たものはなかった。内侍はあれほど美しくても、情知なさけしらずなのであろうか? とさえ思われたのに──。
 楠への恋──。それは、ふさわしい恋だ。武家ではあるが、正行ほどの若人は、殿上の公達にも、あるかどうか? ないともいえる。内侍は、ないと感じたにちがいない。けれども、何故の悲観ひかんであろう? 身も世もないように?
 夫人は、考えたが、わからなかった。
 俊業が、云った。
「楠どのは、お宿を、我が館へうつされたのだ。次郎、虎夜叉、ふたりの御舎弟は、和田、恩智おんちなど宗徒むねとの衆をはじめ、郎党たちを引き具して、今朝未明に如意輪寺の宿坊をたれた。居残った郎従たちは、わずか十人たらずゆえ、手狭いこの屋敷でも、事欠かぬのが、身どもの仕合わせであった。──その昔、亡き父上、俊基としもとが、正成の殿と回天の事業を、ひそかにかたらわれたのにあやかって、身どもゝ今や、正行どのと、討幕の再挙についてはかろうと思うのじゃ。──内侍どの、よろこんでたもれ。亡き父上は、わしがこのたび、正行どのを我が家に迎えたことを、草葉の蔭で、どのくらい御満足におぼすであろう!」
 そう云って、眼をしばたゝいた。胸は、亢奮こうふんにおどるのであった。
 だが、内侍の胸の高鳴りは、それに幾層倍か知れぬ輪をかけていた。

 おさえてもおさえても、嬉しさが、はげしい戦慄おのゝきとなって、からだじゅうをいまわった。
「おゝ兄上、わらわは、うれしゅうございまする!」
 声も、こゝろの熱にうかされたように、わなゝく内侍へ、
「む、うれしいか。──おゝうれしそうな!」
 と、俊業は、たゞもう、自分の悲壮な気持へ、自分の忠と孝の至誠へ、同感しての内侍の歓びである、とばかり思い込んで、
「たんと、よろこんでほしい。身どもゝこれで、はじめて父尊霊そんりょう位牌いはいの前に、自分を、さまで恥ずることなくぬかずける。また周囲の人々へも、顔むけがなる。──のう内侍どの。あまりにすぐれた父をもつ子は、つらいものじゃ。心ひそかにしばしば泣けてくる。父俊基は、あの若さで、山伏姿に身をやつして、勤王の士を求めるために、単身、雄々しくも、諸国の山河を跋渉ばっしょうしたではないか。それが、どうじゃ。あれ俯甲斐ふがいなき子のざまよ! 父は勇敢にも大難に殉じた。鎌倉は化粧坂けはいざかの露ときえても、名を後の世にのこしたのに、あれあれあの子の、安きをぬすむにがにがしさよ! 烈々たる父の気魄きはくはいずくにかある、と蔭口をきかれ、後ろ指をさゝれる、そのつらさ。推量すいりょうして欲しいぞよ、内侍どの!」
 つらかった、いろいろの記憶を、一遍に想いだしたかのように、暗然となると、内侍もまた、それとはまるで異う理由から、一度は陽に照り映える花のようにかゞやいた顔を、たちまち曇らせた。
 内侍の恋うひとは、嫂の今感づいたとおり、楠多聞兵衛正行まさつらその人であった。如意輪寺のにわでふと相見た一目の恋が忘れられず、夜も、昼も、こがるゝ想いに、胸をむしばまれて、睡られなかった。いても、立っても、面影が眼の先にこびりついて離れなかった。そのやるせなさから、とうとう羞かしさを忘れて、如意輪寺の吉水よしみず法印に、切ない心のなかを告げて、ひそかに楠への、なかだちを依頼したのであった。吉水法印は、内侍を、まるで肉身の孫のようにいとしんでいた。で、老法印は、内侍のために、正行に会って、語った。だが、内侍の意中を告げられた正行は、にべもなく、それをこばんだのだ。とても、かなわぬ恋だ、あきらめるほかあるまいと、そういわれたとき内侍は、世の中が真っ暗くなったように感じた。内侍のふかいもだえは、そこから生じた。
 あがめなついていた老法印の言葉ではあったけれど、こればかりはあきらめらるゝ事柄ではなかった。こばまれたのだから、無ろん、諦めたいとは思った。忘れようとは思った。だが、そう思えば思うほど、いよいよつのる恋であった。ついに内侍は賢所かしこどころのつとめがおろそかになるのを怖れて、宿下りを願ったのであった。
 ところが、兄のやかたに還ってみると、そこには恋う人、正行が、如意輪寺から宿を変えて、こゝしばらく滞在するというのだ。内侍の心は、嵐のように動いた。
 そして、たちまち堪らなく悲しくなった。
 恋い人は、この屋敷のなかに──と思うと、あさましくも心が、狂いそうに感じられてきた。
 内侍は、心地こゝろ苦しいからといって、この対の屋の寝所の、臥褥ふしどに入ったまゝ、食事もとらず、かしずく女房たちにも顔をあわせなかった。夜がきても、そして人は寝静まっても、内侍は、とても睡れなかった。
(こうして、気が──狂ってゆくのではなかろうか?)
 しかし、あかつき近くなって、どうやらすこしは心が静まってきた内侍だった。で、朝は、臥褥ふしどを離れて、朝餉あさげの箸もとり、嫂と顔を合せて、語りあいもした。
 嫂が、午後、ふたゝび姿を見せた。
 きょうもまた、のどかな日和ひよりだった。せまい庭ではあったが、泉水、築山、植込みなど、ひと通りは設けられていた。その庭に咲く桜を、ながめつゝ、嫂は、
「一目千本は、ついそこでございますもの、お気散じにいかゞでございます? こゝ両三日が見ごろの花ざかりを、御覧あそばしては?」
 と、すゝめた。だが、
「心憂い折の花は、ひとしおこゝろを滅入めいらせまする」
 内侍は、さびしげに、ほんのわずか微笑ほゝえんだ。
「そんなら、いま少時すこしお待ちあそばせ、おっつけ、このさゝやな庭景色──なんの風情ふぜいもない眺めが、きっとお心を晴らすであろう眺めに変わりましょうぞえ」
「眺めの変わるとおっしゃるのは」
「申さぬが花──。さぞやお胸をときめかす花とだけ──。もし、内侍さま、今朝はやばやとわがつまは、わらわの実家さとの館へ、参られて、まだ帰られませぬ」
「四条館へ──あの、お一人で?」
「いえ、お二人で、仲むつまじげに──」
 嫂が、そう答えたとき、この対屋から、あまりへだたっていない中門ちゅうもんの扉があいた。
 内侍は、兄俊業が庭に入って来た姿を目にいれた刹那せつな
(お二人で──)
 と、いう観念が、非常なはやさで、頭にきらめいたので、はっと感じたその途端とたんに、
「あれい!」
 自分を忘れて、おもわず叫んだまゝ、全身をこわばらせた。
 恋う人!
 楠多聞兵衛正行が、中門をくゞって、庭にあらわれたのであった。



弁内侍べんのないし受難じゅなん

 前日の夕がたは、花曇り、というよりも、やゝ雨模様にくもった空が、今日はまた乳藍色にゅうらんしょくもふかぶかと、うらゝかに晴れていた。
 正午すこし前のことだった。
 西の対屋へ、嫂が入ってきて、
「内侍さま。梅枝うめがえと申す女房が、たずねて参りました。お目もじいたしたいと申しまする」
「わらわに?」
 梅枝という名は、ごくありふれた侍女名であった。現に、中宮御殿にも、女御のお召使いにも──。で、
「御所からでございましょうか?」
「いえ、京の日野やかたの梅枝、と申しまする」
「あら、京の!」
 驚いたのも道理だ。その梅枝なら、伯父三位卿の邸で、内侍があどけない時から、物心をおぼえた十四歳まで、十年あまり、ねんごろにかしずいてくれた侍女だった。自分が、吉野の人となってからは、まったく消息をきかなかったが、だしぬけに、今おとずれて来ようとは!
「三位卿きたかたの、お文をたずさえましたとやら」
世話せわをかけたおなごでございまする。お通し下さいませ」
 恋さえなかったら、どんなにか心が動いたであろう。
 だが、命消えてもとまで、こがるゝその人に、昨日は、初めていろいろと、言葉を交わすことが出来た─。
(あゝなんという気高いおかおだろう! なんとそのお姿のりゝしいことよ! しかもなさけ知る人の眼差まなざしであった。そして、この胸に、ひしひしとせまるようなお声いろ!)
 もう幾晩も、つゞきかさなった睡り不足ぶそくに、あたまも、心も疲れきって、まどろむともなくまどろんだ夢は、恋うその人から許された夢であった。
 けれども、許されたのは、夢であって、現実ではない。現実は、つれない拒絶きょぜつである。こばむ人をいつまで恋うて、大切なお勧めを怠るのか? あきらめなくてはならぬ。あきらめるには、心をよそへまぎらさなければならない。
 そう思いながら、内侍は、梅枝の入ってくるのを待った。
 まもなく、俊業夫人の後ろについて、梅枝が現われた。──みまがうほどに内侍をあでやかにした十年の歳月は、梅枝を四十女らしく老けさせていた。
「──※(「サンズイ+几」)ちかこさま!」
 と、呼びかけたなり、わっと泣き伏した梅枝を見ると、さすがに内侍も、
「まあ、めずらしいこと、梅枝! 伯父おじぎみにも、北の方にも、お変わりはあらせられぬか?」
 と、なつかしげにたずねた。
 梅枝は、泪にぬれさせた顔をあげて、
「はしたない嬉し涙、お許しくださりませ。──うるわしい御気色みけしきを、十年ぶりでお見上げいたしまする。京のお邸ではお二方様はじめ、皆様がおすこやかで、※(「サンズイ+几」)ちかこさまの──おゝわたくしとしたことが、不調法ぶちょうほうな──もうもう絶えず内侍さまの、お噂ばかり。なにくれとなくお不自由がちな深山みやまのお住まい、さぞかし──と思いまいらせても、都と吉野、北と南のおん仲たがいでは、なかなかに、お音信たよりをいたそうにも、便よすがとてもございませぬゆえ──」
「それは、こなたとて、おなじ思いじゃ。お二方の御恩を、わすれはせぬけれど──」
「おなつかしさが、いやませば、わが子とも思うのに、逢うよしもない心さよ、とたもとをおぬらしあそばす北の方さまでございまする」
「おゝ伯母ぎみには、わらわのことを、それほどまでにか!」
「ほんにうらめしい世の中じゃと、それはそれはお痛わしいお歎きでございまする」
 詞藻しそう御堪能ごたんのうな持明院朝の寵臣として、文芸の府のおさに任ずる文章博士もんじょうはかせの邸に召しつかわるゝ女房だけあって、梅枝は、言いまわしが、ひどくうまかった。
「産みの親よりも、育ての親に、いつくしみの深いためしも、まゝございまする」
 と、またも泪を、こぼしてみせた。
 内侍も、つい引き入れられて、
「ほんに産みの恩より、育ての恩! 襁褓むつきのおりに、両親ふたおやに死にわかれたわらわは、伯父ぎみと伯母ぎみの、御養育の御恩に、むくいるすべの今はないのが、心苦しい」
「内侍さま。これは──北の方のお文でございまする」
 持って来た文筥ふばこを、出して、
「そのお筆にもございましょうが、北の方さまには、このたび、住吉に御参詣を、よいしおに、河内かわち高安たかやすまで、お輿こしをはこばれました」
「なに、高安まで?」
 文筥をひらきながら、内侍がきゝかえした。
 高安は、内侍の乳母の在所なのであった。それが、記憶にのこっていた。
「はい。彼所かしこには、あなたさまに、お乳まいらせました安岡やすおかが、百姓のしずが家ながらも、ゆたかに暮しておりまするので──」
「おゝ彼女あれも、つゝがなくて──」
「はい。その安岡の家で内侍さまを、お待ちなされてござります」
「北の方が、わらわを?」
「はい、高安まで、おはこびを、ぜひぜひお願いいたせと申しつかりました」
 梅枝は、こゝだと思ったから、
「まあそのお文を、御覧下さいませ。はかない世の中といゝ、ましてお互いに※(「門/兒」)せめぎあう南と北にわかれて離るゝ身の上ゆえ、このたびでなくては──このしおをのがしては、もうもう逢い見るおりは来ぬやも知れぬと、そう申し上げよという、お言葉でございました」
 内侍は、三位卿夫人の手紙を読んだ。
 こまごまと、思慕しぼの情を述べて、
「乱れがましき世にはべれば、こたびをおいて、いかでか相まみえ参らせん」
 と、あった。そして、その奥に、
 『逢見んとおもふ心を先だてゝ、袖にしられぬ道芝みちしばの露』
 と、一首の歌が、書きそえられていた。
あねうえ──」
 内侍は、俊業夫人へ、
「いかゞ致したもので、ございましょう?」
 と、いうと、
「高安とやらまで、お越しなされませ」
 嫂は、そう答えたが、すぐつけたした。
「でも、わがつまは、なんと申されまするか、わらわからたずねてみましょう」
 北の対へ立ち去る嫂の後ろ姿を見おくって、内侍はむしろ正行のそばから離れる方がいゝと思った。

 供は、女房にょうぼう二人、青侍あおざむらい三人。
 梅枝のつれてきた迎えの人数は、青侍四人と輿丁こしかき六名。
 弁内侍は、もたらせの塗輿ぬりこしに乗った。
 輿わきに附添った梅枝が、
「音にきこえた吉野山、盛りの花に、ちょうど参りあわせたわたくしは、果報かほうものでございました。あゝ美しいこと! 見晴らすかぎり、花また花でございまするのう! このあたりが、一目千本、とやら申すのでございましょうか?」
 などと、しきりに口をきいた。
 一目千本は、やゝ散りかけていた。
 折りからわたる山風が、花吹雪はなふぶきとなって、路へ、人の肩へ、みすをかゞげた輿の中へ、花びらをまいた。
「さきほどは、胸にゆとりがございませぬので、眺め残していそぎましたが、もうお使いを果たしたも同様な今は、心もかるく、深山みやまの春に酔いまする」
 は、すこし西にまわって、乳をとかしたような青空が、かぐわしいかすみのようにたなびく桜が、そして陽炎かげろいたつ※(「女+束+欠」)わかくさが──春愁しゅんしゅうを感じさせるほどに駘蕩たいとうとした山路を、輿がくだって行った。
 くだるにつれて、路が白く、そして、ぼうっと薄紅うすあかく、散った花弁でうずまっていた。
「高安までは、よほどの道のりであろうの」
 と、内侍がたずねると、
「およそ十四五里がほどは、ございましょう。朝まだきに発ちましても、女の足がまじりましてはどうせなか一泊り。──北の方さまは、さぞお待ちわびて、おわしましょう」
 梅枝は、そう答えたが、やがて言葉をついで、
「でも、内侍さまは、またとないようなよい折に、おやどさがり! 思えばこれも、北の方が日ごろ御信心のあつい、住吉神すみよしがみの、御利やくでもございましょうか」
「──そんなら途中で、どこぞに宿やどるのであろうの?」
 内侍はやゝ、不安げにいった。すると、宿はとらねばならぬけれど、せいぜい、路をいそいで、行けるところまで行くつもりだと、梅枝が答えた。輿でゆられるにつれて内侍は、そうはげしくはないけれども眩暈めまいをおぼえて、胸もとが、なんとなく気味わるくなった。梅枝はなお、能弁のうべんに話しかけたが、内侍は口をつぐんでしまった。
 まどった揚句あげくに、やっと心をきめて高安へ、行くことにした内侍であった。嫂がまずすゝめたし、兄の俊業も、でかけた方がよかろうと云ったのだ。
 俊業は、妻から、内侍の病いの気は気鬱きうつのせいで、──じつは恋わずらいであること、そして恋いびとは誰れあろう楠正行であることを告げられた。これまで身分の尊い殿上人の公達きんだちから、どんなに熱心に言い寄られても、ういた心を微塵みじんも動かさなかった内侍は、兄から見れば、むしろはがゆいくらいだった。十七八ならばともかくも、内侍はもう二十はとうに越していた。妙齢みょうれいはすでに過ぎていたともいえた。どんなに美しくても、女には年頃としごろというものがあるのに、こゝろ固いにもほどほどがあると──そう思うと、兄は気がもめてならなかったのであったが、──だから、恋い人が楠と聞いた刹那せつな、やれうれしや、それは実によかったと感じたのであったが、意外にも楠が、内侍の恋を拒絶したと知った時、
(あゝ、人の世はまゝにならぬ!)
 と、おぼえずも嘆声たんせいをもらさずにはいられなかった俊業としなりであった。
(ほんとうに、似合わしい男女ふたりであるのに!)
 今のよしみからいっても、今の関係から考えても──まったく、これ以上にふさわしい夫婦みょうとはなかろうに、さりとは楠も、かたくなゝ!
 俊業は正行の心がうらめしかった。けれども、朝敵討伐に余念よねんのない、忠孝一図に凝りに凝った精神は、内侍の恋をさえれる余裕ゆとりをもたぬのだと思うと、うらむよりは、雄々しくも、健気けなげにもそびえ立つ高さの前に、頭をさげなくてはならなかった。不憫ふびんでも、妹を、断念させなければならない。思いきらすには、心をできるだけ他事よそごとへ、そらしてやらなくてはならぬ。それには丁度いゝ伯母の使者だった。
 そう考えた俊業は、ためらう内侍をうながすために、京の日野家と自分兄妹の関係について、いろいろと語り聞かせたのであった。
 ──そもそも日野家は、宗家そうけの日野南家も、分家の日野北家も、持明院じみょういん(北朝の統)御譜代ごふだいのおんちょうあつい眤近じっきんであった。北畠親房卿の書いた「職原抄しょくげんしょう」に、「今に至り日野南家、じゅ納言なごんに昇る。日野俊光卿、始めて大納言に任じおわんぬ」
 と、ある。すなわち俊光は、大納言となって、伏見上皇の院執権しっけんという顕職けんしょくに任じたのだ。そして分家の種範たねのりも、三位、文章博士もんじょうはかせにのぼった。それまでは、文章博士は宗家そうけの日野南家の任で、分家は代々、正四位下大内記だいないきを出世のとまりにしていたのである。で、宗家の三人の子、資名すけな資朝すけとも資明すけあき、それから分家の二子、行氏ゆきうじ俊基としもと、いずれもみな伏見院から愛された。ところがそうした生粋きっすいの持明院ばつの家にうまれた俊基が、宗家の次男の資朝と共に、後醍醐ごだいごの帝の、歴史の御研究に公然と参与さんよしまいらせて、大覚寺統だいがくじとうの文学興張にしゅとなって働いたので、世間は奇異の眼をみはった。しかも、それどころかひそかに、おん機密を託されて、画策かくさくにつとめた。
 資朝はもっぱら、帝の御帷幄おんいあくに加わったし、俊基は偽籠居にせろうきょしてその間に、外をうけ持った。修験者しゅげんじゃに身をやつして水分みくまりの楠正成を訪ねたり、吉野、熊野の衆徒や郷士ごうしを、説いて廻ったりしたのだ。その結果が、正中しょうちゅうへんとなって、建武維新のさきがけをしたから、二人の周囲は、あっとおどろかされた。資朝は、佐渡へ流されてのち斬られたし、俊基は、すぐ鎌倉へ護送されて、扇谷おおぎがやつ仮粧坂けはいざかで、
   古来こらい   ※(レ点)しなく※(レ点)せいなし
   万里ばんり雲尽くもつき   長江ちょうかう水清みづきよし
 と、辞世のじゅをのこして首をねられた。青侍の後藤助光は死骸を茶毘だびに附し、むなしい遺骨を抱いて、京に帰ったので、北の方は悲しみに堪えかねて、おさない二歳の俊業と、生れたばかりの※(「サンズイ+几」)ちかこ(弁内侍)を、ふり捨てた。亡き夫の四十九日に、濃い墨染の法体ほうたいさまを変えたのだ。そして嵯峨野の奥の、柴戸しばどのなかで、菩提ぼだいをとむらった。が、間もなく夫のあと追って、この世を去ってしまった。
 旧記きゅうきに、
「俊基は、累葉るいよう儒業じゅぎょうを継ぎて才学優長いうちょうなりしかば、顕職けんしょくに召仕われて、官、蘭台らんだいに至り、職、職事しょくじつかさどれり」
 と、ある。
 蘭台は、蔵人頭くろうどのかみだし、職事は右少弁うしょうべんだ。たしかに重要な地位だった。また資朝も、中納言としてときめいていたのだ。この二人が悲惨な最後をとげたから、日野一門はふるえあがった。戦々兢々せん/\きょう/\として、北朝に従順を誓った。俊基と資朝は、当時の公家くげには出色、稀有けうな人物だった。だが、日野家の一族からいわせると異端者いたんしゃであった。その後、俊業は、亡父俊基のこゝろざしを自分の心として、敢然かんぜんと吉野へ走って南朝につかえたが、伯父の行氏が北朝の文章博士でいることに対しては従来の関係からいって、特にいきどおりを感じるといったようなことはなかった。むろん、平安朝がたの伯父の典雅さを、意気地なしと小馬鹿にしてはいたものゝ、格別、憎しみの感情はもたず、自分兄妹が養育された恩誼おんぎは、ありがたく思っていた。
 で、俊業は、内侍に、
「高安へ参らぬとあっては、情誼じょうぎにそむく、人でなしとも、そしられよう」
 と、いった。
 正行まさつらは朝から外出していた。たぶん北畠やかたへ行ったのだろう、と嫂が、内侍に告げた。なにか──虫の知らせか、妙に後ろ髪をひかれるように感じた内侍だったが、やっと決心して迎えの輿こしに乗ったのであった。
 梅枝が、
「内侍さま──」
 と、呼んだ。
 受けこたえがなかった。内侍は、美しいひたいを、悲しそうにひそめながら、睫毛まつげを白い下瞼したまぶたにくつけていた。
 背後の、山の上に残してきた人の引力に、なやむのだった。そしてからだの疲労も、にわかにはげしく感じられた。
 輿は、桜の山を、麓までおりつくした。
 そこは、吉野川の峡谷きょうこくで、路は、谷の崖ぶちに沿い、崖は、絶壁となって、六田むた奔瀬ほんらいに裾をあらわれていた。
 淙々そう/\と流れる川瀬の音を聞いても、やゝしばらく眼をひらかなかった内侍が、
「陽のあるうちに、河内かわちの国境を、越せるであろうか、のう梅枝。──水分みくまりの、楠館──のそばを、この輿は、通るであろうの?」
 そう、いゝながら見ひらいた目で、眺めるともなく川面かわづらを見て、
(おや?)
 と、思った。

 吉野川が、逆に流れている。
(おかしい!)
 いや、路が、川の流れと、逆行ぎゃくこうしている。
(でも、やはり奇異ふしぎじゃ!)
 内侍は、輿が川上の方へ進んでゆくのを、心でたしかめてから、
「あれ、路が、ちがいはせぬか?」
 といった。
「いえいえちがいませぬ。一里ほど上りますれば、上市かみいちでございまする」
 梅枝が、そう返辞へんじすると、内侍はいぶかしげに、
「あれ、上市へ? ──河内へまいるには、吉野川のふち下市しもいちまで下って、それから山路へかゝると、わらわは聞いておったに、げせぬことをお云いじゃのう」
 と、たゞしたが、梅枝はほゝえんだ。
「内侍さまは、地理をおわきまえなさいませぬ。南河内の水分へなら、さよう参るが順路じゅんろでございましょうが、高安は、おなじ河内と申しましても、大和川をこえて北。中河内でございますゆえ、この谷をくだって下市へまいっては、かえって遠まわりに相成りましょう。やはり上市から、竜在峠たつありとうげをこえまして、三輪、大安寺とまいる方が、近くもあれば、路もよろしゅうございまする」
 内侍に、道のりの遠いか近いかの判断がつくわけもなかった。
 梅枝は、京の西、嵐山あらしやまのふもとに、天竜寺が建立こんりゅうされたこと、その天竜寺は、後醍醐のみかどの御冥福をいのるために、尊氏たかうじ将軍が、あらゆるついえをおしまずに建てた一大伽藍がらんであること、そこで行われた「天竜寺供養」が、どんなに盛大だったか、その折の結縁けちえんに、行幸ぎょうこうあそばした上皇のおん行列が、どんなに立派だったか、ということなどを口きらずに内侍の耳へ入れた。
「かしこくも、上皇には、御簾ぎょれんを、おかゝげあそばしましてな、路々につどう老若貴賤の見物どもを、みそなわしたのでございます。ありがたく、わたくしも拝みました。黄練貫きねりぬきのおんに、おん直衣なおし雲立涌くもたてわきの織物でございました。お指貫さしぬきは、たしか薄色でございました。お供は西園寺さいおんじ大納言公重きんしげの卿はじめ、宰相中将忠季ただすえ卿──頭左中弁とうのさちゅうべん宗光朝臣──御本家の資明すけあき中納言さまも、わが館さま行氏卿も、きらびやかな御装束でございました」
 梅枝の言葉は、のべつに続いた。
 輿が半里ばかり進んだ頃、──
 上市のさとはずれには、※(「月+咢」)あごひげが頬一面、眼の下まで、真っ黒ぐろと、すさまじく生えはびこった、筋骨のたくましい武士が、強そうな馬にまたがって、ぎらぎらひとみをひからせていた。
 それは、熊毛髭くまげひげ将監しょうげん──高師直こうのもろなおの家臣にその人ありと知られた豪勇の士、矢板やいた将監であった。
 脇楯わいだて籠手こて臑当すねあてにがちり身をかためた小具足こぐそくいでたちで、おそろしく長い刀をおびていた。そばには、おなじような装束の騎馬武者が数騎と、三十人あまりの郎従が、立ちはだかっていた。
 そこは、吉野川の北岸で、路が追分おいわけになっていて、一方は六田むたへ、岸に沿うてくだる街道、一方は、あぶなげな釣り橋で川を越えて、細い渓川たにがわづたいに、吉野のむらの後ろ手へ、のぼってゆける近道だった。しかし、この近道の方は、輿の通れるような路ではなかった。
「あゝくたびれた!」
 郎従の一人が、路ばたの草原に尻をついて、腰をさすると、二人、三人と、ばたばたとまねて、たちまち十人ほどが、可憐な山慈姑かたくりの花を、尻の下にしきつぶした。
「むゝう眠い! おれは睡っとうて、たまらん」
「まさか、くたびれ儲けになりあしまいな」
「なってたまるか、昨夜よんべはねずの峠越しだ」
慾得よくとくなしに、寝転びたいの」
「ぐっすりと一睡ひとやすみせんことには、どうもならん」
「弱音をはくな。いゝ女のそばになら、二晩三晩は、まんじりともせず喰い下っておるくせに!」
「馬鹿を申せ、そなたとは違うぞ」
心許こゝろもとないて、ちと」
「こう、ひまどってはの」
「心配御無用、出来ばえは保証ほしょうするわい!」
「ふん、お前の知ったことか?」
「ふくれるなよ。うんとこさ御褒美ごほうびが、待っているわさ」
どられたのでは、ないか知ら?」
「猫の子を、ってくるのとは、事がちがう。訳がことなる」
ひなびたれども、雲居に近い、九重こゝのえのおく深い場所からおびき出すのだ。そう、おいそれと参るものか」
「そうともそうとも。どられるはずが、ないではないか?」
「いや、ないとはいわれん」
「いや、ない!」
「いや、なくはない!」
「こう、そりゃなくはないの。今の甚五が口真似くちまねではないけれど、雲井に近い※(「クサカンムリ/(月+曷)」)じょうろうをおびき出すのに、輿こしをかついで行ったのは──大きな声では云えないが、ちいっと念が入りすぎて、過ぎたるはなお及ばざるのではないかのう?」
須野左すのざ。みょうなことをいう。相手が貴い※(「クサカンムリ/(月+曷)」)じょうろうだからこそ、輿もいて迎えに行ったのじゃ」
「だからこそ、尻尾しっぽをつかまれはせぬかと、かく申す須野左門さもん、案じている」
「な、なぜさ?」
「相手が、輿のないひとかよ?」
 一人が「なるほど」と、感心して、
「はゝゝ梅枝それでこしくだけか!」
 と、笑うと、一人が、
「なあにあの腰は、二枚腰じゃ」
 と、首をゆすぶった。
「ほい、いつあらためた?」
「誰れが、たゞで聞かすか。だが塗輿ぬりごしの件は、八幡大丈夫、と思う」
「大丈夫、どられる気遣きづかいはないと、この甚五も思うの。さきが天眼通てんがんつうではあるまいし、まあ考えても見るがいゝ、京のまちが、寝静まってから、今出川のお邸を出て、奈良、櫟本いちのもと柳本やぎもと、三輪と──大和路へ入ってからは、伊賀は名張なばりの佐々木殿館へまいる一行という触れ込みゆえ、たれも、われわれを吉野へ行く者とは考えまいさ。な。三輪の宿で、きのう一日逗留とうりゅうして、楠の主従が河内かわちへ、のこらず帰ったということを、ごく内密にたしかめてさ。の、それから昨夜よんべ、急に夜中ちだ。初瀬はつせへ曲ったものと思わせて、まっすぐに、多武峯とうのみねをこして竜在峠たつありとうげ松明たいまつたよりの山路の暗闇を、寝不足ねぶそくの眼を皿にして、足は擂粉木すりこぎ──らくではなかったよ、なあ! 峠をおりて、朝からずっと、この追分おいわけで立ちん棒、棒のように相成った脚腰あしこしを、ふんばって、上市かみいちむらから吉野の方へは、人っ子は論ないこと、犬一疋、鹿一疋もまだおろか、蛇一本、蜥蜴とかげ一本、通さなんだ。塩焼飯しおやきめしで、腹をもたせて、見張っている目は、だいぶかすむが、熊髭くまひげどのに頑張られては、まぶたを相談させるわけにもゆかぬので、のう──われわれをあやしいと注進に、走って行った人間の、ないことだけは、たしかにわかる。と、すればだ、どうじゃ?」
「いかにも!」
 と、皆が、うなずいた。
「お互に、恩賞おんしょうにあぶれるおそれは、およそないのう」
 そう、甚五がいったとき、騎馬きばの士の一人が、
てっ!」
 と、どなった。
 街道に、輿が見えたのである。
「やあ、来た来た!」
「ござった!」
「おいでなすった!」
 山慈姑かたくりの花咲く草原から、郎従らは、尻をあげて、往還おうかんへかけ戻った。
「とうとうわなに、しめこの内侍ないしじゃ!」
「てへ、かたじけないぞ!」
「おやおや? あたじけないともだな、たった二三人らしいぞ」
「ちえ、張合いがないのう!」
「ぷ。おれたちの、働き場所がふっとんだわい」
「ふっとばした梅枝婆アめ、おぼえていろ!」
「婆アはなかろう、あぶらぎっている」
「二枚腰どころか、十二枚腰じゃ」
「腰か、腕かは知らんが、すごいての」
「そりゃ※(「月+咢」)あごじゃよ、口じゃよ」
「あの口で、手柄てがらを総なめ、総なめ!」
「ちえちえ、いまいましいなあ!」
「これさ、さもしい根性こんじょう、出すまい出すまい!」
 輿の脇で、梅枝が、手をふった。
 熊毛髭の将監しょうげんが、
「御苦労っ!」
 と、馬上で大声をはなった。



追及ついきゅう

 正行まさつらは今朝、北畠やかたをおとずれた。
 それは、親房ちかふさ卿の心をうごかして、朝議ちょうぎの再開をねがうつもりだった。
 こゝ両三年は現状維持、なお形勢けいせいをみてから──という、先日の決議が、なんとしても不服だったのである。正行は、一日も早く、戦いたかった。決して軽々しくはやって、無謀むぼうに功をいそぐのではない。間諜かんちょうは京都からしきりに、高師直と、上杉重能しげよしとの不和、軋擽あつれきをしらせて来る。執事武蔵守師直もろなお、越後守師泰もろやす、播磨守師冬もろふゆ、刑部大輔師秋もろあき、伊豫守重成しげなりなどの高一族と──伊豆守重能しげよし、弾正少弼しょうひつ朝定ともさだ、左馬助朝房ともふさたちの上杉一門との争いは、足利幕府の勢力が、まっ二つに分裂することを意味するのだ。だから時機じきは、すでに熟している。そう正行は考えたのであった。
(北畠の准后じゅんこうは、先帝以来の補弼ほひつ棟梁とうりょうでおわす。その親房卿が、戦機、熟せり、戦わなければならぬ、と一言、みかどの御前において仰せあって下さりさえすれば──鶴の一声。群卿ぐんけいは、さながら群鶏ぐんけいのごとく──おれは、すぐにも開戦が、できるのだが──)
 きのう、俊業としなりと一緒に、四条大納言の館をたずねたのは、大納言隆資たかすけ卿をまず説いて、隆資卿から北畠准后の心を、開戦論の方へかたむくように語らってもらうためだった。俊業も、正行のために、口をそえて、岳父しゅうとの大納言へ極力、申しのべた。
 だが、大納言は、正行と俊業の言葉を、とりあげなかった。
「よしや、麿まろが、いかに申そうと、准后の御心、なんとして動こう。北畠の卿は、東西に征戦せいせんをお重ねになって、多年、兵馬の間に起臥おきふしあそばされたお方じゃ。帝業補佐ほさの尊きおん身でありながら、同時にまた、三軍に将たるべきうつわゆえ、おんずから戦機をみるの明をそなえておられる。なんで他入の言によって、御自身の御判断を、右左されようぞ」
 そういわれては、正行は直接に、親房卿にぶつかってみる外なかった。
 で、今日、北畠館に伺候しこうしたのであったが、親房卿は、昨夜らい、風邪の気味で、なお臥所ふしどにあったので、えっすることが出来なかった。
 館の門をでると、正行は少時すこしたゝずんでいたが、南へ歩きだした。
 供の郎従、橘内きつないが、
「いずれへ?」
 と、伺うと、
御陵みさゝぎへ」
 と、答えた。
 しばらく歩いて、左へわかれる木下路このしたみちを、はいってゆくと、そこには、先帝、後醍醐院の御陵ごりょうがあった。
 おそれおゝくもかりの宮居、おんわびしき行在あんざいと定められた吉野寺よしのでら、吉水院如意輪寺の客殿の、裏手の築地ついじぎわから高まる丘陵の一端に、常盤ときわの緑と、年ごとにめぐむ※(「女+束+欠」)わかばの、濃淡に、いとも蓊鬱おううつと、おゝわれつゝ、かんさびてある御陵の御まえに、正行は、ひれふして、黙祷に時をうつした。
 そして、頭を、もたげてからも、容易に目をひらかなかった。
「──身は南山にうずむといえども、しんはつねに北闕ほくけつを望む」
 正行のくちびるから、低くもれるのは、おんいたわしき、先帝の御辞世のみぎりの、御詠ぎょえいの句であった。
 まぶたの間から、滂沱ぼうだとして、涙がわいた。涙は、青白い頬を、つたい流れた。
 やがて御陵前を辞した正行は、木下路を戻ったが、さとの方へはかえらずに、足を山路やまじへむけた。
 橘内が、また、
「いずれへ、お越しなされます?」
 と、云った。
「奥のやしろへ」
 と、正行は答えた。

 十町ほど、登ると、山路は奥の千本の、さくら林のなかに入った。
 橘内が、うしろから、
「下の千本は、もう昨日あたりから散りはじめましたし、鎮守ちんじゅのお社、蔵王権現ざおうごんげんうらの、中の千本も、どうやら色があせかけたようでござりますが、こゝは、ちょうど七八分──山の深いせいでもござりましょうが、花は満開よりも、半開からこのくらいが、眺めどころでござりましょうな」
 そういったが、正行はだまったまゝ登って行った。
 ほんのりとべにをとかした白雲のなかを、わけのぼるようで、花は申分なくめでられたけれど、あるじの殿のうしろ姿が、なぜかしらひどく淋しげに見えるのが、橘内には気にかゝった。
 桜花の中を、五六町のぼると、金峰きんぷ神社の社頭だ。そこは、吉野連峯ちゅうでは、最も高い場所だった。
 正行は、神前にぬかずいてから、眺望のきく地点へ行って、腰をおろした。やしろの附近には、青侍あおざむらいをつれた公家が二三人、吉水院の衆徒や里人さとびとの間にまじって歩いていたが、このあたりは、ちょうど人影が絶えていた。
 吉野川の大きな峡谷が、正行の目の下の、如意輪寺の森や、蔵王堂ざおうどうのいらかなどの彼方に蜿々えん/\と横たわっていた。
 正行は、その峡谷をへだてた西の空に、自分の領土の標識ひょうしきをなす金剛山の、峯をながめた。
 金剛山は、葛城かつらき信貴しき生駒いこまとつらなる金剛山脈と、紀伊見峠きいみとうげ槇尾山まきのおやま牛滝うしだき根来ねごろの峯をつなぐ紀伊山脈とを、左右の両翼に従えて、こゝ吉野金峰きんぷの、すぐ背後からそばだち重なる大峰の峻嶺しゅんれいと、相対峙して、おごそかに南朝の皇居をまもっていた。
 橘内が、わきから、
「じつに金剛山は、どこから眺めましても、頼もしい姿でござりまするなあ!」
 と、いった。
 だが正行は、やはり答えなかった。
 橘内は、金剛山の頂きと、主君のひとみとを、ときどき見くらべたが、いつまで待っても、主君の視線は、山頂とつながれたまゝだった。
(妙だ。どうなされたのだろう?)
 橘内は、自分も樹の根に尻を落ちつけて、さて──と、腕組みをした。
 考えてみると、いぶかしいのは、今日にかぎったことではなかった。近頃は、ずっと、いぶかしいといえば、いぶかしいことばかりなのである。
 橘内は、正行のごく気に入りの郎従の一人であった。延元えんげん元年五月二十二日の払暁ふつぎょう桜井さくらいの駅はずれで、正成まさしげ胡床しょうぎの前に、正行の座をつくるために楯板たていたをしいた男は、この橘内だった。爾来、ほとんど一日も、かたわらから離れたことのないほどの、忠実ぶり──。歳は正行よりも、十ばかり多かった。
 ──しかし、いぶかしいことばかり、といっても、
(どこが? なにが? どうしたというのだ?)
 と、橘内は自分の心にきいてみた。
 わからなかった。──では、いつ頃からおかしく感じられたか、それを考えてみたが、おもい出せない。
(困ったな!)
 橘内は、当惑とうわくした。
 極端な主人思いと同時に、盲目的な正行びいきで、依怙地えこじというほかない正行信者しんじゃだったから、いわば、もし正行に痘痕あばたがあったならば、えくぼに見えたであろうし、正行が顔をしかめれば、よしんばしょくあたりの腹痛のせいでも、それが崇高に感じられた。
 そうした橘内に、どうして正行の眼が今、金剛山の頂にこびりつきながら、そこに、女人の──美しい弁内侍の面影おもかげを、まぼろしに見ていようなどと想像が出来よう。もし、出来たら、突嗟とっさにあっと、腰をぬかすか、眼をまわすかした橘内だったかもしれなかった。
 やゝ小半時こはんときも、正行はその幻影の甘美のなかに、じいっとひたっていた。その間じゅう、これもまた、じいっと驚くべき辛抱づよさで、主君の高遠な思索しさくをさまたげまいと思う一心から、神妙に身動きもせぬよう努めていた橘内が、あまりにこんをつめた機勢はずみに、ふとのどをつまらせて、不覚にも大きく咳入せきいったので、正行は、はっと我れにかえって、
「おゝ!」
 と、うなるように呟いたが、すぐ、
「ちえゝ痴愚ばかめ!」
 突っ立ちざまに、そう、おのれを叱咤しったしたのであった。
 が、橘内は、自分が叱られたものと思い込んで、顔色をかえつゝ草のなかへ、両手をついて平伏した。
「と、とんでもない不調法ぶちょうほう──ひらに、ひらに御容赦下さりませ」
「橘内、なにを申す?」
「はあ。ぴら──」
「なにを詫びるのじゃ?」
「まことに、不調法に咳入せきいりまして──」
「なあんのこと! そちのせきか」
 正行も、さすがに微苦笑をうかべたが、たちまち欝欝うつうつとなって、草の上を、歩くともなく歩きつゝ、
(おれは、なんのために山へ?)
 と、自問じもんして、
(内侍を避けるために!)
 そう、自ら答えた。
(だが、内侍の宿下やどさがりを知って、日野邸へ、寺内の宿坊しゅくぼうから移った自分ではないか。──避けずとも、わが心を、つよく、毅く持て!)

 倒れそうにあえぐ汗馬かんばから、跳び下りざまに日野邸の門内へ、かけこんだ野田四郎が、大音に、
率爾そつじながら物申さん。当館にお宿りある楠の殿へ、くずとりでの野田四郎、御注進にまいって候ぞ。お取次ぎ頼もう」
 と、呼ばわった。
 雑舎ぞうしゃの中の青侍が、おどろいて、一人が、
河辺かわべどの、河辺どの!」
 と、楠の家臣、河辺石掬丸いしきくまるをよびたてる間に、一人が廊を、たいへ走って行った。
 車宿くるまやどを、仮りのうまやにして、主君正行の馬と、石掬丸宗連むねつらの馬に、まぐさませていた郎従が、とび出してきて、心配顔で、
「四郎どの、──?」
 と、問うようにいうと、
「わが殿は、おわすか?」
 四郎は、中門ちゅうもんの方を指さしつゝ、きいた。
御他行ごたぎょうでござる」
「御他行とは、いずこへ?」
「北畠准后さまやかたとか承わった。お供は、橘内でごさる」
 雑舎から、
「野田どの!」
「なんぞ異変でも──?」
 と、郎従たちが現われた。
 邸の下部しもべ婢女しもおんなたちが、窓からのぞいた。
 河辺石掬丸が、走り出た。
「野田!」
「おゝ石掬丸! 御注進じゃ」
「わどの自身で──徒事たゞごとではあるまい? 殿のお留守、それがし承わろう」
「申そう。京の執事、高師直こうのもろなおが臣、矢板将監やいたのしょうげん──きこえた剛者つわものじゃ」
「む、矢板将監が?」
逞兵ていへいおよそ三四十人を従えて、一昨日おとつい未明に京をたち、大和路くだって昨日は終日いちにち三輪みわにとゞまっていたが、伊賀の名張なばりへ行くのだといつわって夜路よみちを、竜在峠たつありとうげへ向ったのだ」
「すると?」
「今朝ひき明けには上市かみいちに、ついた筈じゃ」
「と?」
「目ざすは、こゝ吉野ほかあるまい」
「はて?」
 と、石掬丸はせぬげに、
「わどの、三四十人と云われたの?」
「小勢ながら、屈竟くっきょうな郎党らしい。まだ、上市にひそんでおるのだ。あゝ、間に合うてよかった」
 と、野田四郎が、この邸の様子に安堵あんどをおぼえて、そうひとりごとのように云った。
 石掬丸が、
「禁裡の御警衛には青屋あおやどのゝ吉野衆よしのしゅう、五百はあろうし、北畠館にも伊勢、熊野の兵がおる。屈竟とはいえそれしきの小人数で、なにが出来よう? こけな、おろかしい振舞ふるまいでござるのう」
「あいや、油断は禁物きんもつ。矢板将監は、老獪ろうかい師直が股肱ここうじゃ。京の密偵はみな、東条の虎夜叉どの御奉行ゆえ、細作しのび諜報しらせは、けさ河内へまいった。で、虎夜叉さまより、それがしが砦へ、急報はやがござったのと、上街道と中街道を、みはらせておいた拙者が手先のしらせとが、ぴったり符合ふごういたしたので──こりゃしばしも猶予ゆうよはならんと、まっしぐらに、馬をとばせて、かくの通り。郎党どもは後から参ろう」
「これさ、矢板将監勇ありとも、三四百ならば、ともかくも──」
「いや、ともならあえて、おそるゝには足らんが、なんらかしぶとき詐謀たくらみがありそうじゃ。特に当日野館を警戒せよと、虎夜叉さまよりお申し越された」
「なに、当館を警戒せよとは? む、わかった。刺客しかくに備えよとじゃな」
「あいや違う。矢板が一行には、京の日野家の女房らしき者が一人、加わっていて、あやしい空輿からこしを、かせたる由──」
「えっ? な、なんと?」
 石掬丸が、叫んだ。さっと、面色が変わっていた。
 だが、おどろいたのは、野田四郎の方も同断──。たちまち叫びかえした。
「やあ! そ、その驚きは心得ず──?」
「おう、しからば三位家みけの、女房梅枝うめがえが──」
「おう、その梅枝が?」
「あゝ遅かった、遅かった、こりゃ何としょう、一大事じゃ大事おゝごとじゃあ! やかたの衆っ、内侍さまはかどわかされた! うばわれましたぞ!」
 と、石掬丸は、声張りあげた。
 雑舎ぞうしゃのなかゝら、叫びごえと、人の走る足音が聞えた。四郎が、
「ちえゝっ遅なわったかおくれたか! 掬丸きくまる、遠くは行くまい、奪われたは何時なんどきじゃ?」
 と、いうと、
「殿へ、准后やかたへ走れ」
 石掬丸はそう、郎従の一人に命じてから、
※(「日+向」)はんときほど前じゃ」
「追わずばなるまい?」
「もちろん。だが待たれい、殿が──」
「殿のお言葉は明らかだ」
 郎従が門外へ、かけ出した。
「とは思うが、人数がたりぬ。いずれへか、助力じょりき、もとめずばなるまい」
青屋あおやどのへ、誰れか──」
 と、野田四郎がいうと、石掬丸が、
「伍平太、走れ」
「は。青屋どのお邸へでござるか?」
はやいところを二三十人、頼んで参れ」
 言いつかった郎従が、邸外へ走り去ったとき、対の屋から、血相けっそうをかえたこの館のあるじと夫人とが、中門の門ぐちへ、現われた。
「わらわが、わるうございました」
「いやいや麿まろが、わるかった」
「わがつま、なんと致しましょう」
「北のかた、なんと致そうのう?」
「禁裡へ、なんともおん申訳けが──」
「ない、ない、ない!」
 石掬丸が、
朝臣あそん!」
 と、叫んだ。
「おゝ石掬っ!」
 そう呼ぶ、俊業朝臣の声が、絶望的におのゝいた。
 野田四郎が、
「まことに不慮の御災厄ごさいやく──いかばかりか御心痛! 拝察つかまつる。いま一刻いっとき諜報しらせ早くばとうらまれまするが、すでにかくなる上は、われら楠主従があたうかぎりは働きましょうほどに、その努力おち下されい」
 心は、あせりながらも、つよい語調でいうと、俊業朝臣は、感せまった声音こわねで、
「おゝいみじくも雄々しき、その心──俊業いうべき言葉をもたぬ!」
 と、そう答えたとき、郎従が一斉に、
「殿──」
 石掬丸も、一緒に、
「殿っ!」
 と、叫んだ。
 満面まんめん蒼白そうはくな正行が、門のところで、
「馬ひけっ」
 あかく逆上のぼせた顔の橘内が、馳せ入って、主君の乗馬を、車宿くるまやどから曳き出した。
 野田四郎と石掬丸が、
「殿っ! 追わせらるゝか?」
 と、走り寄った。
 正行は、すでに馬上の人となっていた。
 石掬丸は、おのが乗馬へ──四郎も、門外に乗りすてゝおいた馬ヘ──。そして郎従らは、主君の馬をめぐってあつまった。橘内が、くつわをとった。
 朝臣あそんと夫人が、表門の外まで走りでた時はもう、正行の馬と七人の郎従とが、一塊ひとかたまりとなって濛々と土けむりあげつゝ、坂を下っていた。そのあとを、四郎の馬と、石掬丸の馬が、追って行った。
 門ぐちには、青侍と女房たちも、つどい立って、眺め送っていた。
 見る見るうちに、人と馬は、下の千本の花蔭はなかげに没した。
 誰れの馬か、一声、高くいなゝいた。




鹿路平ろくろだいら血烟ちけむり

「おれは、有卦うけに入ったのだ!」
 熊毛髭くまげひげ将監しょうげんは、小躍こおどりするほど嬉しかったので、
「神ほとけの御冥護ごみょうごがあったのだ」
 と、いったが、なお言いたりないように、
「おれは、神仏の思召おぼしめしにかなったのだ」
 そう、つけたすと、一人が、
御大おんたい、もう楠殿の首を、とったような!」
 と、笑うと、
「もはや、とったも同然じゃ、わはゝゝ!」
 熊毛髭が、ふとく哄笑こうしょうを、はたへあびせた。
 敵も横列おうれつ、味方も横列。
 まだ距離はあるけれど、敵も味方も、ことごとくやいばの鞘をはらって、睨み合いつゝ近づくのだ。
 春陽の光が、刃影じんえいに反射した。
「これほど大きな獲物えものは、ないぞっ!」
 と、矢板将監、銅羅どらめいた声をひゞかせた。
「天下無双の手柄首っ!」
 と、応ずる者があった。
「うて、うて、討てっ!」
 と、はやす者があった。
 味方は、多武峰とうのみねを背負っていた。敵の後ろには、竜門岳りゅうもんがたけがそびえた。
 そこは、鹿路平ろくろだいら──。
 吉野から奈良へ通じる大和路やまとじの、いわゆる上街道は、上市かみいちむらから、竜門岳りゅうもんがたけの中腹をよぎる竜在峠たつありとうげをこえると、多武峰とうのみねのふもとまでは、十町ばかり平坦な高原をとおる。この原は、大職冠鎌足かまたり公の廟所である談所だんしょもりと、古歌に知られた音羽山おとはやまの裾とで、一度くびれてから、ふたゝび倉梯宮址くらはしのみやあとの旧跡へひろがっているのだが、宮址みやあとの方は鹿路平とは呼ばれない。
 まんまと、弁内侍を、たばかり奪った矢板将監は、この鹿路平で、正行に追いつかれたのであったが、追手はわずか十人、それも平常着ふだんぎのまゝだのに、我が方は四十人に近い人数でみな小具足こぐそくよろう、粒選りの兵だ、と思うとせゝら笑いが出た。ところが意外にも、楠多聞兵衛正行こゝにあり、その輿こし、もどせ! とよばわられたので、俄然、射倖心しゃこうしんがめらめらと燃えさかり、勇気は、とみに百倍、という形になって、馬からとび下りた。楠──と聞くまでは、鞍からはなれる気など毛頭もうとうなかった将監であったが、いまや勃々ぼつ/\と功名にあふられて、刃渡り四尺もあろう長剣をぬき放ち、六尺有余の巨躰きょたいを、どしりどしりと運びつゝ、鏖殺みなごろしの陣をおのが左右に張って、敵正行とその郎従に迫りゆくのであった。
 内侍の輿は、蒲公英たんぽゝの咲く草のなかに、据わっていた。内侍の女房と、青侍は、まるで生きた気もなく輿わきで、ふるえるのみだった。わりきとも六名の輿舁こしかきは、固唾かたずをのみながら、立っていた。
 緑の毛氈もうせんをしきつめたような高原には、さんさんと照る日光の下に、山うつぎ、やま牛蒡ごぼう、山あらゝぎ、岩ざくら草、らん、すみれ、山慈姑かたくりなど、春の草花がりょうらんと咲いていたが、あわや薫風くんぷうは一じんのなまぐさい風と変じて、凄惨な修羅しゅらちまたが、この平和な緑いろの上に、この色とりどりの花の上に、まさに現れれようとしているのだった。
「かゝれっ!」
 と、熊毛髭がさけんだ。

 た、た、た、うしろに、正行はさがった。
 たしかに、刃のきっさきからつかへ戻ってきた圧力を、感じると一しょに、血しぶきも見たのだ。
 だが敵は、刀をふりかぶったまゝ、のめずるばかりに迫った。と、思う刹那せつな、その敵は、片手をつかから放して、おのが腹をかゝえた。そして手を、腕を、赤くそめて、草のなかへ、本当にのめずり倒れた。
 正行の感覚に、手応てごたえが、よみがえった。
 いま、最初の敵へ、片手突きに、剣を突込んだのである。
(実戦──血闘──なんの、雑作ぞうさないぞ!)
 そう感じたとき、第二の敵のきっさきが左の肩の上に光った。
 正行は、だが、を見切ったから、かわさずに、とび込んで、皮鞜かわぐつで蹴りのけつゝ、第三の敵の手許てもとを、横なぐりにはらった。
 悲鳴とゝもに、敵の、刀をにぎったこぶしが、手くびから切断されて、第四の敵の横面よこめんへとんで、頬を傷つけて地べたに落ちた。
 た、た、た、うしろへ、そのひまに正行は、再びさがった。
 将監が、
「突込めッ!」
 と、どなった。
 正行は、第三の敵から、双手突もろてづきにおそわれた。
 左腕に、熱感をおぼえて、
(かすられた!)
 そう思った時は、すでに正行の剣が、敵の頸部けいぶをふかく割っていた。
「殿っ!」
 と、石掬丸が、闘いつゝ叫んだ。
 一人を斃して、二人と渡り合っているのだ。
 と、野田四郎も、
「殿──。将監しょうげんは、それがしが──」
 やいばを鳴らしながら、
「引受け申すぞっ!」
 と、よばわった。
「わはゝゝ、楠殿、どうじゃ?」
 そう呼びかけた敵将、矢板将監と、正行の距離きょりは、およそ五間ほどであった。
「四郎──。案ずるに及ばぬぞっ!」
 と、正行が、よばわり返した。
 そして血ぬられた剣を、第四の敵に対して構えた。
 味方の刃で顔に負傷した男は、須野左門すのさもんだった。須野左すのざは、手負いじしのように、たけっていた。
 石掬丸が、ふたゝび、
「殿っ! それがしと、お代わりあれい! 将監へは、掬丸が向いまするぞっ!」
 と、叫んだ。
 熊毛髭は、まだ動かずに突っ立っていたが、やがて正行へむかうことは明らかだった。
「えゝ、邪魔じゃまなっ!」
 と、石掬丸は気をいらって、さらに一人を、から竹わりに斬りたおした。けれども新手あらてがふたり加わって、敵はまたも三人になったばかりでなく、将監へかゝるのをさえぎるために、四五人の郎従がひかえているのだ。
「ちえゝっ!」
 石掬丸は、うなった。
 主君の剣技を、決して危ぶむわけではない。湊川みなとがわにおける先君の沒後ぼつご、五六年にわたるはげしい切磋せっさ鍛錬によって、主君の剣技は、疑いもなくはるか超凡ちょうぼんの域に達していた。おそらく、いかなる強豪と白刃をまじえても、おくれはとらぬであろう。主君も、自分も、実戦の経験はもたない。真剣をふるって闘うのは、今日が始めてだ。しかし、主君はたちまち三人を、自分も二人を斬り伏せた。熊髭の将監の豪勇ごうゆうといえども、主君としては怖るゝに足らぬかも知れぬ。いや、主君の敵ではあるまい。多聞丸たもんまるの剣は、幼時からほとんど入神にゅうしんすごさがあった。多聞兵衛正行の今のきっさきの鋭さは、たしかに無敵だ。──が、然しながら、万一? 万が一?
 と、思う石掬丸は、ぎりぎりと歯ぎしりして、
白癩びゃくらいっ!」
 袈裟けさがけ。
 また一人、血煙りあげてのけぞった。

 おもいは同じい野田四郎。
「えゝ青蠅あおばえども、失せろっ!」
 叱咤しったの声もろとも、刃が、敵の只中で、きらめいた。
 四郎が突進したあとに、二人の敵が、むくろになって斃れた。
 自分が頭を割られでもしたかのように、返り血で真っ赤になった四郎は、息つくが早いか、
「とう!」
 一人の高腿たかもゝをはらって、熊毛の将監めがけつゝ走りだそうとした時、背中に何か重い物が、ぶつかったのを感じた。
 と、その瞬間、肩骨かたぼねの下に灼熱しゃくねつをおぼえた。
(やられた!)
 そう思いながらも、ふりむきざまにふるった刃が、さいわいにも敵の肋骨あばらを裂いたので、この太刀は肩上におろされたものゝ、深くは入らなかった。
(傷は浅い、これしきの──)
 四郎は、奮然と起ち直ったが、五人の敵の刃でかこまれている自分を意識いしきして、将監へいどもうとすることは──それをあせるのは、無謀むぼうに近いと感じた。
(殿? だが、殿は?)
 正行の姿は、前の方には見えなかった。
(後ろをみては、危いが──)
 しかし、顧りみずにはいられなかった。
 すでに正行は、小山のような将監の巨躯きょくと相対して刃をかざしていた。
 四郎は、太刀風を感じた間一髪、からくもかわしたが、危機は果然かぜん──。
 かわした側から浴びせられたのである。
 刃が鳴った。がきり、つばもとで受けたには受けたが、のびたきっさきで、びんがれた。
 もはや四郎は、血まみれだった。
 さすがに、正行の郎従は、橘内きつないはじめいずれも、一人よく十人に当り得る猛者もさであった。をもって、おびたゞしい衆に敵抗てきこうすることは、いうまでもなく楠の伝統だ。
 けれども、敵も強かった。高師直こうのもろなおがすぐりにすぐって、将監に配属させた精兵せいへいだけあって、命知らずの精悍せいかんぶりが、ふるう刃の火花ひばなと散るので、橘内以下は、二人ずつ相手に闘うのが精一ぱいだった。
「えゝっ」
「おうっ」
 雄叫おたけびの声々──。
 鏘然しょうぜんと鳴る剣刃のひゞき──。
 斬りつ斬られつ、しぶく血、ほとばしる血、ながるる血!
 すでに息絶こときれたむくろ。なおうごめく骸。──骸の周囲の草は、赤黒く染まった。

「参れっ!」
 正行は、剣を、片手上段にかざしていた。
「──楠殿。この刃、鋭うござるぞ」
 将監は、平正眼ひらせいがんに構えていた。
 しばし睨みあいつゝ、待機たいきしたが、乗ずべき隙は、どちらにもなかった。
 だが、平押しに、じり、じりと、将監が進みだした。
「えゝっ!」
 正行が、はげしく気合きあいを入れた。
 けれども、ち込めなかった。
手剛てごわい!)
 たいがいの者なら、正行のいまの気勢──空声からごえにこもる剣気の凄じさに、圧倒されて、そこに、多少ともすきが生じるのである。現に、須野左門が、この一かつを喰らって、ひるむところを斃されたのだ。が、矢板将監には、かなかった。
 肉迫にくはくは、ますますつゞけられた。
 ──一尺、五寸、三寸、一寸──あわや、間が見切れなくなる。見切れないならかわすか、受けるか、しからずば相討ちに、薄紙一枚の機先を争うか? 正行の心頭には惑いの旋風せんぷうがおこった。
 ──躱すのは、破綻はたんのもと。おそるべきは第二襲だ。受ければ、あの巨躰で、躰当たいあたり。あきらかに不利だ。が、受けて、捨身の──?
(否! おそう位置に立たねばならん!)
 高くかざした剣が、ふるえた。
 正行は渾身こんしんの気鋭をこめて、
「えゝっ!」
 と、おめいた。
 だが、その意図いとは、むなしく、依然、守勢に立ちつづけなければならなかった。しかも、いま、すべての気力をかたむけて叫んだ直後、正行は、ふしぎな乱れを、わが呼吸いきに感じた。と、ついぞ覚えぬ種類の、深酷しんこくな疲労を意識した。──はて?
(あやしき胸苦しさ?)
 熊毛髭のなかで、らんらんと眼が、光りを増した。
「楠殿──。そりゃ、剣法の型でござるか? お若いにしては、あっぱれ、あっぱれ!」
 正行の顔色は、さながら死人のように蒼かった。
 将監は、やゝ微笑をうかべつゝ、
「お疲れのていと、見たは僻目ひがめか? 返り血とばかり思いしに、どこぞ傷手いたでなと負われたか。さあまっこのとおり、隙だらけじゃ」
 と、誘いの隙、ひろびろと見せて、
「いざ、尋常に勝負いそごう。──楠殿。この将監は果報者かほうものじゃ。南朝武士の棟梁とうりょうたる、おん身のお首、いたゞかば、天下無双のいさおしと、それがしの名はとどろいて、鹿路ろくろはらの大手柄、後の世までもかゞやき敷かん。さあ! さあ参られい!」
 ふとぶとゝいう敵将を、
「えゝ烏滸おこがまし!」
 と、睨む正行。だが、呼吸はいよいよ不調。流汗りゅうかんりんり。
 ──鼠賊そぞく四人を斬ったのみ。傷といっても、左の腕ともゝ、わずかにかすっただけ。それで、これほどの疲労ひろうは? なぜだろう?
 そう、正行が自分をいぶかって、
(実戦になれぬ所為せいか?)
 と、思ったとき、
「たあう!」
 四尺の大刀と、六尺の巨体とが、きらめきつゝ、圧倒的に躍り込んだ。

 ぱっと、火華ひばなが散った。
 戞然かつぜんと、刃と刃が、合って鳴った。
 術と力が、せめいだ。
 つばと、鍔が、せり合うた。
 声と、声が、高く、太く、互いにはげしく、叫びわした。
 と、たちまち、両体がはなれた。正行のたいは、つばめのように流れた。将監の大刀が、きっさきぶかく地べたへ斬り込まれた。
「あっ!」
 熊毛髭の片方の手が、長いつかから、脇腹わきばらへ移った。おさえた手が、見る間に、あけにそんだ。斬られた横腹から鮮血が、ふきだしたのである。
 そのとき、正行は、剣を杖に、草地について、危く昏倒こんとうしそうなからだを、さゝえ止めていた。気力のありたけを、いまの一撃に、そゝいだのであった。技は、力をしのいだ。しかし正行の胸はなまりでもつまったかのように、ふさがって、気息きそくが、えんえんとなった。と、咳嗽しばぶき──ときならぬせきが、いとも苦しく、咽喉のどのおく、気道の奥から、込み上げてきた。
 正行が、咳にむせんでいる間に、将監は、脾腹ひばらをおさえながら近寄った。
「楠殿は、風邪かぜっぴきか?」
 熊毛髭は、もの凄く、にたりとした。
 腹の傷はかなりの深傷ふかでだったけれど、あまたの戦場で不死身ふじみといわれた豪気ごうきの将監、
「覚悟っ!」
 と、叫ぶと共に、脾腹ひばらの片手を、つかへ戻して、大上段にふりかぶった。
 正行は、なお咳入りつゝも、防ぎの刃を青眼せいがんにつけた。が、今度こそ危いと感じた。
(斬れる!)
 と、将監は信じた。
 射倖貪婪しゃこうどんらん※(「韋+(備の旁)」)ふいご、その※(「韋+(備の旁)」)に煽られる灼赤まっかな鉄──。
 だが、あまりにも乱れた対者の太刀先は、かえって無気味であった。前にも増して鋭い切返しがという懸念けねんが、将監を、ためらわせた。
 この躊躇ためらいの下で、正行は、いわば晩夏の夕空にわく雲の峰のように、むくむくと、心の表面にふくれ上るものを感じた。
 それは、きれぎれの断想だった。──父、正成まさしげと叔父正季まさすえ──湊川みなとがわ、炎暑うだるような日、たつの時からさるの時まで、三※(「日+向」)ときこくの長い時間──重い武装──百倍の敵──幾十合の血戦──腑甲斐ふがいなき我が身、不肖ふしょうの子──いま斬られて、命おとさば、かゝる死? 一の不覚! 分別ふんべつもなく──内侍ないし──内侍を救うためとはいえ──討幕とうばくの重い責任をにのう身が──。
「おゝっ!」
 と、正行は叫んだ。
 最後の断想だんそう──討幕の重責じゅうせきという観念が、疲労困憊こんぱいの底から、猛然とふるいたせたのである。
 蓮華草れんげそうの黄白の花叢はなむらを蹴って──。
 一閃のきっさきが、紫電しでんとなって、ぱっと血潮の飛沫ひまつを散らした。
「うわあっ!」
 将監は、熊毛の顔面を顎から斜めにぎあげられて、左の眼球をさえ真っ二つにつんざかれたので、楠の脳天へ微塵みじんと撃ちこむ大刀も、とっさにくうで力を失い、わめきともろとも、たじたじと、よろめくところを、
「とう!」
 ぎ上げた余勢よせい一ぱいに、返す刃で正行は、横鬢よこびんからこめかみをたゝきわった。
「ぎゃあッ!」
 悲鳴が、血烟ちけむりのなかで、ひゞいた。
 頭蓋骨づがいこつのくだけた手ごたえに、
(充分!)
 と、感じた途端とたん、気のゆるみから、正行はべたべたと横倒しに、躰を伏せた。
 斬った方が倒れたのに、斬られた方は、まだ立っていた。梟剛きょうごうな矢板将監は、致命ちめいの重傷に意識を、昏濁こんだくさせ、もはや全身を硬直こわばらせながらも、仁王立ちに、大刀を握ったまゝ立っていた。
「殿っ! 殿っ!」
 血達磨ちだるまがころげるように、橘内が、痛手も忘れて、走ってきた。
 主君の危急! 敵に見せた背後を、浅かったが四五寸、斬られたけれども構わず馳せつけたのである。
 正行が斬られたと思ったのは、橘内だけではなかった。野田四郎も石掬丸も、はっとばかりきもを氷らせた。
 だが正行は、むっくりと起きて、
「将監をしとめたぞっ!」
 と、よばわった。
 ちょうどそのはずみのように、将監の大きな躰が、死骸になって、地べたへ倒れた。
「橘内──。わしに怪我はない! 闘ってくれ」
 正行は、そういゝながら、橘内を追って来た敵の鼻づらへ、ばさり一刀をあびせた。
「おう、殿う!」
 と、歓喜の声を、橘内があげた。
 そのとき、どっとときのひゞき、人馬の出現! 高原の一端にあらわれたのは、郎従伍平太のしらせによって馳せつけた吉野衆、青屋刑部あおやぎょうぶの僧兵たちと、野田四郎の郎党をまぜた、およそ五十人の一隊であった。



准后じゅんこうへの悃願こんがん

 親房卿ちかふさきょうは、痛そうに、顔をしかめて、
「御無礼」
 と、中啓ちゅうけいを、左に持ちかえ、躰を海老えびのようにかゞめて、
「ゆるされませ。──寄る年波としなみでな」
 そう云いつゝ、わが腰をさすった。
 客の、大納言、四条隆資たかすけ卿は、げにも道理──と、同情の面持おももちで、
「幾春秋を関東で、あるいは野戦に、あるいは長き御籠城ごろうじょうに、みからだ酷使こくしあそばしてはのう!」
 と、いった。
「六十を超えては、まこと意くじ無う相成る。一昨々日さきおとついから臥せって、医師の円性入遺が、ほんの苟且かりそめ風気ふうきと診てくれましても、いっかな枕あがらず、足腰、背骨のふしぶしのうずき痛むを、わずろうて、つい先刻まで、いぶせく臥所ふしどにこもっておった始末でござる」
「それはそれは! 御加養ごかようの、きついお妨げをつかまつって──」
「いやいや、なんの御遠慮──。自分もかようのことでは、かみへの御奉公がおろそかになる。こゝ三、五年は、真に重大な時期じゃで」
 みずから励ますごとく、こうべをふった従一位准后じゅんこう、親房卿の、老いた顔には、不撓不屈ふとうふくつの気魄が見えた。肉体は衰えても、けいけいたる眼光には、さかんだった往年の面影が、まだありありと偲ばれた。
 こゝは、如意輪寺前の准后やかた、その客殿であった。行宮あんぐうに奉仕するかりの棲家だから、むろん輪奐りんかんの美どころか、板もろくろく磨いてない粗普譜あらぶしんではあるが、場所に不足のないだけに、南面の庭苑はひろびろとつくられていたし、中門墻ちゅうもんがきと、邸の外郭の築地ついじとの、中間には、多くの武士をたむろさせておく雑舎造りの建物が、屋根を並べて、はなはだ殺風景に庭苑をとり巻いていた。
 客殿のみすはかゝげてあった。垂れた壁代かべしろの隙から、苑樹にわきの、あざやかな、若葉の芽ぐみが見えた。
 大納言が、
「で──その歌は? と、おたずねでござりましたな?」
 そういうと、准后はうなずいて、
「なんと?」
逢見あひみんとおもう心を先立てゝ、そでにしられぬ道芝みちしばつゆ
「──その歌と、文の筆蹟に疑いのうてはのう。──三位と北の方をおびやかしての、師直もろなおが憎むべき詐謀たばかり──。楠なかりせば、内侍はむごたらしゅう淫魔いんま餌食えじき、その薄倖はっこうは申すに及ばず、俊業どのにもせめが残り、えにしにつながる大納言、おん身も安からぬ想いなされたでもあろうに!」
「まこと、仰せのとおり。楠へは、感謝の言葉に苦しみおりまする」
「九人の家釆、いずれも重傷いたで。うち四人は、ついに絶命、とのことでござったの?」
「いかにも」
貴卿あなたからねんごろに、ねぎらわるゝよう」
「それは、御意ぎょいまでものう、身どもにかないまする限りは」
「どうぞ」
 北畠准后は、そういってから、少時やゝあって、
叡聞えいぶんにも──達したことで、ごさろうな?」
 と、たずねた。
「おん覚えあさからぬ内侍ないしがことにござりますゆえ、昨日、かしこきあたりへ──」
貴卿あなたが?」
「はい。拙身やつがれ、奏聞に及びました」
「恐れながら竜顔りゅうがんも、さぞかし──?」
「竜顔いともうるわしく、ことに楠への、御感ぎょかんなゝめならず、正行まさつらまいり合わざりせば、内侍はたてやからき目に逢いつらんに、いみじくも探り知り、かつは健気けなげにも闘うて、よくも奪い返しつるものかなとて、忝けなくも内侍ないしを、准后の卿よ、内侍を──」
「内侍を?」
「正行に、賜わらむとの、勅諚ちょくじょうでござりました」
「ほう、内侍をば、楠に?」
 親房卿が眼を見はると、大納言が、
「楠に、いまだ定まれる妻ありとも聞かずと、畏くものたまわせ給うて、御恩賞ごおんしょうとして──」
 と、答えた。
「定めし、有難く拝受の旨、奉答つかまつって、聖恩せいおんに感泣いたしたであろう」
 そういう准后へ、
「親房卿。世には、意外なことも候ぞや」
 と、四条大納言は、じっと目をすえて、
随喜ずいきの涙に、むせぶことゝ存ぜしに──」
 いゝくと、
「ほう? いかゞつかまつった? いとも忝けなき天恩を──」
 准后は、いぶかしげにたずねた。

「それを、なんと案に相違そうい──」
「なに──?」
「いなみ奉った」
「おゝ、いなみ参らせたと?」
 准后が、おもわず瞠目どうもくした。
 大納言は、直衣なおしの襟に、しゃくをあてゝ、
「心得がとう思召おぼしめすであろう」
「げにも、のう」
「准后の卿──。楠は、一首の歌を詠進えいしんして、勅諚ちょくじょうに奉答いたしたのでござります」
「ほゝう。いかなる歌を?」
「──とても世に長らふべくもあらぬ身の、かりのちぎりをいかで結ばん──」
 と、大納言は、正行詠進の歌をつげた。
 親房卿は、
「──とても世に──」
 と、その歌を口ずさんでみて、
「大納言」
 と、呼んだ。顔は、とみに緊張きんちょうを加えていた。
 隆資卿が、
「楠は、いよいよほこを──」
 と、いうと、准后はうなずいて、
「成敗を一戦にける覚悟かくごの──」
 中啓ちうけいで、胸をたゝいて、
「ほぞを、かためたとみえる」
 吉野の朝の※(「蒙−クサカンムリ」)ちょうさいである両卿が、しばしひとみを合わせつつ、言葉をとぎらせた。
 四条隆資卿は、愛姫まなひめが内侍のあによめである関係から、内侍の恋についても、ひそかに聞いていたのであった。
 准后が、
「楠とても、青春のよわい※(「クサカンムリ/(月+曷)」)ろうたき内侍の美貌びぼうへは、心ときめかぬこともなかろうに、さりとは、のう隆資の卿」
 と、事をうらむように云った。
「そのことでござる」
 大納言は、繧繝縁うんかんべり上畳うわだたみから、やゝ乗り出すような態で、
後顧こうこの種は、蒔きとうないという存念でもござりましょうが、開戦をいそぐは、いまにはじめぬ多聞兵衛たもんびょうえが──」
 と、いゝかけて、ふと気づいたらしく、
「申し忘れました。今度こたびの御恩賞として、なお楠は、従四位下、左衛門督さえもんのかみに任叙あって、昇殿を許されましたぞ」
「それは重畳ちょうじょう。いや、そうなくてはかのうまい──楠家の当主じゃ。が、それをも拝辞は、いたさなかったでござろうな?」
「まさかに!」
 と、隆資卿は微苦笑したが、すぐ新らしい官名を呼称よびなにして、
「彼、左衛門督の持説じせつは、すみやかなる開戦。湊川みなとがわの一戦この方すでに十有二年、ひたすら蓄積ちくせきして参った楠家の武力、その精鋭をもって戦わば、なんでむざとは敗れましょうや。よしや一旦の利を失うとも、河泉かせん紀和きわの天険にたのまば、首将の生命いのちを、なんで危殆きたいにさらす怖れがござりましょうぞ? されば、詠進の歌にあらわれた、決死の覚悟なるものが、拙身やつがれには──」
「そりゃ身どもにも、解しかねる。たとい、今たゞちに戦端せんたんをひらくにしても、なにが、さまでに突きつめた心構えに、楠を?」
 准后は、眉根まゆねをひそめて、直衣なおしの袖を重ねた。
 らんひろく、しきに達し、「職原抄しょくげんしょう」をものした北畠卿であった。覇業への足利あしかゞ異図いとを、いち早く看破みやぶって、奥州の鎮守府で鎌倉に対抗した親房卿であった。坂東ばんどうの孤城にり、高師冬こうのもろふゆの大軍に囲まれつゝも、帝王のたるの身をわすれず、吉野の今上きんじょうみかどのおんために「神皇正統記じんのうしょうとうき」を書いて奉ったほどの准后であった。が、しかしながら、
(──人のこゝろの、陰影は、さても探りにくいものじゃ!)
 と、口のなかで、つぶやいた。
 大納言も、
「せまきに過ぐる、心の持ち方!」
 と、ひとりごとのように云った
 准后は、建武けんむの維新以来、ほとんど武士のなかで暮してきたといってよかった。武家武士の気持というものに対して、だから、いわゆる長袖公卿ちょうしゅうくぎょうたちとはまるでちがう関心なり、認識にんしきなりを持っていた。それだけに、正行の、心のおきどころが、よけい気にかゝった。
 だが、楠の武の力こそ、吉野の朝廷の、最もたのませらるゝ藩屏はんぺいであるのに、その力を駆使くしすべき若き武将が、戦わざるにはやくも前途を悲観した、とみるほかはないような、正行の態度への疑問ぎもんは、四条大納言にしても、親房卿に劣らず深まっていたのであった。
「准后の卿──、この館に、楠を召されて、貴卿あなたより──」
 と、大納言がいう時、渡殿わたどのから廊に、雑掌ざっしょうの青侍が、参入して、
「楠左衛門督の朝臣あそん、参られてござりまする」
 と、報じた。
 雑掌は、すでに、正行が左衛門督兼行河内守かわちのかみに昇任したことを、知っていたのである。
中門ちゅうもんより、これへ」
 准后は、そういった。
 かしこまって、雑掌がさがった。

 やがて、正行の狩衣姿かりぎぬすがたが、庭苑を横ぎった。
 寝殿に近づいて、南面の階段きざはしをのぼると、正行はすぐ廊に坐った。そして、慇懃いんぎん色代しきたいした。
「そこは端近はしぢかじゃ。進まれい」
「は」
「殿上人と、なられた和殿わどの。さあ」
 准后は、まねいた。
 正行が、客殿の入側に入って、坐ろうとすると、
「いや、これへ」
「は」
 正寝せいしんの間へ、正行は進んだ。初めて、准后や正二位大納言というような尊い雲上人と、席を同じゅうするごとが出来たのである。だが、むろん両卿は上畳うわだたみのしとね、正行は薄縁うすべりさえ敷かぬ板敷いたじきに坐ったのだ。
「よくこそ。──左衛門督に昇叙しょうじょ、まことにめでとう存ずる」
「聖恩の鴻大こうだい。身にあまる光栄にござりまする」
弁内侍べんのないしの危難、救われしお手柄の次第は、只今、四条の大納言よりことつぶさに、承わった。あたら郎党を四人までうしなわれた遺憾はござろうが、梟勇きょうゆうの聞え久しき矢板将監を、みごと討ちとめし剣のさえ──和殿わどの、御自身にも、さぞや満悦まんえつのことゝお察し申す」
 准后は、正行の蒼白なかおを、ながめつゝ言いついで、
微傷うすで、おわれたとか、庇口きずぐちはいかゞでござるか? 手当てに如才はなかろうが、破傷風はしょうふうは、あながち傷の深浅によらずと聞く、お顔いろ、すぐれぬようだが──」
「御配慮、かたじけのう存じまする」
 と、正行は頭をさげた。
 四条大納言が、
「左衛門督どの」
 と、呼んで、
「一ぽんの卿も、和殿わどの詠進の和歌のこゝろには、おつむりをお傾けあそばされた。武将の覚悟、げにも壮烈な覚悟ではあれど、旌旗せいきうごかず、鉦鼓しょうこひゞかざる限りは、妻をむかえ、家をとゝのうるがまず当然な儀ではござらぬかのう?」
 准后も、
「それが常理じょうりと、親房も思う。──恩賜拝辞の件について、この親房が率直にいうならば、第一に、綸言りんげんもとり、有難き恩賜をいなみ奉ったは、おそれおゝい極みじゃ。第二には、故正成どのゝ嫡孫ちゃくそんうまれ出でぬ前に、和殿がもしも、戦場で討死さるゝがごときことあらば、孝の道にそうまい。──すくなくとも、この二つの点では、不忠不孝のそしりをも招くであろう。──再考を要しはせぬか、のう左衛門督さえもんのかみ?」
 そう、さとすようにいうと、大納言が、さらにつけ添えて、
かしこきあたりでは、そこもとの拝辞にもかゝわらず、重ねての御沙汰あるやに洩れ承わった。内侍ないしが、わりなくも正行を恋うと、やんごとなき御耳にきこえつるためとかや申す。されば考慮を、あらたむる余地よちは、充分にござろうぞよ」
 正行は、つゝましい声で、
綸旨りんしもとりしは、まこと恐懼きょうくに堪えませぬ。勅諚は、是非の彼岸ひがんにあり──」
 と、准后をじいっと見て、
みかどは即ち至善しぜんなり、とは、亡き父正成の教訓おしえでござりました。それがしが罪、万死ばんしに当りまする。さりながら、おん諭示さとしの第二段につきましては、正行に異見いけんがござりまする。正行にとりましては、桜井駅さくらいのえき遺言いごんまもるが専一の孝、と存じまする」
 そういった顔には、はがねのごとき意志がほのめいた。
「左衛門督──」
 准后は、老熟ろうじゅくな語気で、
「桜井の駅の遺訓いくんには、ひたむきに死ねよとばかりござったか? 一死、かならずしも大義をのぶる所以ゆえんではあり得まい。かくいう親房は、おのが嫡男顕家あきいえを、堺浦さかいうらの石津において陣没させてより、いくたびとなく戦いに打ち敗れ、ある時は、荒野の闇にひそみ、あるいは海洋わだつみの、すさまじき波濤なみの水底に、のまれんとしつゝも生きながらえて、見らるゝとおり老いよろぼうたが、大君への忠、かんながらの御国、正統の朝廷への御奉公にかけては、あえて人後におちたとは存ぜぬ。──和どのに、勘考かんこうを望むのは、そこじゃ」
 そういゝ終った時、正行はだまって頭をさげた。そして、准后へは答えずに、四条大納言の方へ顔をあげて、
「たとい重ねての、御沙汰あらばとて、所詮しょせんは拝辞のほかござりませぬ」
 と、いった。
 大納言が、
「玉の緒も絶えなんばかりの、切なる恋じゃ。むごたらしゅう踏みしだくは、あまりにも情け知らぬわざでござろうぞ」
 なじるように云うと、
大納言だいなごんのお言葉ともおぼえず。討幕の旗じるしを高くかゝげて、大義に殉ずる道より、わきへ、心をうつろわす正行と思召おぼしめすか」
 切なる恋は内侍のみではなかった。われと我が燃ゆる想いを打ち消して、からくもなさけを殺した心の痛さ、その痛さにふれられたので、正行の言辞ことばは、ついとげを含んだ。
 青白い頬が、かすかにふるえ、声も、やゝおのゝいて、
「一人の女人の胸のいとが、よしや悲恋に破れきずつくとも、それにかゝわりなずむそれがしではござりませぬ」
 そういゝきったとき、北畠准后が、
「楠──」
 と、おさえるように呼んだ。

「親房が申すことを、きかれよ。──兵を動かすにはなお早い。いきおいをながめつゝ待てば待つほど、利勢りせいはわが方へ、めぐり来る気配けはいが見ゆるでの。ひと頃は、あるかなきかに屏息へいそくせる味方の諸国武士にも、ようやく恢復かいふくの意図が、みちてまいったのに、京都は内紛のきざしをやゝ現わして、つとに闘志はあせ、人気は懈怠げたい、増長するものもあれば、また虚脱きょだつするものもある──」
「准后の卿──」
 と、正行が、さえぎって、
「さればこそ、誅伐ちゅうばつの兵を挙ぐべき好機が、いまや熟せりと、それがしは考えまする。お言葉の腰折るは恐縮ながら、正行が申条もうしじょうに、しばし御耳を、かされませ」
「む、申されよ」
「京都に内紛のちょうありと仰せられましたが、幕府の各勢力、それぞれ徒党して、うちにせめぐは、事すでに久しゅうござりまするぞ。将軍尊氏たかうじは、積悪の報い到って、悔悟かいご魑魅すだまにつかれしかのよう、政務を捨て、兵馬をかえりみず、たゞたゞ後醍醐院証真常しょうしんじょうの、仏事供養をいとなむばかり。副将軍直義たゞよしは、執事の師直もろなおと、また外戚がいせき上杉は、高の一族と、鼎立ていりつのかたちにて拮抗きっこうするのみならず、尊氏が庶子直冬たゞふゆは、嫡男義詮よしあきらと仲むつましからず、内訌ないこうが乱とならぬは、互いに牽制けんせいしあうがため、均衡きんこうのかろうじて保たるゝが故にほかなりませぬ。しかしながら、その均衡さえも、師直が驕慢きょうまん乱行らんぎょうくを知らず、漁色ぎょしょくに京を荒らしつくして、このたびのごとき暴虐ぼうぎゃくをなすにおいては、もはや破綻はたんは目の前でござりまする。されば、──一ぽんの卿へ、正行ひとえに、お願いつかまつる。こいねがわくは、先日の廟議びょうぎの決に、御変更これあるよう、准后のお力をもちまして、おん取計らわせ賜わりませ」
 悃願こんがんおもてには、ことせめて思いつめた者の表情があった。
 親房卿は、
(なぜか、開戦を、あせっておる!)
 と、思った。
「和どのゝ希望は、よくわかった。なれど、待たれい──今しばらく待たれい。──薩摩さつま谷山たにやまにある征西府せいせいふが、肥後ひごに首尾よう移るまでは、時機じきでない」
 そういった親房卿の語を敷衍ふえんするように大納言が、
「西国のみか、奥州にても、また近くは熊野、十津川とつがわ、南伊勢、いまだ充分には準備が、とゝのわない。もし、はやまって事をあげなば、准后の卿御苦心の、東西近畿きんきならび起つという、おん画策かくさくも、惜しや画餅がべいにも帰さんおそれ、決してなしとせずとは思われぬか?」
 と、いった。
 だが正行は、かぶりをふって、
「四条卿、御杞憂ごきゆうなされますな。──帰順の腹はきめながらも、表面おもてになお鮮明な義旗をてぬ肥後の阿蘇家あそけも、正行たゝかいを京都にいどめりと聞かば、かならず菊地どのと手を握り、征西の宮、懐良かねながの親王を、決然とお迎えまいらするでござりましょうし、また東北の霊山りょうぜんにおわす顕信あきのぶ卿と、伊勢は大湊おゝみなとなる顕能あきよし卿とは、准后の御愛子、なにとて義戦におくれを取られましょうや」
 そういってから、親房卿へ、
「准后のお声には、廟堂びょうどうの諸卿がた、こぞって唱和しょうわあられます。なにとぞ御評定ごひょうじょうの御変改を、御考慮くださりませ」
 と、ゆかへさげた烏帽子えぼしを、ゆらめかしつゝ、
「それがしは戦いとうござりまする。正行一のお願い! 菊水の旗を、京都へ、押し進ましむるようおさばきのほどこそ、願わしゅう、願わしゅう存じまする」
 声涙ともに下る熱請ねっせいに、親房卿も、われ知らずつりこまれた。
(おゝ、さまでに!)
 が、たちまち、深いとろのような心境に立ち戻って、
「いそがば、まわれという。待たばきっと内乱を、かもすであろう粉糾ふんきゅう軋轢あつれきも、戦雲が一たび動いたならば、あるいは解けて、消えるかも知れぬ。兵馬をぶる高兄弟の権威は、戦いの開始とともに、俄然がぜん、強まるであろう。足利の諸兵を操縦そうじゅうすることにかけては、なんというても師直は、第一人者じゃ」
 おもてをもたげた正行のひとみを、見入って、
うれい、外にあれば、内部は団結する。ふだんは白眼をむいてかわすやからも、さて、戦時ともならば、みな師直に服するでもあろうからのう」
 師直の戦時における統制力のために、多年、苦しめられてきた北畠准后は、波瀾重畳はらんちょうじょうの過去になめた自分の経験から、そう、おもんばかるのであった。
 しかし正行は、勝たんがためにのみ戦いを、いねごうのではなかった。にわかにわいた正行の悲痛な心もちは、准后の叡智えいち、明察をもってしても、とうてい感得かんとくは出来なかった。だから二人の心と心は、しっくり合うところまでは、まだよほどへだたりがあった。
(必勝と誤算ごさんして──と、そう思われておるに違いない)
 と、感じると、正行は、
(いっそ、すべてを、打ち明けようか──?)
 とも、思われた。けれども、自身にもなおよくつかめない何物かゞ、ありのまゝに言うことを、ためらわせた。
 そして、たゞ、
「親房卿へ。それがしが、一悃願こんがん、お聞き届け下さりませっ!」
 と、ふたゝびゆかにぬかずいた。
 泪が、板敷に、はふり落ちた。
 庭苑の※(「女+束+欠」)わかばがくれに、老鶯おそうぐいすが一声ないた。

(なぜであろう?)
 親房卿の不審ふしんは、にわかに深まった。
 鶯が、また一声──。
 そのとき、正行は、
(あゝ、せきが──)
 と、感じた。とたんに、胸もとの圧迫あっぱくが、空虚うつろに低く、よわく、だが執拗しゅうねくつゞく咳嗽せきを、いざない出した。
 狩衣かりぎぬの袖のかげで、そっと自脈の膊動はくどうをうかゞいつつ、苦しそうに咳入せきいっていた正行は、やがてその咳嗽せきがやむと、
「ゆるされませ」
 と、汗を手帛てふきで、ぬぐった。
 顔は、傍の両卿をおどろかすほど、蒼かった。准后は、またも、
(破傷風──?)
 と、懸念けねんしながら、たずねた。
医師くすしは?」
典薬頭てんやくのかみ、円性先生をわずらわしました」
 そう、正行が答えた。
「少納言入道ならば安心じゃ。しかし──」
 何か言いかけて、准后は口をつぐんだ。
(たゞならぬ顔色──負傷のせいでないとすれば?〉
 しばらくして、
「左衛門督は、何故なにゆえさまでに、戦うことをあせらるゝのじゃ?」
 准后の語気は、改まっていた。
 正行は、返答に窮した。
「現状では、まったく勝味のなき戦を、たゝかわんとする理由をこう」
「────」
「熊野においての、兵船建造は、なんのためぞ? 和殿も、橋本正高まさたかを遣わして、工事を督励とくれいさせてはおるものゝ、明後年ならでは、輸送、海戦にうるだけの数はそろわぬであろうに、さあ、なぜにあせらるゝ?」
「────」
理由いわれなくてはかのうまい!」
「────」
「さあ、なんと?」
「────」
 答えることの出来ない、告げることの出来ない理由なのである。
 正行は、弁内侍を奪い返そうとして、鹿路平ろくろだいらで矢板将監と血闘の刃をまじえた時、実に意外な疲労と、困憊こんぱいをおぼえ、あやうく将監のために討たれかけた。ほとんど昏倒こんとうしそうになったからであった。ふと脳裡にひらめいた、湊川の血戦についての観念が、さながら冥々めい/\の加護であったかのように正行を奮起させて、将監を斬らせたには斬らせたけれど、正行は、はじめて自分の肉体が、ひどく衰弱していることをはっきりと自覚して、天をあおいでなげいた。あまりすこやかでないことはかねて知ていった。が、かくまで病弱とは? たしかに病魔、疑いもなく胸のわずらい、いつしか我が身体はむしばまれていたのである、と思うと口惜しかった。父の遺訓いくんを実行する前に、もしこの病身が斃れたなら? たゞの一度も朝敵誅伐ちゅうばつの戦場にのぞまずして病死せば? なんのかんばせあって黄泉よみじの父にまみえられよう! そうだ、勝算しょうさんはなくとも、湊川にならって、たゝかえるだけたゝかって、義のため、道のために、討死しなければならぬ。ぜひとも開戦の勅許ちょくきょを、いたゞかなくてはならぬ。そう心を決した上で、おのが疾患しっかんの真相と、病いによる、およその死期とを、たしかめるために、宮廷医きゅうていい少納言入道円性の診断を仰いだのであった。特別の思召おぼしめしをもって宮廷医が、日野邸へ差遣さけんされたことがさいわいだった。負傷の手当てをうけた時、正行は、ひそかに診察を乞うた。自分の予想は的中した。病いは労咳ろうがい、それもかるからぬ喀血かっけつしょうとあった。だが、典薬頭てんやくのかみは、死期に関しては予言を避けた。正行は、自身の病いを、どこまでも秘密にしておきたかった。その悲壮な心境に感激した典薬頭は、診断のことについては決して他人ひとにもらさぬと、かたく約束した。(正行病むと聞かば、周囲の者は、いよいよ、戦うことをさえぎり止めるだろう)──そう考えたので、正行はあくまでかくす覚悟をきめていた。で、いま、准后への返辞につまったのであった。
(しかし、理由を告げずに、いかに願ったとて、准后のお心の動こうはずがない)
 親房卿が、
「なぜか?」
 と、さらに鋭く問いつめた。
病弱びょうじゃくゆえ。──ほかに理由いわれはござりませぬ」
 と、正行はたゞ、そう答えた。
「病弱?」
 親房卿は、汗ばんだあおかおを、じっと見直した。
「病弱とて──」
 と、四条大納言が、言葉をはさんで、
「格別、名のつくいたずきの床につかれたとも聞かぬに──。」
 首を、かしげるように、眉根まゆねをよせると、
隆資たかすけの卿」
 と、親房准后が、なにか容易ならぬことに思いあたったかのような面持ちで、
「左衛門督は──正成まさしげどのゝ後継者だ」
 そう、意味ありげに呟いた。
「楠の──当主であることが──?」
 大納言は、准后の顔をながめた。
「いそがなくてはならぬ──かも知れぬ」
 と、准后はひとりごとのように云った。
「え、なんと仰せある?」
 と、大納言が、き返した。



六本杉の怪異かいい

 こゝは京都きょうと──。
 一条は堀川、村雲むらくも反橋そりばしの橋だもとにある、足利あしかゞ直冬たゞふゆの屋形うちの、遠侍とおざむらいと廊下でつゞいていた雑舎の一室であった。
 はげしい雨の音を聞きながら、人待ち顔でいたのは、堺浦さかいうら商人あきうど唐土屋もろこしや伽羅作きゃらさく──年ごろは三十がらみであった。
 商人といっても、近畿きんき随一の要津ようしんさかいの港の目貫めぬきの場所に、軒を並べる大手筋のうちでも、指折りの分限者ぶげんじゃ後継あととりだから、人品も賤しくなかったし、眼鼻立ちのりゝしいことは、並みたいていの武士よりも、むしろ立ちまさっていた。
(あつらえ向きの暴風雨だったわい!)
 口のなかで呟いた。
 屋内おくないの燈火までも吹き消して、建物をふるいゆるがした烈風と、大雷だいらいとは、もはや、やんだけれど、雨は、車軸しゃじくを流すほどに降りしきっていた。
 このやかたの臣、横溝よこみぞ平馬へいまが、入ってきて、
「きついれようでござったな。舜髄しゅんずいどのは、おゝかた途中でかみなりにあわれたであろうが、どこに雨宿りしてござるやら、この分では容易には歩けますまい。昼間ならば、ともかくも──嵯峨野さがのの闇のまん中では、思いやられる。途方にくれておられるかも知れん」
 そういうと、伽羅作きゃらさくも、
「そのことでございます。こうと知れたら何も今晩、あわずともでございましたに──」
 と、心配顔を見せた。
「天竜寺御衆徒ごしゅうとのお一人ゆえ、嵯峨野路は、なれてござろうが──。どうにも、ひょんなにわれだ。花が散ったばかりだというのに、時違ときたがいの大雷。こりゃいよいよ物騒にならねばよいが、のう唐土屋もろこしやどの」
「そのことでございます。陰陽寮おんようりょう卜部うらべ宿禰すくねさまがおっしゃったとやら──犯星はんせいとかいう星が、客星かくせいとやらにどうぞしたとか、太白たいはくと、辰星しんせいと、歳星さいせいとかいう三つの星が、合ったか、続いたか致しまして、またしても世の中が、とんでもなく乱れるのだと申します。ほんとうに怖ろしいことでございますのう」
陰陽寮おんようりょう占卜うらないは、まことに的中てきちゅういたすので」
「この春は、いやな話ばかり聞きますので、気がくさりまする。天竜寺が、って後醍醐院さまの御供養ごくようはあれほど御鄭重に、前代未聞ぜんだいみもんとやらの御行事でございましたが、まだまだ南朝方のおうらみは消えぬかして、今年はまったく不思議つゞきで──」
凶々まが/\しいことだらけでござる。なかでも気味の悪かったのは、仙洞御所の大牀おゝゆかの上に、犬が二歳か三歳かくらいの童子わらんべの生首を、くわえあげて、三声ほえたという話と、同じ御所の、中門廊の屋根の上を、緋のはかまをはいた怪しい女房が、つたい歩いたという、あの話でござるよ」
仙洞御所せんとうごしょでのお気に入りの朝臣あそん隆邦たかくにの中将さまが御発狂なさいまして、天竜寺からのお戻りがけのお馬を、御所のおにわから、御殿ごてんのなかまで、お乗り入れになったという噂も、堺の浦で知らぬ者が、ないほどでございます」
 伽羅作が、そういうと、平馬は、ふいっと思いついたように、不安げなかおつきで、
「舜髄どのも天竜寺から来られるのだ。──ちょうど仁和寺にんなじの六本杉あたりで、落雷らくらいにでもあって──?」
 と、いゝさした。
「そのことでございます。八つざきにでも、されはしなかったかと、先ほどから、案じておるのでございます。なにしろ、妹が、御勿体ごもったいもない御寵愛を、やかたさまから頂いておりまするゆえ、血を分けた兄の一人の舜髄に、なにかたゝりがあったとて、不思議つゞきの今日きょうびのこと、それも因果いんがとあきらめるよりほかございますまいが、私にとっては大切な弟、逢いたいなどと沙汰せねば、こうした荒れにはわずともと、なにやら自分が手にかけて、殺しでもしたように思われてなりませぬ」
 伽羅作は、すっかりしおれてしまった。
 と、平馬が、急に笑い出した。
「これさ、唐土屋どのでもあるまい。縁起えんぎでもないことを云いだして、現実、雷に裂かれた死骸でも見てきたように! いまにも舜髄しゅんずいどのが、参られたら、それこそ大笑いでござろう」
「そうならまことに嬉しゅうございますけれど、弟は私とは違ってたいそう学問好きでございましてな、きっとひとかどの名僧になってみせるなどと申しておりましたが、とんだ厄日やくびに、嵯峨野路さがのみちを──」
「それ、またしても! 不吉ふきつな話は、もう止めじゃ。のう伽羅作きゃらさくどの、おぬしのお土産みやげの、一本の酒のおかげで、遠侍は先刻から、いやもうえらい上機嫌でござるぞ。天変地異てんぺんちいも糞くらえで、あれあれ、あの通り──この大雨の音にも負けずに、ひゞくでござろう、な、さかんな笑いごえが。──若侍どもの、仲間入りでも、致そうではござらぬか?」
 平馬が、誘うと、伽羅作も、やっとその気になったらしく、
「さようでございますな。やかたさまの御機嫌うかゞいに堺浦さかいうらから上って参って、ふさぎ込むなどは、以ってのほかでございました」
 そう答えて、平馬の後について遠侍へ、出て行った。
 宮内大輔くないたゆう直冬は、将軍尊氏たかうじの庶子だった。尊氏がまだ北条登子ほうじょうなりこめとらぬ以前に朝日局あさひのつぼねに産ませた竹若丸たけわかまる、それがこの直冬たゞふゆであった。直冬は、今年二十三歳。まだ正室を迎えずに、愛妾の敷妙しきたえが、専房せんぼうちょうをうけていた。この敷妙は、唐土屋伽羅作の妹だったが、去年の秋、侍女としてこの館に召使われることになって間もなく、直冬のねやをなぐさめた。そして、その美貌と聡明とで、直冬の心を、すぐさましかととらまえてしまった。敷妙よりも前に寵を得た女も二、三あったのだが、直冬の愛のすべてが、たちまちのうちに、この新らしくて美しい妾へ、吸収きゅうしゅうされたのであった。
「有難う頂戴に及んでおる」
かたじけのうござる」
「男山の吟醸ぎんじょう伊丹池田いたみいけだ菰冠こもかぶり、一夜や二夜で飲みつくせぬところが、特に気にいり申した」
「かような次第なら、今後はしばしば、足しげくおいでくだされ」
「決して御遠慮ごえんりょには及ばん。また我々も決して御遠慮はつかまつらん」
「さあ、おもたせの銘酒めいしゅ、いかゞでござるな」
「拙者から一こん、けんじよう」
「この方も一献」
「身どもも一献」
「いや手前てまえは三献まいろう」
 若侍たちは、たちまち唐土屋をとりまいた。
 主君の寵女おもいものの兄ではあり、町人ながらもふところは福々、看板かんばんにいつわりのない唐土屋で、渡宋とそう渡元とげんの大船までもつ伽羅作だったから、侍どもはしきりに頭をぺこぺことさげたが、もう呂律ろれつのまわらぬほど酔いくずれていた。
 一人が、
「こう、平馬どのっ!」
 と、さけんだ。
「なんだ?」
「今出川の狒々館ひゝやかたで、当館こなた敷妙しきたえさまを、ねらっとるそうではござらぬか?」
「馬鹿を申せ!」
「なに、馬鹿? 馬鹿とはなんだ、平馬どの、ばかとはなんでござるっ!」
「ばかとは鹿が、馬を乗せたことじゃ」
「へ、なあるほど? 鹿が、平馬たいらうまを乗っけたな、平ら馬を。こう、平ら馬どん」
「た、平ら馬? 無礼なことを申すなっ! その方、酩酊めいていしておるぞっ」
「ほい、飲んだ酒なら酔わずばなるまい、米の水だ、げえーぷ、はゞかんながら、大狒々おゝひゝ屋敷、師直館へ、諜者まわしものに入込んどるあの如月きさらぎは、かく申す丹那たんな市之進の乳兄妹ちきょうだいじゃ。今出川のことなら、箸のころんだまでも知っておる、このほうだ。あんまり安くふまぬように願いたい!」
「はゝ御大層に並べおった!」
 と、横溝平馬も仕方なしに笑って、
「だが、また何ぞ、新規しんきに聞きこんだことでも、あるのか市之進?」
かぶとをぬいでおいでなされた、えひゝゝ!」
「人の物、わが物の、見境みさかいのないこうさまのことだ。なにをしでかすか、わかったものではないからな」
「お気にかゝるとみえる」
「すこしは、かたのある話か?」
「形がのうて、かようなことが、御当人さまの兄御あにごもおられるこの場所で、いえるものではござらん」
「と、申すと?」
「御承知のとおり、つい先日、吉野の宮から弁内侍べんのないしをかすめそこねて、熊髭くまひげどのを斬死させ、さんざんにどちをふまれた狒々様ひゝさまだ、歯ぐきをむいていがまれたが六日むいか菖蒲あやめじゃ。送り返された日野家の女房梅枝から、弱そうに見えても滅法界めっぽうがい、楠の若大将がすごいという話を、聞かされたが落ちでは高さまも、業腹ごうはらじゃ。なんぞお代わりを召上らんことには、どうにもおなかがおさまらぬとあって、そこで白羽の矢番やつがいが、こんどはこなたの館の敷妙さまへ──」
「む、向けられたのか? 市之進!」
 平馬は、顔色をかえた。
 いつか、若侍たちも、さかずきの献酬けんしゅうをやめて、耳をかたむけていた。
 一人が、叫んだ。
「やあ市之進っ、それほどの一大事を、なぜ早うつげなんだっ?」
 また一人が、
「もし真実まことなら、大変じゃ、やかたの御安危にもかゝわることじゃぞっ!」
 と、どなり出した。
「やい、大きな声を、出すな。拙者も、日が暮れてから聞いて来たのだ」
 そう、丹那市之進は答えて、大杯たいはいを、ぐういと乾して、
「かくなる上は、酒で英気えいきをやしのうて、いざといわば闘うだけだ。一旦むけた白羽の矢、放たずにしまうような師直さまでもなし、といって、むざと敷妙どのをお渡しになるやかたでもあるまい。なら闘いじゃ、腕ずくじゃ。のめのめっ!」
「よしっ! のむ、のむ。※(二の字点)おの/\、のもうではないか?」
 と、一人がわめくと、
「のまう」
「のむぞっ」
 声が、そろった。

 平馬は、じっと、考えていたが、
「市之進、たしかであろうな?」
 と、念をおした。
「弓矢八幡、男山おとこやま!」
 と、市之進が答えた。
唐土屋もろこしやどの。手前は、このこと、殿のお耳に入れて参る」
 平馬は、そういって、遠侍から出て行った。
「もし」
 と、伽羅作は、わなわなふるえる声で、
「どう致したら──私はもう、怖ろしゅうてなりませぬ。今出川いまでがわのお屋敷は、将軍様の高倉館たかくらやかたよりも、何層倍かお広いようでございます。侍衆も、何百人とおられましょうに、失礼ながら当お館は御無人ゆえ、私はもう、生きてるような気がいたしませぬ!」
「はゝゝゝ、唐土屋どのも苦労性くろうしょうじゃ」
「なんぼ、お狒々さまの横車よこぐるまでも、のう」
「こちらは将軍家の公達きんだちじゃ」
「闇から棒に寄せては参らん」
「そりゃ何千人でも、立ちどころに、今出川へは集まるじゃろうが、こなたにも大きな後楯うしろだてがござるでの」
「そうともそうとも。三条武衛館ぶえいやかた直義ただよしのとの、天下の副将軍が、だまってはおわさぬわい」
 若侍が、口々に、伽羅作をすかした。
 しのつく雨は、なおしきっているらしく、孫廂まごびさしをたゝいた。その音を、いきなり、圧するような、けたゝましい声が、入口の沓脱くつぬぎでひゞいたかと思う途端とたん
「あっ!」
 なにか、えたいの知れぬ物──とにかく真っ黒い物が、遠侍とおざむらい広敷ひろしきへ、ころげ込んできた。
「おゝっ!」
 真っ黒い物が、さけんだ。
 手もあり、足もあり、頭もあった。
「や、舜髄しゅんずいっ! 舜、舜髄ではないかっ!」
 と、さすがに兄弟、いち早くみとめて、唐土屋が、よばわった。
 まるで、溝川どぶがわの水底からでも這い上ったようなさまで、黒い法衣ほういからしずくと泥を、したゝらせながら、天竜寺の所化しょけ、舜髄が、はげしく呼吸をはずませ、まなこを精一ぱいはだけて、ゆかの上に半身を起した。
「舜髄どの、しっかり!」
「気をたしかに!」
 若侍が、両三人、走りよって介抱かいほうした。
「あゝ、やっと、やっと来た!」
 と、舜髄は、はじめて人声を聞かせた。
「どうされた?」
「いかゞなされた?」
「苦しい! 水、水!」
「それ、水、水っ」
「酒、酒──酒をやれっ」
 さかずきの酒と、茶碗ちゃわんの水が、舜髄の口ヘはこばれた。一人が、背中せなかを、さすってやった。目を白黒させながら舜髄は、まず酒と、それから水を飲みほして、ほっと太息といきを吐いた。
 伽羅作が、
「舜髄!」
 と、肩に双手もろてをかけた。
兄者あにじゃ! わしは、天狗てんぐさまを見てきた」
「なに、天狗?」
「天狗さまじゃ! おそろしい天狗さまじゃ! 見たばかりか、天狗さま方の、お話声もすっかり聞いて参った! あだやおろかの天狗方てんぐがたではないのだ!」
「これさ、おぬしは正気しょうきなのか?」
「正気でなくば、このようにおびえはせぬ。きつくような雷光いなずま──耳もつんぼになりそうな雷鳴かみなりに、どっと降りだす驟雨にわかあめだ──こりゃたまらんと、仁和寺にんなじの、六本杉の樹蔭へしばし雨宿あまやどりを、しておる間に出逢ったのが天狗評定てんぐひょうじょうだ! 身の毛もよだつようなおそろしさに、逃げようとしたが躰がなえて、脚がすくんで動けないのだ!」
「へーえ、不思議なことも、あればあるものだなあ!」
 唐土屋が、そういうと、
「ほう、天狗評議ひょうぎ!」
「天狗評定とはきたいじゃのう!」
 と、若侍たちが、引きこまれた。
「どんな格好かっこうの天狗でござった?」
「どんな声でござった」
「どんな評定でござった?」
 舜髄が、
「天下の安危あんきにかゝわった御評定ゆえ、まずもって、館さまのお耳に達して、それからじゃ」
 と、答えた。
「え? 天下の安危を──天狗どもが?」
 と、兄、伽羅作がいうと、
「あ、滅相めっそうもない! 天狗ども、などと云ったら、ばちがあたる。なまやさしい天狗方ではござらん。大塔宮だいとうのみやさまの御外戚ごがいせき、峯の僧正春雅しゅんがさまだの、浄土寺の忠円ちゅうえん僧正そうじょうだのという、南朝の大天狗方の御評定じゃ」
 と、弟、舜髄が答えた。
「え、南朝の!」
「大塔宮さまの御外戚の!」
「峯の僧正!」

 そばには、すゞしのきぬに、木蓮もくれんの花をおいた浮線綾ふせんりょう仕立ての唐衣からぎぬを、さながら北の方もどきにまとった愛妾、敷妙しきたえがいた。
 僧、舜髄と、平馬は、室内に入って坐ったが、唐土屋伽羅作は、侍女と一緒に入側に残った。だが、いくつもおかれた切燈台きりとうだいのともし灯は、あかあかと、入側いりがわまで照らしていた。
 直冬は、あかねいろの地に黒模様の、若々しい狩衣かりぎぬを着て、薄縁うすべり円座えんざを敷いていた。烏帽子えぼしはもう、ぬいでいたのであったが、容易ならぬ怪異かいいをみて来たときいて、いま、たいの居間に、舜髄をよび入れたのだ。
「ぬれたまゝのころも、着心地が悪かろうの?」
「いえ、それどころではござりませぬ」
「さようか。さらば、聞こう」
早速さっそく、みたまゝ聞いたまゝを申し上げまする。──沛然ざあ/\という豪雨の闇空やみぞらが、不思議や、あかるく見え澄んだのでござります。あっとおもういとまもなく、愛宕あたごの山や、比叡ひえいの峯の大空から、虚空こくう飛行ひぎょうしてまいった四方輿ごしのかず、六本杉の梢に引きめぐらした幔幕まんまくの内に、あつまったと見えました時、さっと吹く一陣の風に、幕張りがまくれあがりました。と、そこにつらなる方々の容貌かおかたちが、ありありと現じたのでござります。一段と高い座にある方々が、上座から順に名乗られました。まず第一番が、峯の僧正さま──」
「おゝ、峯の僧正!」
「濃いこうの衣に、御袈裟おけさ──水晶の珠数じゅずつまぐられ、眼を月のようにかゞやかせて、われこそは、大塔の宮のおん外戚、峯の僧正春雅なり、とござりました。で、その次は、南都なんとの知教上人
ちきょうしょうにん
──」
「む、知教上人」
「第三番は、浄土寺じょうどじ忠円ちゅうえん僧正──」
「おう忠円僧正」
「その次ぎ次ぎ、いずれも、正中しょうちゅう元弘げんこう建武けんむ廷元えんげんと、後醍醐のみかどのおんために命を捨てられた方々でござります。やがて、銀のお銚子に金のお盃で、お酒宴さかもり──お酌は、とびのようなくちばしの、脇の下からつばさのはえた天狗たちが、致したのでござります。やがて、峯の僧正さまがお声も高らかに、さてもこの足利あしかゞの世の中を、いかにして騒動さすべきやと、そう仰せられますと、浄土寺の忠円僧正が、それはいともやすきことにて候。まず、副将軍直義は、女犯戒にょぽんかいを持して、俗人においては自身ほど禁戒きんかいを犯さぬものなし、と思う我慢心がまんごころが、強く候。そこがかくいう忠円の附目つけめ、すでに去年九月の一日の夜、身ども直義にり移りて、彼の北の方を犯し、その腹に懐胎かいたいさせおき候ゆえ──」
「えゝっ! な、なんと?」
 さっと、顔色を変えて、直冬がさけんだ。
「おそろしいことでござります!」
 と、舜髄の声音こわねが、おのゝいた。
 愛妾あいしょう、敷妙は、面をうてふるえだし、平馬は、口をひらいたまゝ、恐怖の目をみはった。入側いりがわでは侍女が、唐土屋にしがみついて、おびえた。
「──その腹に懐胎かいたいさせおき候ゆえ、峯の僧正には、その腹の子に、り移り給うて、男の子となって生れさせ給うべし」
「おゝ舜髄っ、なんという物凄いことを!」
 と、直冬は、ほとんど座にたえぬように、またさけんだ。が、舜髄は、語りついだ。
「また、天竜寺の夢窓むそう国師が法眷ほうけんに、妙吉侍者みょうきつじしゃという僧あり。道行どうぎょうともに足らずして、おのれほど学解がくげの人はなしと思えり。この慢心こそうかゞうべきところにて候ぞ。されば、峯の僧正には、その心にもりかわり給いて、政道に容喙ようかいし、難をば起させ給うべし。なお、知教上人は、上杉伊豆守重能しげよし、畠山大蔵少直宗なおむねが心に入りかわり、師直、師泰兄弟を討たんとはからわせ給え。この忠円は、たゞちに高兄弟が胸に喰い入りて、上杉畠山を滅ぼし候わん」
「あゝ凶々まが/\しい! 舜髄!」
「忠円僧正のお言葉は、それで尽きたのでございます。峯の僧正が、おゝ、いみじくも計りしよなと、仰せられたかと思うと、たちまちに、まぼろしは消えて真の闇──杉のこずえが、雨風に、鳴りはためくだけでござりました」
 舜髄は、そう語り終って、ほっと吐息といきをついた。表情に刻まれた畏怖おそれは、まだ深かった。
 直冬は、顔も躰もこわばって、すぐには物を言えなかった。敷妙が、ふるえながら、
「わが殿──」
 と、寄り添った。

 夜は、雨のなかを、ふけて行つた。
 館は、あらゆる部屋々々に、廊の端々はし/\にまで、悽凄すご/\しい気分をこもらせていた。
 直冬は、ねやの間に入ったが、狩衣かりぎぬを、白ねり褻衣ねまきの小袖に着かえても、短檠たんけいのほのかなとものそばに坐ったまゝ、几帳きちょうの奥の臥褥ふしどへ行こうとはしなかった。
「のう敷妙」
「はい」
 敷妙も、薄紅梅いろの臥褥着ふしどぎをまとって、しずやかに、ぬぎすてられた狩衣かりぎぬを、おりたゝんでいた。
「そなた──は、あの叔父上館の──北の方御懐胎の件について、なにか舜髄にもらしたことが、ありはせぬか?」
 父尊氏の若かりし日の面影おもかげそのまゝの顔をくもらせて、直冬はひくい声音こわねでたずねた。
「あれ、──わたくしが?」
「そなたが──」
「なんで、まあ!」
「舜髄は、およそ千人にも近いという天竜寺所化しょけの一人、いわば末の末の法眷ほうけんじゃ。寺内でも、秘密を知るは、おそらく、夢窓国師むそうこくしのほかには志玄御坊しげんごぼうと、妙吉みょうきつ侍者じしゃどのくらいのものであろうに、──そなたがもらさねば、舜髄の知るはずがないとも思われるでの」
「あら、──なことをおっしゃいまする」
 と、敷妙は、美しいかおをうらむがように仰がせて、
「そのおうたぐり、わたくしにはとんとせませぬ。兄舜髄はたゞ、みたまゝ、聞きましたまゝを申し上げたのでございましょうに?」
「それはそうじゃが──なれど、人はわが心に露、かたのないことをまぼろしにみるものでない」
 そういって、直冬は、じいっと目を閉じた。うまれつきの俊敏が、新興の宋学の泰斗たいと、独清軒玄恵法印げんえほういんに師事して、学ぶところの浅くなかった直冬であった。だから、かるがるしく怪異かいいを信じ、みだりに妖言ようげんにまどわされるような人物ではなかつた。
 敷妙が、
「でも──」
 と、短檠たんけいの灯の脇へ、いざり寄って、
「舜髄は、──去年九月の一日の夜、などと申したではございませぬか。わたくし、そこまでは殿より、うかゞった覚え、ございませぬものを」
 と、いった。
「むゝ、そこまでは──」と、まなこみひらいて、
「そなたにも語らなかった」
 直冬は、そういったが、やゝあって、
「──懐胎日かいたいび──懐胎日──」
 つぶやきが、なやましげに聞えた。
 むろん敷妙を、ふかく疑って言いだしたわけではなかったのだ。たゞ、あまりにも不思議な、奇怪きかいな感じの、持って行き場所が、どこにもほかに見つからぬためであった。
(たしかに、九月一日の夜半よわ!)
 ──こうした妖怪事が起らなくても、充分に不思議といえばいえる懐胎かいたいだったのである。
 ──副将軍、参議、左兵衛督さひょうえのかみ、足利直義は、女犯戒にょぽんかいを心ひそかに立てゝ、その戒律かいりつをかたく守りつゞけて来たのが、去年の九月一日の夜半、どうした惑いか、ふらふらと北の方の寝室ねやを、ちょうど十三年ぶりでおとずれた。直義が、なぜそうした心の誓いを立てたかというと、それは大塔宮への畏怖おそれからであった。建武けんむ二年の七月二十三日、直義の臣、淵辺ふちべ伊賀は、鎌倉は薬師堂谷やくしどうがやつ、東光寺の御所でもったいなくも、護良もりなが親王に対して大逆だいぎゃくを犯した。その大逆の伊賀は、すぐに狂うて死んだが、責めは到底とうていまぬかれぬ直義自身も、悔いと恐懼きょうくにさいなまれ、堪えがたい苦しさからのがれる路を、この心の誓いに求めたのであった。以来、北の方は、独閨ひとりねをつゞけなければならなかった。北の方は、吉良きら氏、渋川しぶかわ貞頼さだよりむすめだったが、とついて数年、まだ身ごもらぬうちに、この夫の女犯戒に出逢って、空閨くうけいをかこつことになった。そして去年はすでに四十歳に達していた。それが、たゞ一夜の語らいで、あやしくも受胎じゅたいした。考えてみると、新婚後の幾年かのあいだにもはらまず、その後は禁慾きんよくの十三年をすごして、四十歳に老いた女が、こつねんとして、腹に異状をおぼえたのだから、北の方その人も、また直義みずからも、ことの外、驚きもし、いぶかりもして、ふかく事柄を秘した。たゞならぬ身とはいえ、果してそれが懐胎かどうか、ひそかにたしかめるために、和気わけ丹波たんば両流の医事の博士はかせ、本道外科一代の名医を、三条坊門の館にまねいた。直義の坊門邸ぼうもんていにあつまった専門家は、かわるがわる北の方のからだを診て、
「おもうに、これは、いたわりの風気がもとの症と存ずる。労風ろうふうを治する薬として、午黄金虎丹ごおうきんこたん辰沙しんしゃ、ならびに天麻円てんまえんを配して、御治療まいらせよう」
 と、いう博士があった。また、
「やつがれの診断みたては、気によって生じたる腹臓のつかえ。されば気をおさむる薬餌には、兪山人ゆさんじん降気湯こうきとう、それへ神仙沈麝香しんせんちんじゃこうをも加えて配剤なつかまつろう」
 と、いった名医もあった。また、
「身どもは、これ、純乎たる腹病ふくびょうと診察申した。よって、金銷正元丹きんしょうせいげんたん、さらに秘伝の玉鎖円ぎょくさえん、この両剤をもって、御療治にあたる所存でござる」
 と、そう述べた典薬てんやくもあった。だが、たゞひとり、典薬頭、和気仲成わけのなかなりだけは、しばらく首をひねって後、
「なんとしても、御懐妊ごかいにんとしかられませぬぞ」
 と、断じた。
 この仲成の診断は、いろいろにた名医たちにも秘された。
 だんだん月が重なるにつれて、北の方は、仲成の診たてのあたったことを自覚した。年がけると、あきらかに、胎動たいどうをおぼえたからであった。そして、今月、七月目で、しのびやかに著帯ちゃくたいをおこなった。
 それは、つい昨日のことなのである。
「大塔宮ざまの亡き御霊魂みたまへの──」
 と、敷妙が、直冬のひとみをながめつゝ、
「おつゝしみから、と、──いつぞやのお寝物がたりに──」
 そう云いかけるのを、
「もう、よい」
「でも──」
「もう、よい」
 さえぎって、
「だが、解きがたいは、怪異の謎じゃ。──幻象まぼろしが、仁和寺にんなじの六本杉で、それも舜髄しゅんずいのような、はるか局外きょくがいの者に、なぜ現われたか──という謎じゃ」
 直冬は、目をつぶって、うなだれた。
 その瞬間、いぶかしや美女の双眸そうぼうは、いきいきと、むしろうれしげにかゞやいたではないか。
 はて、何故なにゆえであろう?



千早ちはや新屋敷しんやしき

与茂よも──。暗くなったな」
「日が暮れゝば暗くなるわさ」
「みごとな夕映ゆうばえだったが、月の初めの朔日ついたちだから、今夜は闇夜やみよの、ちょうどまん中じゃ」
「それほど解っていたら、こぼすな」
「こぼしはせんが、足許あしもとが見えん。──与茂。富山とみやまとりでから、松明たいまつをかりて来るのだったな」
「松明なら、麓村ので間に合う」
 与茂平よもへい度々平どゝへいは、虎夜叉正儀とらやしゃまさのりと、近習きんじゅ梶丸かじまるとが乗った馬の前、十間ほどを、小声で話しながら歩いていた。
度々どゝ──。こんな時刻に──気になるの。御急用にちがいないが」
「吉野から、安西あんざい九八郎どのが戻った」
「む。そして、殿の御相伴ごしょうばんをして、飲み食いされた」
「おれたち二人も、はやばやと夕飯をたべた」
「そんなことは、どうでもよい」
「よいものか。腹がへっては、お供ができんぞ」
弱虫よわむしめ!」
「お互いにな!」
「だが、どうも気になるて」
「それもお互いさまじゃ」
 馬上の虎夜叉と梶丸かじまるは、黙々としていたが、やがて麓村ふもとむらに入ると、梶丸が、
「与茂平──。佐々良さゝらの家から、松明をとって参れ」
 と、書いつけた。
 与茂平は、路に沿う一構えの、小じんまりした屋敷のなかへ、入って行って、百姓家ふうの萱葺かやぶきの、だが武士の住居すまいには相違ない家の玄関に立って、
「──東条とうじょうの、虎夜叉の殿、たゞいま、千早の城まで参らせらるゝ。松明、二挺、所望しょもういたす」
 大きな声で、そういうと、奥から、あるじの佐々良大蔵が、もうかなり曲った腰を、右、左にゆすりながら走り出て、屋外の闇をすかしつゝ、
「おやすい御用じゃ。何挺なんちょうなりとお持ちなされ。して、おとの殿は、いずれにおわす?」
 と、いったとき、くらがりから虎夜叉の声がきこえた。
健康たっしゃ大蔵爺だいぞうじい。──馬をあずけて行く。登らすのは、ちと無理じゃ」
 柴垣の門口かどぐちから、前庭へ、虎夜叉と梶丸があらわれて、下馬した。
おとの殿、久濶しばらくでお目にかゝりまする。夜分やぶんの御登山とは、なんぞ早急さっきゅうなる事態なと、出来しゅったいいたしたのでござりますか」
「いや、かくべつくという用ではない。そゞろに青葉の匂いぎに来て、爺の無事な顔見たようなものじゃ」
「おぐちを──。いよいよおとむらい合戦が、はじまるのではござりませぬか? そのための、お打合せに、お山の御留守居、神宮寺しんぐうじどのの許へ、成らせらるゝとお察し申すが──?」
「爺。相変わらずの性急せっかちじゃの。まだまだそうは運ばぬよ」
「はてな。爺はまた、お山の侍たちの噂どおり、吉野におわす館の殿が、弁内侍べんのないしさまをお救助すくいあそばしたで、頭から湯煙りたてた高師直こうのもろなお、大軍を狩り催うして押寄せるを、ござんなれとばかり迎え撃つ、それきっかけに湊川みなとがわの御無念、はらすべき大戦が、さては間近まぢかと存じたのに──」
「なるほどな。爺の考えそうなことじゃ。こんどこそ、腰はあずさ弓形ゆみなりでも、兵庫へお供できなかった埋め合わせ、第一線にというだろうが、その意気で、せっかく養生ようじょうしてくれ」
 大蔵爺は、そういわれて、白髪しらがあたまをふった。
「養生なぞは御免蒙ごめんこうむる。とんでもない。この上いつまで辛抱しんぼうは、なり申さん!」
 半農生活──各自の采邑さいゆうに、大なり小なりの家屋敷を構えて、ふだんは家人や従僕に、鋤鍬すきくわをとらせて、農業にいそしむが、一旦、事あれば、農具を武具にかえ、家人を兵に、下僕をそつに仕立てゝ、駒に鞭うちつつ最寄もより々々/\の城やとりでへ、馳せつける──それが楠の家臣一般の生活だった。この佐々良大蔵も、むろん、その一人なのである。
 大蔵の悴、大助が、松明たいまつを二挺もって、家の下口しもぐちから出て来て、
虎夜叉とらやしゃさまには、お山のお城に、御一泊なされましょうな」
 と、いゝながら与茂平と度々平へ、その照明あかしを渡した。家僕らが、乗りすてられた馬の方へ行ったとき、
「爺や、行って来るぞ。」
 正儀は、大助へも、
「泊るかも知れん。また帰るかも知れん」
 そういって、前庭から表へ、松明たいまつに照らされながら出て行った。

 麓村ふもとむらから、山路が二筋に分れて、「胸衝むなつき」とよばれる急坂きゅうはんは、城の大手へ、「肩衝かたつき」とよばれる急坂は、城の搦手からめてへ通じていた。「お山」とは、金剛山こんごうせんだ。その中腹にたつのが、千早ちはやしろであった。
 そこは十五年の昔、元弘げんこうの三年、勤王の旗をかたくまもって正成まさしげが、北条慕府の、雲霞うんかの大軍を、なやましぬいた古戦場だった。敵はまず、峨々がゝとして近よれそうもなくそびえる金剛こんごう険嶽けんがくを、あおがなくてはならなかった。千早城のそのまた上、峯の頂辺てっぺんにそばたつ国見くにみとりでを、おどろきの眼でながめなくてはならなかった。登るべき路は、二人とは並べぬほど細かったので、雑木ぞうきの枝にすがったり、岩のかどをつかんだりして、刀は背に負い、弓はくびにかけ、槍や長巻ながまき薙刀なぎなたは、束ねて繩で吊りあげながら、大石だの、丸太だの、樹の根株ねかぶだのが、地響きもろともに落ちてくるのを怖れつゝ、よじ登らなければならなかった。この山の名、この城の名は、くすのきの名とともに、たちまち天下にとゞろき敷いたのであった。そして四方に義軍が起り、北条幕府が倒れて、建武けんむ維新いしんとなったが、足利あしかがの反逆のために、その中興ちゅうこうの業やぶれてこゝに十二年──山と城とは、さながら再挙さいきょを待つかのように、水分みくまりの盆地の初夏を、じっと見おろしているのだった。
 だが、盆地の翠色みどりいろは、夜の闇に没し、城は、山腹の寂莫しゞまに眠ろうとしていたとき、留守居の神宮寺しんぐうじ正房まさふさは、
「なに、乙子おとご──虎夜叉どのが?」
 と、驚いていった。
 正房は、水越峠みずこしとうげ下の自分の屋敷に妻子をのこして、この大切な城をあずかっているのである。
 木戸が、中庭へあいて、松明たいまつがかゞやいた。
「正房、夏になったのう」
 虎夜叉は、無造作むぞうさに、縁へ腰かけた。
「これは乙殿おとどの、御機嫌うるわしゅう」
 正房は、広い肩が、がくりがくりかしがるほどの、ひどいびっこを引きながら、縁ばたへ出た。湊川激戦の生紀念いきがたみだった。
 負傷のあとは、それのみでなく、指は三本とれていたし、顔はいたましくひきつっていた。
「お呼びくだされば、参ったものを。わざ/\」
「九八郎が、きょう吉野から戻った」
「ほう。して、やかたは、なお御滞留ごたいりゅうかな? 御母堂様にはどんなにか、お待ちかねでござろうに」
「もう近々ちか/゛\に、戻らせらるゝ」
石掬いしきく、野田、その他の手負いも、おゝ方、傷がえたとみえまするな。おゝ、申し後れた。このたびは、館御名誉の御昇任──かたじけなく昇殿しょうでんをもおゆるされ──恭悦きょうえつ至極に存じ上げる」
「正房。──開戦の勅許が、下るかも知れぬぞ」
「え! そりゃ、ま、真実まことでござるかっ?」
「親房卿も、お根負こんまけの形じゃという」
「あゝ有難や! 弁内侍をという忝けない思召おぼしめしまで、御辞退申して願わせられた、その甲斐かいが、あったのじゃ! 有難いことじゃ! おとどの。──乙殿っ!」
「なんじゃ?」
「えゝ、なんじゃとは! 乙殿っ!」
「どうした?」
「ど、ど、どうもこうもないわいっ!」
 ぴしゃりっ、えん牀板ゆかいたを、正房は平手ひらてでたゝいた。
「お身さまの、その顔、その顔は?」
「このつらが?」
「えゝ、そのおつらが、気にくわん!」
「困ったな。だがうまれつきならせんなかろう」
「乙殿っ! 詮ないではすまん。先殿御精霊ごしょうりょうに、この神宮寺が相すまん! 乙殿──乙殿っ!」
「乙殿が、へってしまう。」
「うれしくはござらぬか、うれしくは!」
「うれしいどころか、大悄気おゝしょげじゃ」
「なにっ!」
「泣きたいくらいだ」
「ばかっ!」
 ごつりっ、こぶしで、正房は、えんをたゝきつけた。虎夜叉は、うすらに笑いつゝ、
「指の古疵ふるきずを、ちといたわるがいゝ」
「ちえっ、わしはもう厭じゃ! かえってほしい。帰らせられい」
「せっかく、来たのだ。そういうな」
「虎夜叉どのは、そも何のため来られたんじゃ」
「そりゃ相当の目的めあてなしには、夜路を、とぼとぼ参りはせぬよ」
「前置きは迷惑じゃ」
「すこし人並みな声になったの」
「あ、よけいなことを!」
「開戦と聞かば、さぞかし神宮寺が亢奮こうふんするであろうと、そう思って、あらかじめ、火の手を消しに来たのだ。一月ひとつきがかりで喰いさがられては、北畠の准后も土俵どひょうを割るかもしれん。いや、割りそうじゃ。兄上が、颯爽さっそうと御帰館になる、勅許ちょくきょを得てじゃ。正房、そこでお身の火の手が、兄上の熱をあおった日には、河内かわち和泉いずみは丸焼けになろう。わしはそれが心配で──」
「乙殿っ。さてもさても見下げはてた御根性ごこんじょうじゃわい。戦うことを、大びらに、さゝえようとなされるのか?」
「そうだ。あくまで、両三年、待って貰うのだ。待たばかならず、勝てるのだ」
「あゝ、不肖ふしょう乙子おとご、不肖の弟! 正成の殿は、敵を都にひきいれて、河尻かわじりふさいで叡山えいざんから、瀬田、宇治をつなぐ味方の軍と、北、南よりはさみうたば、勝つべき戦さを、闘わで、兵庫へ下られまいたぞ」
「場合がちがう。いまとは形勢もちがう」
「中陣は弟御、正季まさすえどの。先陣はお従弟いとこ弥四郎正種どの。敵の大将直義が旗本めがけて、切って入り、突撃、短兵たんぺい、白闘戦。高兄弟と卿律師きょうりつし、細川の軍、駆けなびけ、上杉吉良きらの諸隊とも血戦して、七百人が総討死そううちじにじゃ。生きて河内へもどったは、この正房まさふさたった一人じゃ。いかに湊川の戦いがはげしかりしかを、語りつたえんがためでござった。殿の厳命げんめいもだしがたく、死すべかりし生命いのちを拙者がながらえたのは、乙殿──お身さまのような人を、楠の御家門から出すまいがため、そ、それがためでござったぞっ!」
十八番おはこが出たの。尊い生紀念いきがたみ、楠の家宝じゃよ、おぬしは。だから兄上も、おぬしのいうことなら、一番よくお聴きなされる。そこでじゃ、不惑ふわくをこえた年甲斐としがいに、ちと落ちついて物事を考えてほしい」
「何、落着いて──?」
「長老株ではないか」
「────」
「わめくだけがのうでもなかろう。この虎夜叉を、ほめよなぞとは決して云わん。たゞ兄の殿の、ありがたい恩賜おんしを拝辞してまで、妙におあせりになるお心を、この上、そゝりたてぬよう気をつけて貰いたい。それを申しに参ったのだ」
 虎夜叉正儀は、縁から腰をあげた。そして仄暗ほのぐらい中で、神宮寺の傷痕きずあとでゆがんだ顔を見入って、
「おぬしも大分、あきれたらしいが、わしもまことにあきれかえった。まさかに、これほどとも思わなかった。のう生紀念いきがたみ、お身は一体、いまゝでにたゞの一度も、なぜやかたが戦いを、さまでにあせらるゝかという疑いを、胸にわかしたことが、あるのか」
 と、なおしばし、ながめていたが、
「今晩は、これで帰る。──ようく、考えてくれ」
 いいすてゝ、梶丸と、松明たいまつの方へ、中庭をぎって行った。

 神宮寺しんぐうじ正房は、とうとう睡れなかった。
 虎夜叉め言葉が苦になったのだ。いゝとしをして、よく考えて見ろ、といわれた。たゞの一度も疑問が起きぬのか、ともいわれた。東条とうじょうから夜おとずれた理由も、一言、聞かされたには聞かされた。けれども、どう考えても、すべてがわからなかった。しまいには、五里霧中りむちゅうをさまよう気持になって、ひたい古疵ふるきずがいたむようにも感じられて心が、いらだった。
 掻巻かいまきを蹴りやって、窓をあけると、かすかに東がしらんで見えた。
新屋敷しんやしきへ──行こう)
 何べんも考えたことを、ついに決心した。
 水分みくまりの新屋敷──それは、楠の三兄弟の、仲の次郎正時まさとき住邸すまいだった。
 思い立てば、待てもしばしもない性分しょうぶんだから、いきなり郎従が三人、たゝき起された。
 郎従は、睡りたらぬ目をこすりながら、厩舎きゅうしゃから、正房の乗馬をひきだして、二人はそれを麓まで、夜明け前の暗い急坂を、谷へはまらぬように心をくばりながらつれて行かねばならなかったし、また一人は、大跛おゝちんばの主人の下坂を安全にするために、はなはだ骨の折れる杖の役目を果たさなければならなかった。
 千早川ちはやがわの谷からわく払暁ふつぎょうの霧は、まるで雨のように人と馬をぬらした。
 麓村はどの百姓家も、佐々良大蔵の家も、まだ寝静まっていた。そこから新屋敷までは、およそ一里半。
 門前についても、まだ朝陽あさひはのぼらず、門扉はかたくとざされていた。
 郎従の声は、役にたゝなかった。正房自身の音声おんじょうがやっと門番の暁きの夢をやぶった。
 屋敷は、下赤坂しもあかさかの城を、間近にながめる位置にあって、濠と築地ついじをめぐらし、川の水をひいた濠が明けきらぬ空と、かゞやかぬみどりとをうつしていた。
 この屋敷は、故正成まさしげが弟正季まさすえのために工事を起し、半ばにして湊川の陣没ぢんぼつとなった思い出のからまる屋敷で、やはり同じ運命をみた観心寺かんしんじの五重塔と共に、人人の泪をさそう種であったが、基礎きそと一重しか出来てない塔の方は後まわしとして、ほんのもうすこしで兎も角も住めるやかたになる、というので、かなり手をぬいてこしらえあげられた。で、こゝには、次郎正時が、叔父正季の遺児わすれがたみの庄五郎正氏まさうじを、手許に引き取ってすんでいた。正氏は今年、十五歳だった。正時は、再従弟またいとこ正忠まさたゞをも同居させていた。この正忠は、湊川で最もはげしく挺進ていしんして、まさに敵帥てきすい直義を斬ろうとまでした一門随一の驍将ぎょうしょう、楠弥四郎正種まさたねの子で、いまはもはや二十歳だった。
 まだ薄ぐらい客間へ、神宮寺は案内された。
「驚かすのう、わはゝゝゝ」
 と、わらいながら屋敷のあるじが、あらわれた。
「ゆるされい、次郎の殿」
「まるで夜中発よなかだちではないか。若い者には真似まねができん。父上にきたえられた士は、ちがったものじゃ。あたまが下る」
「おめは、痛みいる。じつは、思案しあんにあまって、お智慧ちえを拝借にまいった」
「はて、思案にあまって」
「はい」
「そりゃおかどちがいじゃ。東条とうじょうになら、あまっておる智慧はいくらもあろうが、わしには生憎あいにくと持ちあわせが、いたってとぼしい」
「いえいえ、その東条が来られたのじゃ」
「え、来られた? どこへ?」
「昨晩、拙者せっしゃがもとへ」
「ほう。虎夜叉が、千早ちはやの城へ」
「開戦の勅許が、下るだろうと云って来られた」
「なかなか。下るものか」
安西あんざい九八郎が東条に戻っての報告では、たぶん下るというので、とにかくそうあった場合、館の殿を、戦をあそばさぬように、おさゝえ申せと、この正房まさふさにおっしゃった」
「おぬしに、虎夜叉が──」
「さよう。その乙殿おとどのの云われたことが、たゞの一つも手前にはせませなんだ」
「あれの頭悩あたまはちと、いや大いに我々のと、構造できがちがうから、どうも調子が合わぬて」
「合うの合わんの喋舌しゃべりではござらん」
「人もあろうに、おぬしにのう、非戦論ひせんろんの味方になれなどと──」
「なさけない御根性ごこんじょうだと、縁をたゝいていさめれば、指のもげた古疵ふるきずをいたわれなぞと、はぐらかし、乙殿乙殿と呼べば呼ぶで、乙殿がへってしまうという御返辞ごへんじじゃ。ひとのことは頭から、愚弄ぐろうするに事欠いて、のう生紀念いきがたみとおいでなさる。おまえは楠家のたっとい家宝じゃと申されたその唇のかわかぬ間に、それがしの湊川いくさものがたりを、おはこが出たなとあざけりわらう。ありゃ御家門のお面汚つらよごしじゃ。ありゃ、なんとしても──」
「わはゝゝゝ。」
 わだかまりのない笑いごえが、神宮寺しんぐうじの言葉を消した。
太郎兵衛たろうびょうえ、なにかと思うたら、益体やくたいもない! 湊川の懐古談かいこだんは、おぬしの十八番。また唯一の生存者、激戦の生紀念いきがたみに相違はなし、手の指の古疵をいたわれも、あえて侮辱ぶじょくともいえまいがの」
「ほ。次郎の殿まで!」
 神宮寺は二指足りない右手でたゝくかわりに、こんどは投げ出しの足のかゝとで、ゆかをたゝいた。
「お身さままでが、そ、そのようなこと言わっしゃるなら、太郎兵衛正房、皺腹しわばらを切らねばならぬ」
「ははゝ、四十を幾つも越さで、まだ皺腹しわばらでもあるまい。」
「ほ、それだ。虎夜叉どのを──口真似くちまねなさるか?」
「神宮寺──。一こくすぎるぞ」
せんとのゝ御依託ごいたくに対して、申訳がござらん! 御後室ごこうしつに、顔向けが成り申さん! 腹切ってお詫びいたすほかござらん!」
「それそれ。それがよくない」
「あん?」
「わしら兄弟の少年時代なら、それで結構。だが、虎夜叉とらやしゃさえ、すでに二十歳。いや、あれの二十歳は、ひとの三十にもさろう。たしかに、稀有まれ秀材しゅうざいじゃでの」
「ぷ! 邪智慧わるぢえは、そりゃあまるほどあろう。読み書き諸芸に達者たっしゃでも、人間がうそならば楠のお人ではない」
「むろん、父上のような完全な人間ではない。人格において欠点けってんはあろう」
「なに、あろう? はゝゝゝ!」
 さげすむように笑って、
「こりゃ可笑おかしい。太郎兵衛、おたずね申す」
「なんじゃ?」
「そもいつから、邪宗じゃしゅうへ、宗旨しゅうしがえなされた」
「宗旨がえはせぬよ」
「新屋敷どの──」
 膝関節ひざかんせつのまがらぬ脚で、ふたゝびゆかをたゝいて、
「亡きお父上をおそれず、母ぎみの、きびしい御訓戒ごくんかいをも尻に聞かせて、稚児輪ちごわの頃より、女子おなごにたわむれ、侍女をもてあそぶ乱痴気沙汰らんちきざた沙汰さたのかぎりへ※(「彡/(足−口)」)しんにゅうかけて、うすっぺらな態度、人を人とも思わぬ口ぶり、虫唾むしずもはしれば、しゃくにもこたえる! さあ、あの横邪よこしまを、あのろくでなしを、な、なんでかばわれるのじゃ?」
 ひきつった頬へ、急に泪が、ぼろぼろとこぼれ出した。

 男泣きに、泣きじゃくって、
「楠を、枯らそうとする毒虫どくむしじゃ! 悪魔の夜叉やしゃじゃっ!」
 と、神宮寺はさけんで、
「あの夜叉やしゃを、あの夜叉を──お身さまが、お身さまが──」
 声を、ふるわせると、
「これさ。太郎兵衛」
 正時は、さゝえて、
亢奮こうふんがすぎる! そう一に思い迫っては困る」
「えゝ、なにが過ぎる! なにが困るっ!」
「さけばずとも、話は出来よう」
「出来ん、相ならんっ!」
「しずかに!」
地声じごえだっ!」
 と、一層荒くさけぶので、おもわず正時まさときも、
「だまれっ!」
 と、さけびかえした。
「いやじゃっ!」
「えゝわめくなと申すにっ!」
 と、正時自身もわめいた。
 廊下から入側いりがわへ、驚いた顔で庄五郎正氏まさうじが走ってきた。
 元服げんぷくしたばかり。薄香うすこう──黄ばんだ薄赤い色の水干すいかんを着ていた。亡き父親の正季の面影おもかげよりもむしろ従兄いとこたちによく似た顔立ちで、さながら東条の虎夜叉とらやしゃの下に、もう一人、弟があるかのように感じられるのであった。
「おゝ、庄五郎」
 と、正時はよんで、
「いゝところへ来た。そなたの贔負ひいきな虎夜叉を、神宮寺しんぐうじが、悪魔の夜叉だとわめきたって、手こずらせている」
 と、いった。
 神宮寺も、するどく正時にどなられた途端とたんに、庄五郎に走りこまれて、気勢きせいがくじけた。
 正時が、庄五郎へ、
「そこへ──坐れ」
 と、神宮寺の脇に敷いてある薄縁うすべりを指さした。太郎兵衛も薄縁を敷いていた。家臣の身分で、正時の前で敷物しきものに坐るほど重んじられていたのである。
 だんだんあかるくなった室内へ、さわやかな朝日が、さっと射し入って、神宮寺の睫毛まつげにのこる涙の粒を光らせた。
「泪をぬぐえ」
 と、正時がいった。
 指の足らぬ手が、眼瞼まぶたをこすった。
「太郎兵衛──。その庄五郎などは、わしにときどき叱られるくらい、東条に心酔しんすいしているぞよ」
「にきびの出るお歳じゃ。おゝかた女でもほしゅうなったのであろう。──館の殿は、弁内侍べんのないしさまをも、いらぬとおっしゃったに。やれ、やれ、とんだことじゃ」
 と、皮肉ひにくに、神宮寺は、庄五郎を尻目しりめにかけた。
「兵衛どの!」
 と、庄五郎正氏が、きっとなって、
「手前があがめるのは、虎夜叉どのゝ長所でござるぞ。近づきがとう高くそびゆる、識見しきけん卓見たくけん──海のような胆略たんりゃく──おそろしいほどの博覧はくらん強記きょうきと、かぞえたてれば限りのない才能に対してこそ心酔しんすいもいたせ、女色じょしょくにふけるという噂がもし真実まことなら、この庄五郎、なんでさような不身持ふみもちに賛同しよう」
 と、いゝなじった。正時も、
「神宮寺──。十五歳の庄五郎にむかって、いうべき言辞ことばではなかったぞ。おぬしとて、そうまで心ひがめなくとも、よいではないか」
「ひがめさせたのは誰れだ?」
 と、太郎兵衛がうそぶいた。
「わしだというのか?」
ろんないこと」
「おぬしが、あまりかたくなゆえ、わしも虎夜叉をほめた。どなりもした。しかし、庄五郎にも始終しじゅういゝきかせておることじゃが、わしは、虎夜叉にいろんな欠点をみとめる。女色じょしょくのことも無論だが、それよりもさいを弄し、のうたのみすぎて、自分をほこる気持がわがまゝとなって、兄の殿の統制とうせいに服さないことゝ、亡き父上に対してさえ、時たまには、とんでものう不遜ふそんな考えかたをして、きゝずてにならぬような口をくこととが、あたら惜しいたまに、珠の値打ねうちを零にもひとしゅうする瑕瑾きずとなっているのだ」
 正時のいうことを、ほとんど、うわのそらできいていた神宮寺は、庄五郎へ、
「あの世で、正季まさすえの殿は、よい息子をのこした、これで兄の館にも肩身がひろいと、な、どんなにか鼻、たかだかでおわそう!」と、いった。
 たちまち、庄五郎が気色けしきばんだとき、正時が、
「まあ聞け。聞いてくれ、太郎兵衛」
 なだめるような調子で、さえぎった。
 近習が三人、現われた。茶をもってきたのであった。

「神宮寺へ、朝餉あさげを進ぜよ」
 正時は、そう近習にいってから、
「こんど虎夜叉が、兄の殿の御統制を由々ゆゝしくやぶるようなことあらば、わしも断乎としてゆるさぬだろう。すなわち、兄上の衷情が、禁裡きんりに達し、かしこきあたりを動かし奉って、開戦の勅許ちょくきょくだるとせばじゃ、そして、虎夜叉がなおかつ戦うことに非をとのうるならば、それこそ違勅いちょくの不臣、兇悍きょうかんゆるすべからざる不逞ふてい──かくいう正時、きっとその罪を糾弾きゅうだんせずにはおかぬ。のう太郎兵衛、やすんじてくれ。おぬしも、わしの口から今の言葉を吐かすために、夜中よなか起きして見えたのであろうが?」
 じっと見つめながら、返答へんとうをうながすと、
「あん、違う」
 神宮寺が、肩をそらした。
「なんと?」
「あたりまえじゃ。承わらずとも解っておる」
「ほう。では、なんのために?」
 かなり意外な面持ちで、正時がきゝかえした。
「太郎兵衛は妙にきがかりでな、昨夜よんべは、一睡もとれませなんだ」
「きがかりとは、なにが?」
乙殿おとどのにいわれたことが──」
「はて、おかしいの。おぬしに云わすと人外にんがいな、あの虎夜叉がなんといおうと──?」
「ところが、そうではござらん」
「変だな」
「まったく変でござる──どう考えてもな」
「これさ、なにを申す」
「てまえは、こう云われた──のう生紀念いきがたみ、お身は一体、いままでにたゞの一度も──なぜに館が、戦いをさまでにあせらるゝか、といううたがいを、胸にわかしたことがあるのか?」
「む──なぜあせらるゝかの疑い──」
 正時は、そう呟いた。なにか、ぎくりと、心をついたものがあったのである。
「わからん」
 と、神宮寺は、ゆがんだ眼を、かっとみはった。
「あせるもあせらぬもないではござらぬか? 一意専念、湊川みなとがわのお弔らい合戦へ、精進しょうじんあそばすやかたの殿じゃに!」
 わきから庄五郎が、
「次郎さま」
 と、かしこげな顔で、よびかけた。
「────」
 正時が、やゝ暗い表情ひょうじょうで、かえりみると、
差出さしでぐちと、おぼすかも知れませぬが、館の殿の、ひたすら開戦をいそぎたまう御心おこゝろのうちには、ひょっとしたら──みずからの御健康にかゝわる御懸念ごけねんが──ふくまれておるのではなかろうかと、なんとのう気になってなりませぬ」
 そういう庄五郎へ、正時がまだ口をひらかぬ前に、とがった声で神宮寺が、
「なんの──さかしげに? おすこやかでないようにいう者もござろうが、お顔色、白いは御性分ごしょうぶんじゃ。お健かでないおからだに、あれだけはげしい戦の御演習や、武技ぶぎの鍛錬やが、どうして出来申そう。さあ、いつ、館が、どのようなおわずらいをなされた? 太郎兵衛の耳は遠くはないはずじゃが、ついぞ我が殿が、病いのふすままとわれたと、聞いたおぼえがござらん。坂東ばんどう一の大剛といわれた矢板将監を、弱いお躰で、斃せるものか?」
 と、かぶりを、ぶるぶるっとふった。
 だが、それには答えずに、庄五郎が、
「次郎さま」
 と、ふたゝび呼んで、
「京都に、内乱ないらんが起るだろうという、虎夜叉どのゝお言葉は、ほとんど確実と信じてもよいものとそれがしは考えまするが──?」
 と、いった。
 けれども、正時は、もくねんと、何か思案しあんにしずんでいた。
笑止しょうし々々/\、はゝゝゝ!」
 と、太郎兵衛はわらった。
神通力しんつうりきではあるまいし、空の星の二つや三つやが出逢ったとて、なにがわかろう?」
 しかし、あざけってはみたものゝ、ふと正時の暗いかおつきを見ると、おや? ──と、自分もなにかしら得体えたいのしれぬ不安ふあん──それは昨夜来さくやらいつゞいている不思議な気持なのであったが、その不安のまん中へ、突きもどされたように感じられた。
「次郎さま」
 と、庄五郎は、三たび呼んだ。
「弁内侍の奪われますることを、あらかじめさぐり知ることの出来た、虎夜叉どのゝお力は──たゞもう、驚くのほかはない──実に、素晴すばらしいものと、それがしは思いまするが?」
「うむ」
 と、次郎正時がうなずいた。
 そのとき、朝飯あさはんの膳が、太郎兵衛のために運ばれた。



東条とうじょうしろ

 水分みくまり盆地ぼんちの北の端にわだかまる東条とうじょうの丘のうえに、城が築かれたのは、三年ほど前だった。
 この東条の丘は、寛弘寺かんこうじの鼻とよばれた丘陵きゅうりょうの尖端を、石川平野へつきだして、富田林とんだはやしむらを見おろし、さらに大和川の流域りゅういきにひろがるせつせんの広漠たる大平原が、おゝ空につらなるのを、一目で見はらすことのできる位置にあって、背後は、下赤坂しもあかさか上赤坂かみあかさか甘南備かんなみの三つの丘とつゞきあい、その甘南備の丘は、和泉いずみ山脈のふかいひだに、つゝまれるように抱かれて、天野山あまのさん金剛寺の山と相対していた。
(敵に勝たんがためには、この丘に、堅固けんごな城を築かなくてはならん)
 そう考えたのは、虎夜叉が十六歳の頃だった。
 虎夜叉は、仲兄の次郎正時と一しょに、二千貫ずつの知行ちぎょうを、長兄から分けてもらった時、さっそく、この東条の丘に、まず自分の住むべき屋敷をもうけた。
 十七歳の春、虎夜叉は、正行にいった。
「兄上──。東条の丘に、築城ちくじょうなされませぬか? ただふせぐだけならば、千早ちはやの城でも事足りましょうが──攻防をかねる城のないことが、遺憾いかんでござる。出撃に便びんのうては、兵機をつかみそこねましょう。敵を千早に引きつけておいて、東条から長駆、八幡やわた、大渡り、山崎をやくすことは、もっとも望ましい戦略せんりゃくかと存ずるが、それには東条に城がいる。城なくしては、そうした作戦が出来ませぬ」
 この言葉をいれて、正行は、東条の城を築かせた。虎夜叉正儀の屋敷は、築城を見越して、丘のうえでも一ばん枢要すうような場所に構えられてあった。で、城が出来あがった時には、この屋敷は、いきおい、城の中核ちゅうかくに包みいれられてしまった。つまり屋敷の周囲に、塁石るいせきがめぐらされ、そのまた周囲を、やゝ低い胸壁きょうへきと、ふかい空濠からぼりとがめぐることになったのだった。塁の上には、いくつもやぐらが建ち、塁の内側にも、塁と胸壁との中間にも、相当がっちりした兵舎が造られた。城の門は、四方にあって、空濠からぼりには、はね橋が、籠城の場合には、すぐ門の扉口とぐちヘつりあげられるような装置でかかっていた。
 広さも、堅固さも、赤坂の二つの城などとは、とても比較にならなかった。千早のような天険てんけんを背負ってはいないが、代わりに四通八達ともいえる要衝ようしょうっているこの城が築かれたため、楠の武力は、たしかに、その幾割かを強めたにちがいなかった。
「乙殿のみが、結構なお城におさまって──」
 などと、いう者もおゝかった。
 正行が、母堂とともに棲む水分館みくまりやかたも、正時の新屋敷も、水堀と築地をめぐらすだけで、なんら防備がなかった。いってみれば、ほんの普通の住邸でしかないから、兵舎なぞの設けもあろう筈なく、従って、そこにおる家臣や郎従ろうじゅうの頭かずも知れたものだった。ところが、東条の城が出来たとき、楠の、いわば常備兵ともいうべき家来どもの半分以上が、そこに駐屯ちゅうとんすることになった。ほかの城や、所々のとりでにも、むろん、散らばっていたし、千早城をあずかる神宮寺太郎兵衛のもとにも、三百人くらいはいたようだ。が、東条こそ、兵備へいびの中心となった。
「変なものよ、のう。東条のお城は、あれはやかた正行の殿のお城で、なにも乙殿おとどののものではあるまいに!」
「いかにもな。内部なかにあるお住邸すまいだけは、正真正銘、虎夜叉どのゝ館であろうが、お城はあずかりものよ」
「とはいうものゝ、妙な形じゃ」
「妙とも。まるで乙殿のために出来た城のようじゃ」
 いろんなふうに噂されたが、それから三年たつ間に、誰れがなんといおうと、虎夜叉は実質的に東条城のあるじとしてふるまうようになっていた。正行は、一族や重臣の口から聞える虎夜叉潜越せんえつという非難の声に、すこしも耳をかさずに、東条の城と兵とについては、すべてを、末の弟に委せきっていたのだった。

駕籠かごのまゝ、これへ通せ」
 と、虎夜叉がいった。暗い夜だった。
「は」梶丸は、せまい中庭のかきのそとへ、去った。
 木戸のある高い墻と、武器庫ぶきぐらの背中の黒い壁と、一棟の隔離かくりした建物とが中庭をかこむ形になっていた。「玄々寮げん/\りょう」と名づけられた、この建物は、築山つきやまと築山の谷あいのような場所を通る長い廊下で、屋形の母屋おもやへも、対屋たいのやへも、つながれていたが、その廊下の両端には、妻戸つまどがあって、掛金かけがねの戸締りも厳重だった。だから、この一かくは、いわば秘密の別天地で、東条の城内の他の部分とは、まるでかけ離れた場所ともいえるのだった。
 建物は、がんじょうな書院造しょいんづくりで、そう広くないいくつかの室にしきられていた。平常の居間は、寝殿造しんでんづくりの対屋たいのやの方にあったが、なにか秘事にかゝわると、虎夜叉は、きっとこゝにかくれる。そして匿れたら最後、ごく少数の人以外には、まったく動静がわからなくなってしまう。
 かきの外に、また墻があって、城内の士卒さえ知らない間道かんどうを、一筋かくしていた。間道は、馬も通れるだけの構造に出来あがった地下の抜け道となって、城の塁下るいかをよぎり、搦手からめての丘の、横腹のある地点へと通じていた。この秘密の通路は、虎夜叉が非常に工夫をこらしてこしらえたもので、人知れず城からぬけ出して、またひそかに城へもどることが出来た。地下道の出口は、厚い扉でふさがれていて、特別な方法によらなければ、その扉はあかなかった。だから、|搦手
からめて
そとの丘の中腹で、よしんば抜け道の出口が見つかったにしても、扉を|破壊
はかい
せぬかぎりは、内部がうかゞえない。しかも、大きな岩石を利用して構築された扉は、容易なことで破りうるものではなかった。

 それはとにかく、今この間道から、町人風の男が一人、つき添った、ふたりきの駕籠が一挺はいって来たのだった。
 肩替りの駕籠舁かごかきが、短い脂燭ししょくで、闇を照らした。かきの間で、駕籠がとまった。附添いの男が中庭へ、木戸をあけて入って行って、玄々寮の一室から現われた梶丸かじまると会って、ほんの二こと三こと話し合っただけで、梶丸はすぐ、奥の間の虎夜叉に取次いだし、その男は、駕籠のそばへ戻った。で、梶丸は、通せと云われて、木戸から出て行ったのであった。
 まもなく、駕籠が、中庭へきこまれた。
 町方まちかた邑人むらびとでも用いる、ごく粗末な綱代あじろの駕籠ではあったが──虎夜叉の郎従、度々平と与茂平とが、庭におり立って迎えたし、回廊まわりろうへは、昵近じっきんの侍女の幾波いくなみが出て、膝まずいた。
 駕籠の中からあらわれて、濡縁ぬれえんにあがったのは──その粗末そまつな綱代とはおよそ不均合ふつりあいな、一見、名ある館の、わかき北の方とも思われる、うるわしい※(「クサカンムリ/(月+曷)」)じょうろう──。うすくれないに、青鈍あおにび浮紋うきもんしたきぬと、杜若かきつばたたてにむらさきに、緯燕脂ぬきえんじの段に織った唐衣からぎぬとが、室内のあかるいともしびに、あでやかに照らされた。
 おゝ、この麗人、この忍びやかなおとずれびとこそ、誰れあろう──
 それは、敷妙しきたえであった。足利直冬たゞふゆの愛妾、敷妙であった。
 京は一条堀川、村雲の反橋そりはしぎわの館で、直冬から、またない寵女ものといとしまれている敷妙──それが、いぶかしくもこつねんと、こゝ隠密おんみつの玄々寮に出現したのだった。
 さても、この敷妙と──虎夜叉とは?

 玄々寮げん/\りょうには、附属の屋舎おくしゃが、厩や、輿轎こしかごの置場までそなえていた。
 綱代駕籠のらは、与茂平に案内されて、舎内の一室へ入ったし、附添いの男──それは堺浦さかいうらの、唐土屋もろこしやの手代で、はぎ二郎という、あるじ伽羅作の腹心ふくしんの若者だったが、度々平と一緒に別室に入って、休息した。
 奥の一間では、虎夜叉が、
「美しゆうなったの」
 と、会釈えしゃくをすました敷妙に云った。
「あら──」
 とばかり、えんずるような流し目へ、
「敷妙──」
 と、ほのえみを見せて、
「心の苦労は、察しておるぞよ」
 すぐ、真顔になって、じいっと眺めいりつゝ、
「よくも、いみじく働いてくれた。正儀まさのり、礼のいゝようもないぞ!」
 そう、しんみり云われると、たちまちあふれるような嬉しさをおぼえて、
「おゝ、わが殿! そのおひと言が、承わりたさの一念から──」
 とてもおさえきれぬよろこびに、こみあげる感動に、からだじゅうが、わなわなとふるいだした。敷妙は、ついに感きわまったのだろう、わっと、たしなみをわすれて泣きくずれた。
「おゝ、無理ないぞ、泣け、泣け! たんと泣け!」
 しばし、泣くがまゝにまかせて、
「そなた」
 と、やがて虎夜叉がいうと、
「殿──」
 うれし涙に泣きぬれた顔を、あげて、
「おそばをはなれて、半歳はんとしあまり──まあ、どのように今日の日が、待たれたことでございましょう! 御推量ごすいりょうくださいませ」
「待たれたであろう。推量は致す。だが敷妙、そなたが今宵こよい、こゝに見えようとは、虎夜叉は思いもよらなかったぞ、危き橋を、なぜ渡ってきたのじゃ?」
「お叱りは、覚悟のうえでございました」
「そなたほどの気性、よもやこれぎり、堀川ほりかわの館へ還らぬつもりでもあるまいに」
「還りとうないは山々ながら、還らずともよいというお許しの出ませぬのに、なんでまあわたくしが──?」
「これ。なさけを殺し、想いをたわめ、みさおをもすて、身をすてゝと、決心のほぞ、かたく定めて足利館あしかゞやかたへ、入り込んだそなたではないか?」
 そう、毅々つよ/゛\といわれて、敷妙は、なやましげな面持おももちで、
「もし。あやうい橋と──仰せではございまするが、兄、伽羅作の急な病いといつわりまして、堺の実家より駕籠のむかえ。ゆめさとられまするような気づかいはございませぬ」
「いや、それは浅はかだ。そなたに似合わぬ心のゆるみじゃ。事のやぶれは、そうしたゆるみから起る」
 虎夜叉は、そういってから、手をたゝいた。
「はあ」
 蔭で、こたえがあって、幾波いくなみが襖をあけて入ってきた。
「茶を入れい」
「はい」
「そして折鶴おりづるをよんで、夕餉ゆうげの仕度させい。敷妙はまだ食べてはいまい。供の者にも、とらせよ」
 幾波は、心得てさがった。
「虎夜叉さま」
 と、切なそうな声で、敷妙がよんだ。
「ゆるみじゃ」
 と、正儀は、それへかぶせて、
「直冬が、人を唐土屋もろこしやへつかわさば、なんとする?」
「兄は、仮病けびょうの床にふせっておりまする」
「だが、そなたの不在ふざいを、どう云いくるめる?」
岸和田きしわだの伯母も病いと申すことに──」
こけな!」
「でも、万に一つも、人の参るような心配はございませぬものを。あの──堀川では、露ほども疑われてはおりませぬ」
「そう思うのが、即ちゆるみじゃ。──そりゃ恐らく、堀川の邸から人は参るまい。しかし、もし参ったら?」
「たとい参りましても、病気見舞の品、とゞくだけのことでございまする。岸和田きしわだまでもおとずれるうれえは──」
「敷妙」
 と、虎夜叉が、さえぎって、
「伽羅作の病い、重からずと知るだけでも、直冬の胸に、疑念の黒雲が、わかずにいようか? それを疑わずにおるような、直冬と思うのか? ──そなたは接している。わしは聞くだけだ。だが、聞くところを、いろいろ、ぎあわせてみると、年は若いが、あの直冬、足利あしかゞ一門じゅう随一の男じゃ。おそるべき人物じゃ。それだけに、こなたの操作からくりには、身も入れば、張りも出る。わしが、つけた目星めぼしに、あやまりはなかった。な、──そなたに、からきおもいさせておる甲斐かいも、あろうというものじゃ。しかしまた、それなればこそ、心にみじんも、たるみ油断があってはかなわぬぞ。去年の秋──わすれもしまい九月の一夜、あれほどそなたをなげかせて、やっと得心とくしんさせたわしだ。また納得なっとくしてくれたそなたでもあるぞよ。わしとて、未練みれんは残った。虎夜叉は悲しかった。なぐさみにもてあそんだそなたではなかったからだ。虎夜叉は、そなたを愛していたのだ。つらい思いをさせたのは、たゞたゞ朝敵調略の悲願からじゃ。のう、敷妙、わしのいうことを、心の底にきざんでくれ。直冬にわずかでも、そなたを疑う気持が、きざしたなら、これまでの辛苦しんくが水のあわになろう。たくみに企んだ、あの仁和寺にんなじの──六本杉の怨霊評議おんりょうひょうぎなども、そなたが信じられておればこそじゃ。伽羅作が参っての話には、直冬は、首かたむけて、そうしたまぼろしがなんの由縁ゆかりもない舜髄しゅんずいにあらわれたのが不思議だと、いったという。さすがに敏感じゃ。直冬のさかしい眼の光は、ほんのかんぱつの、きわどいところまでとゞいたのだ。疑ぐらぬまでも、信ずることが浅かったなら、せっかく仕組んだ怪異かいいの種もわれて、この虎夜叉の工夫が、伽羅作と舜髄の大骨折とともに、徒労むだぼねになったやも知れなかったぞ。いや、なるかも知れぬ。そなたが、すこしでもいぶかられたら最後、きっとなる」
 じっと神妙しんみょうにきいていた敷妙は、うつくしい顔を、悲しげに、もたげて、
「かずかずのお言葉、いたらぬ心にも、ひしひしとこたえました。どうぞ、わたくしの浅はか、おゆるしなされて下さりませ」
 そういった時、次の間から、茶を、幾波いくなみがはこび入れた。

 虎夜叉は、茶を飲んで、
「どうじゃ、一服」
「はい」
 敷妙が、飲みおわると、侍女の幾波は、もとの朋輩ほうばいでもあり、かつ、それよりも自分とは従姉妹いとこあいという近親でもある敷妙を、さもなつかしそうに眺めて、
「もし敷妙どの。──弁内侍べんのないしさまは、まことにお危いことで──でもあのように御厄難ごやくなんからおのがれあそばしたのは、館の殿のおはたらきとは申せ、そもじどのより逸早いちはよう、こなたさまへ、お知らせがあったればこそでございます」
 と、いったが、敷妙はたゞ、
「ほんに、ともかくもお間に合うて、何よりでございました」
 と、答えた。それは自分の大きな手柄てがらだった。師直もろなおの今出川館へ、入れておいた間諜から、偶然に聞きこんだ事柄を、この東条へしらせたために、弁内侍の災厄さいやくは救われたのであった。けれども、そんな手柄ばなしをする心の余裕を持たなかったから、すぐ、虎夜叉へ、
「あの──お赦され、いたゞけましょうか?」
 そう、伺いをたてると、
「すんだことは、今さらせんない。向後は、直冬がそばを去らぬようにな。じかに逢わずとも、伽羅作きゃらさくを通して、どんなに詳しい話も出来よう。つれないようだが、虎夜叉のため、辛抱してほしいぞよ。よいか」
「はい」
 声が、ふるえた。
夕餉ゆうげたべたら、すぐと帰れよ」
「えゝっ?」
「今夜のうちに、堺に戻って、明朝は、いそいで京へ立ち帰れ。」
「────」
「やっとの思いで参ったものを、すぐ帰れといわれては、そりゃ本意ほいなかろう。──わしとて、そなたの口から、直冬の話のみならず、将軍や副将軍の噂、師直や上杉の評判など、聞きとうなくはない。だが、大事の前の小事じゃ」
「──わが殿!」
「な。あきらめて、帰れ」
「もし! そりゃあんまりでございまする。せめて、せめて今宵こよいは一夜だけ──」
「ならぬ。戻れ」
「との。お慈悲じひでございまする!」
「聞きわけのないことじゃ」
「では、なんとしても──」
「帰ってくれ」
「おゝ!」
 敷妙は、こらえられずに泣き伏した。
 そばから、幾波いくなみが、
「わが殿へ。それではあまり、おつれのうはございませぬか? 朝まだきにおちなら、今宵こよいの帰りと、どれほどの違いもございますまいに! いえ、うし三つ過ぎて堺におつきでは、却って訝しゅうございましょう。どうぞ、今宵こよい一夜はお許しあそばして、つもるおもいの物語に、お耳をかしてあげてくださいませ」
 と、真情をこめて、とりなした。
 しばし、虎夜叉は考えていた。
 幾波のいうとおり、うし三つ過ぎての堺着さかいちゃくは、一こう気の利いたことではなかった。また、せめて一夜をという願いをれてやることは、敷妙の心をどのくらい励ますかわからない、とも思われた。帰らすなら、わが郎従どもにまもらせて──と、すでに決めていた思案しあんではあったが、虎夜叉は、たちまちそれをひるがえして、
(泊めてやろう)
 と、思った。

「──静かでございますこと。──物音ひとついたしませぬ」
 うっとりしたまなざしで、敷妙がいった。
 まだ、さほど夜もふけぬのに、四辺の室々は、しいんと、人のいない家のように、ひそまっていた。
 幸福に酔う敷妙であった。
宿直とのいのもの二三人のこして、皆、この玄々寮から引き退ったのじゃ。そなたの供だけは、雑舎ぞうしゃにおる筈じゃが、酒のおかげで、もう白河しらかわ夜舟よふねだろう」
はぎ二郎は、酔いつぶれるような男では、ございませぬぞえ」
「む、あれは役に立つ。もう何遍か、修験者姿しゅげんじゃすがたで、伽羅作の手紙を届けに参ったが、頼もしい奴じゃ」
「兄は、よい手代を、たくさんに持っておりますので、まことに心づようございまする」
「唐土屋一家の、上下協力、団結だんけつのまごころは、虎夜叉ふかく恩にきる。そなたの家というものがなかったとしたら、わしの隠密おんみつのはかりごとも、あたまには考え得たかも知れぬけれど、行うことは、とても出来なかったにちがいないぞよ」
「あれ、そのようにおっしゃっていたゞきましては、勿体もったいのうございます。亡くなりました父は、水分みくまり先館せんやかたさまから、海山の御恩を頂戴いたしました。兄は父の遺言ゆいごんをまもりまして、およばずながらも力のかぎりは、お役の端にも立ちたいと、たゞ一心なのでございますものを、血をわけた弟の舜髄しゅんずい、妹のわたくしが、どうして苟且かりそめにおもわれましょう。ましてや殿にはわたくしへ、おいとしみの情けまでくださりましたその上に、従妹いとこの幾波さえもお目かけらるゝ、ひとかたならぬ御鴻恩ごこうおん──身を粉にしてもその御恩報じに、つくさずにはおられませぬ私どもでございまする」
「敷妙。──建武けんむの御一新に、堺浦の商人あきうどで、楠の庇護ひごを蒙らぬものは、一人もない筈じゃ。そなたの家のみが、特に恩顧おんこをえたという話を、わしは聞かぬぞ。ひっきょう、この虎夜叉正儀が恵まれたのだ。なんというさいわいか、唐土屋一家──そなた達を、おのが手足にすることが出来た。わしは、わが運のよさと、そしてそなた達とに、感謝しなくてはならぬ。わけても、そなたの、すぐれた美しさと、すぐれたかしこさとには、いま改めて礼を述べるぞよ」
「あらもう、おそれ入りまする」
「今後はますますそなたの才と美貌びぼうとに、たのむ事が多くなろう。──敷妙。はたらいてくれ」
「はい。足らわぬながらも──」
 感激に、ぼうっと目のふちを、うすくれないに染める敷妙であった。この殿のためならば、命もいらぬ。すべてを、あらゆるものを捧げたとて、なんで惜しかろう、そう思わずにはいられぬ敷妙であった。
 こゝは、隠避いんびな玄々寮の内部でも、ことに隠微な密房みつぼうで、外界からはまるで窺いしることの出来ない場所だった。こゝは、虎夜叉正儀のそばちかく召使われる侍女侍童でさえ、特定の者以外は、近よることを許されない場所だった。こゝは、虎夜叉のねやでもあれば、また沈思、瞑想めいそうしとねをしく部屋でもあった。酔うべき室であったと同時に、むべき室であった。ってみれば、虎夜叉正儀は、酔いながらも醒めつゝあることも出来るし、醒めている間にも酔うことも出来る人であった。こゝは、虎夜叉によって、「衆妙房しゅうみょうぼう」と名づけられた部屋で、※(「木+眉」)なげしにかゝげられた扁額へんがくには、その三つの文字が、自筆でかゝれていた。老子ろうしのいわゆるげんの又げん衆妙しゅうみょうもん」という句からとった玄々寮であり、衆妙房でもあったのだ。
「敷妙。──話は逆もどりだがの」
 と、虎夜叉がいった。
「それから、直冬はどうした?」
 きかれて、敷妙は、直冬が六本杉の怪異を叔父の直義たゞよしに告げて以後、どんな気持でいたかについて語った。
「うむ。では、むしろ予想外に憂欝ゆううつだな?」
「はい」
 敷妙という名も、この部屋、衆妙房にちなんだものだった。敷妙は、直冬館の侍女に住みこむ時は、むろん本名のおふねであったが、自分の希望として同じ源氏名げんじなで呼ばれることになった。(せめては名だけでも──)と、虎夜叉からつけてもらった敷妙という名を、変えるに忍びなかったのである。
「直冬は、父尊氏たかうじに会ったか?」
「いゝえ」
「相変わらず、父をうらんでいると見えるな?」
「ますますひどうございまする」
「だが、将軍へも、師直からすぐ、話は伝わったであろうの?」
「はい」
「師直へは、誰れが伝えた?」
畠山はたけやまからでございました」
「ほう、畠山が」
「副将軍も、上杉も、師直へは洩らさぬつもりでおられたらしゅうございますけれど、畠山が、細川顕氏あきうじに会いましたとき、浄土寺の忠円僧正にのりうつられたあの師直、師泰と、南都の知教上人ちきょうしょうにんかれたこの畠山、上杉とは、いずれが勝つか、どの途、血を流して勝負をきめねばなるまいと、そう申したのでございます。すると細川が、妙なことをいわれるがどうした訳かと、いろいろ訊きたゞしまして、それをそのまゝ師直へ告げたのでございまする」
「なるほど。細川がの」
「細川が、師直に心寄せていようとは、畠山も意外だったと申しまする」
「む。おもしろくなって来たぞ」
「高の師泰と師冬とが、具足ぐそく長巻ながまきや槍というものものしい郎従たちを引きつれまして、師直の今出川館へ集まりました」
「いつ?」
「つい四日ほど前のこと。何か聞きちがいからでございましたが、一時は大騒ぎで、いまにも戦さが始まりそうでございました」
「ふうむ。よほど心が、おびえたと見える」
 虎夜叉はほゝえんだ。
(思う──つぼ!)
 そう感じたのだ。
 六本杉の怪異かいいは、所期しょきのごとく、着々と京都をおびやかしていた。虎夜叉の苦心の謀計は、まさしくにあたりつゝあったのである。




後室こうしつ来訪らいほう

 近習の梶丸かじまるが、膝まずいた。
 虎夜叉が、
「何か?」
 と、くと、
「これを──」
 梶丸のさしだす一通の手紙を、受取って、幾波いくなみが取次ぐと、虎夜叉は、さかずきを、蒔絵まきえ高坏たかつきの上において、その手紙をひらいた。
 読みおえると、まるめて、折鶴おりづるの膝へ、
「焼きすてよ」
 と、投げた。そして梶丸へは、
「使いは、はぎか?」
「はい。──御返辞は?」
「いらん」
 そういって、手をさかずきへ戻した。
 梶丸はこゝろえて、立ち去った。
「何事ものう──?」
 と、幾波がうかゞうと、
「そう」
 虎夜叉はうなずいた。
(よかった)
 と、安堵あんどしたように、幾波と折鶴おりづるとが、顔みあわせて、ほゝえんだ。それは、無事に足利直冬の館に戻ったことを、敷妙から知らせてきた手紙だったのである。
「つげ」
「はい」
 折鶴が、酌をした。
 二人の美しい侍女を、右と左に坐らせて、夕餉ゆうげの膳にむかっている虎夜叉だった。
 そこは、玄々寮の一室ではなくて、西の対屋たいのやの常の居間で。入側いりがわと廊の先には、かなり広やかな庭がひろがっていた。
 初夏にめずらしく夕焼けた空の下で、たそがれてゆく庭の青葉を、ながめながら幾波が、
「寮とはちがい、こちらは晴々はれ/゛\しゅうございますこと」
 といったとき、廊へ、あわたゞしく、近習の一人が現われた。
「──水分みくまりの館より、御後室ごこうしつさまが見えさせられました」
「なに、母者びとのお成りと?」
「は。いともお急ぎの御気色みけしきにて、もはやそれへ、お渡りでござりまする」
「さようか」
 近習が去ると、幾波と折鶴とは、両側からやゝ腰をうかしつゝ、
「殿 ──?」
「わたくしどもは──?」
 と、うかゞうと、
「いや、退さがるには及ばぬ」
 虎夜叉は、そういって、大床おゝとこと自分の座の中間を指さした。
「それへ、厚茵あつしとねをもて」
「はい」
 幾波は、入側の衝立ついたてのかげから、厚い円座えんざをはこんで、席を設けた。
 そのとき、近習と侍童に導かれて、後室久子ひさこの方が、南江朝隆みなえあさたかをつれて入ってきた。いうまでもなく故正成まさしげの未亡人で、正行、正時、正儀の三兄弟の実母じつぼだった。
「ともしを入れさせい」
 そう、折鶴にいゝつけて、虎夜叉正儀は母堂を座に迎えた。そして会釈えしゃくの顔をあげて、
「母上には、かような夕餉ゆうげ時刻じこくに、わざわざのお出まし。お召し下ればよかったに、恐縮でござる」
 と、いうと、後室はじろじろ食膳の高坏たかつき、酒の瓶子、入側まで下がって坐わっている二人の美しい侍女などを、見まわしてから、
「恐縮ではのうて、きつい迷惑なのであろうがの」
 わが末子の顔をながめたが、庭の薄明うすあかりに背をくれて大床おゝとこの方をむいているので、その表情は、暗がりから識別がつかなかった。
 けれども、室はすぐ明々あか/\となった。侍童たちが燭台をはこび込んだのである。内部の造作だけは書院風しょいんふうのこの室の装置や調度類には、水分みくまりたちでは見られぬ贅沢ぜいたくさがあった。
「母上」
 と、虎夜叉は微笑して、
「まず、御用むきを仰せられい」
 と、うながした。久子の方は、入側へふたゝび目をやった。南江朝隆が、そこに控えている幾波、折鶴と並ぶように、坐っていた。朝隆は、久子の方のおいだった。
 後室が、まねいた。
「朝隆、進むがよいぞ」
 南江は、入側から、しきいをこえた。
 久子の方の生家、南江みなえの家は、楠譜代の家臣のうちではおよそ中どころの家で、神宮寺や、恩智おんちや、大塚などとは家柄がちがっていたから、朝隆は、父の朝忠あさたゞが湊川で正成とともに自刃し、叔母は現在、主君の母堂ではあっても、それを誇るような挙動きょどうは、かたくつゝしんでいたのだった。
 後室が、
「──虎夜叉。水分みくまりでは、殿みずからが曲物まげもの土器かわらけの膳で、召しておらるゝぞや」
 と、いった。正儀は、また微笑して、
蒔絵まきえ高坏たかつきにのせますと、おなじ食べものでも、味を添えまするでな」
 と、答えた。
「正儀。先殿せんとのは、橡粥とちがゆにさえ、舌鼓したつゞみうたれました」
「舌鼓は、どうかと存ずる。それがし稚心おさなごころに、不味まずそうなお顔で召上がる、と思ったことをおぼえておりまする」
「これ、またそのような!」
 後室は、表情の曇りをふかめて、
「そなたはまあ、あれほど母が申したに、酒と色のよく、どうあってもつゝしめぬのか? 妻を定めてめとるまでは、そばに女子おなごは近づけませぬと──酒も平素ふだんはたしなまぬと、口ぎれいに言うた者が、この体裁ていたらくは、なんとしたことじゃ? よくもわたしをあざむきましたぞ!」
 そう、なじられても、平気でうすわらいをたゝえている虎夜叉のおもてには、微酔ほのよいさえ、ほとんど出ていなかった。だが、すでに瓶子へいしは、高坏たかつきの膳わきに、幾つも並んでいたのであった。
「毎度のお小言やら、お叱りやら、うっとうしさに辟易へきえきつかまつってな。──ほどよく、そらごとで、お気やすめを申した。たゞし、酒にも色にも決して、みだれは致さぬ。母者びとの御懸念ごけねんは御無用じゃ」
「なに、みだれはいたさぬ? 底なしの猩々飲しょう/゛\のみ。酒には酔いつぶれはせぬかも知れぬが、それその女子おなごどもは?」
商人あきうどなにがしの妹と、町人それがしの娘、たゞの召使めしつかいでござります」
 虎夜叉は、さらさらっと答えた。
「たゞの召使い?」
 後室は、つぼを呑んでから、
「正儀!」
 と、声をいらてた。

「たゞの召使いに、なんで生絹すゞしの小袖など着せます? わたしの若かった頃など、生絹は晴着はれぎにしかまとわなかった。そなたを産んでからも平素着ふだんぎは、絹布やわらかものとはいえ土地の手織じゃ。色合いも、ほんの単色ひといろ。──のう虎夜叉。そのように素性すじょういやしき女に、けばけばしいなりさせて、この大切な東条の城あずかる身が──これ、うわの空で聞きながさせはせぬぞえ──おのが年齢としもおもわず、てかけめかけあらわには──いえいえ呼ぶか呼ばぬか知らぬけれど、あられもないなぐさみをたのしむとは、ほんに浅ましい心柄こゝろがらじゃ。謹巌な兄たちに、ちとはゞかってもらわのうては、亡きわがつまの殿、羽林うりん中将ちゅうじょう正成まさしげのおん位牌いはいに、お申しわけがないで、わたしはこの顔むけられませぬぞ」
「御尤も」
「な、なに、御尤も?」
「母上としては、さもられましょう」
「えゝ、そなたのことを、いうておるのじゃ」
 と、さもいまいましげに、首をふって、
「虎夜叉。お身とても、正成まさしげの殿とわたしのなかにうまれた子ではないか? 天下にならびのないお美しさと、噂きかぬ者はなかろうあの弁内侍べんのないしさまを、かしこくも賜わろうという御諚ごじょうを、いなみまいらせた正行どのへは、わが子ながらも母は、ぬかずかずにはおられぬ気がする。そうあってこそ天晴あっぱれ、楠の後つぎじゃ。のう、そうしたやかたと、お種も腹も、おなじい弟とうまれながら、あゝれ、あのざまと、うしろ指、そなたは差されたいのか?」
 つめよるような気配けはいの母堂へ、
「指さすものは差せ、でござります。しかし虎夜叉は、兄弟、長幼のじょは、わきまえておりまするぞ。二人の兄、めとらざる前に、それがし、めかけはたくわえませぬ。あの女は、どちらも下嬶はしため、たゞ身のまわりの雑用に使うだけ。男手よりは便宜べんぎでござる」
「などと云いくるめても──臥所ふしどとぎさせて、いとしがれば、めかけじゃ、愛妾じゃ」
「ちがいまする。寝屋ねやのことは仰せあるな。ふたりとも、侍女に過ぎませぬ」
「そりゃ詭弁きべんとやらじゃ。ひそめたとて、あらわれずにはいぬ不行跡ふしだらは、これ──」
「母上──」
 虎夜叉正儀はさゝえて、
「まさか、それがしが臥所ふしどあらために、世は泰平無聊ぶりょうに苦しむという今日きょうびでもござらぬに、よるかけて水分のやかたから──な、そのためお越しなされたわけでもござりますまい。さあ、どのような御用談か、それ承わろう」
 と、そういったかおは、にわかに真顔まがおになっていた。
(おゝ!)
 後室こうしつは、おぼえずぎくりとする感じにうたれて、乙子おとごひとみを見直した。

 考えるまでもなく、急に自分を責めあざむ気持に変わった後室だった。
 なぜかなら──なにも虎夜叉の、今にはじめぬ素行みもちを、事新らしく詮議だてに来たわけでないことは、その虎夜叉からまとを射られたとおりであって、そんなことよりはもっと、いや、どのくらい差迫っているかわからぬ緊急きんきゅうの相談に、とるものもとりあえず輿こしをいそがせて、こゝ東条の城をおとずれた後室だったのである。
 それも、相談というよりは、頼みに来たのであった。子を見ること親にかずという言葉がある。むろんあたらぬことも多いが、およそは一半の真理しんりだ。久子の方は、正成にとって良妻であったと同時に、正行兄弟にとっては賢母であった。というと月並つきなみにきこえるでもあろうが、事実、夫への内助と、夫なき後の三子への訓育くんいくとは、はたの見る目に涙がわかずにはいなかったのである。末の子の虎夜叉が、父にも兄にも似ぬ鬼子おにごにうまれついたことを、誰れよりも深くなげきかなしんだのは、この母であった。けれども、また虎夜叉が、鬼子ながらも実際おどろくべき麒麟児きりんじだったことを、みとめ喜ぶことの深さにおいても、おそらくこの母の右にでる者はなかったであろうと思われる。だから、口に出しては如何にも憎々しそうに叱りも責めもするけれど、一面内心ないしんではいつも何かしら頼もしいような気がして、時には自分の感情のなかに含まれた矛盾むじゅんに、われながらいぶかるという風な久子の方でもあった。
「虎夜叉──。そなたに頼みたいことが出来しゅったいして、それで参ったのじゃ」
 と、後室は、がらり調子をかえて、
「けっして、責めに出向いたわけではない」
 わびるように云ってから、
「実はの、今日、やかたが吉野から──つい一※(「日+向」)ときほど前に帰られての、それで──」
「おゝ兄の殿が、御帰館か」
「で、明日、一門宗徒むねとの人々を、水分みくまりに召しあつめ、今度いよいよ開戦の勅許ちょくきょを、賜わった旨、お申渡しがあるとの事じゃ」
「ほう、開戦の勅許を──」
 虎夜叉の顔には、とっさに、複雑な表情ひょうじょうがうごいた。
 後室が、つゞけて、
「まず出陣の支度、お申しつけの上、先殿せんとの十三回忌御法要ごほうようをば、一年くりあげてこの五月二十五日にいとなむべき由、いゝ聞けらるゝというお話を、わたしは聞くと一緒に胸さわぎが、ふしぎなくらいたかまって、どうしたことやらひとりでは、居ても立ってもいられぬほど気がもめてのう、明朝あすがまたれず、今宵こよいのうちに、そなたに逢って相談もし、頼みごとも聞いて貰おうと、そう思って──」
 と、まだ云いおわらぬうち、虎夜叉が、
「いや、お胸さわぎは不思議ではない」
 まるで別人のように、重々しくいってから、
「来年の正当忌しょうとうき御法要を、お繰りあげなさるなどは、もってのほかだ」
 と、母の双眸そうぼうを、力づよい目の光で、やゝしばし静かに見入った。
「おゝ、その言葉、そなたのその言葉、聞きとうて参ったのじゃ」
「母上。お心安う──」
「あゝ、そう云うておくれか!」
「正儀が、あくまでおいさめいたそう」
「それで、わたしも一安堵あんどじゃ」
母者はゝじゃびと!」
「正儀、頼んだぞや!」
 すこし間をおいて、
「新屋敷にはまだ逢わぬけれど、逢ったとて、こうした場合、邪魔じゃまにこそなれ役には立たず、恩智おんち左近老さこんろうが達者でいたなら、よい分別もかしましょうが、それも冥土あのよの人になったし、恩智ばかりか、館のおために生き残った老臣たちは、揃いも揃って病死したゆえ、いまでは諌めてもらおうにも、その人がない。せめて観心寺かんしんじ滝覚御坊りゅうかくごぼうが、今年までゝも長らえておわしたらのう」
愚痴ぐちをおっしゃること。かびのはえたのやこけむした石頭が、そろっていた日には、なおさら厄介じゃ、はゝはゝ」
 低く笑うと、
「そなたはお笑いだけれど、館の戻られたお顔つきを──ほんに思いせまって決死のおもてを──まだ見ぬによって笑ってもおられようが、それはそれは怖いような、なんともいえぬ凄味すごみじゃぞえ」
 後室は、くすんだ色のきぬの襟を、手でおさえた。その指先が、ほとんど恐怖に近い感じのよみがえりのために、ぶるぶるとふるえた。
(はてな?)
 虎夜叉は、心でつぶやいた。めざとくも、母の指さきの戦慄せんりつをみとめたからである。だが、
(行ってみればわかる)
 と、思われたから、
「とても世に長ろうべくものお歌もござるし、御法事ごほうじさえ繰りあぐるお心とあれば、おつらざまなぞは、見ずともじゃ」
「──先殿せんとのは、ついぞ一度も、あのようなお顔つきはお見せにならなかった。──」
 後室の心の窓に、たちまち、桜井駅さくらいのえきの、夫正成まさしげの容貌の大映しがあらわれた。

 後室久子ひさこの方は、追憶ついおくの淵へ、ずるずるっと引込まれた。
(あの時は──)
 ──延元えんげんは元年、五月二十一日の昧爽まいそう川霧かわぎりがまだ、ふかぶかと立ちこめて、朝陽あさひののぼる時刻へは、かなり間があった。久子の方は、夜ひと夜、輿こしをいそがせて、やっと淀川よどがわを渡ったとき、さいわいにも湊川みなとがわへの出陣の行軍にであうことが出来たのであった。尊氏たかうじが、九州四国中国をこぞった海陸十万の大軍で、都へせめのぼると聞いて、久子は、驚いて在京の夫をおとずれるために、水分みくまりから出てきたことが、神仏の冥助たすけか、正成の決死の首途かどでにまにあって、今生こんじょう一度の訣別けつべつの言葉をかわしうるきわどい機会を、つくってくれたのだった。
 ──松林のなかで、松明たいまつが、未だ明けぬ夜の闇をてらした。男山おとこやまも天王山も宝寺ほうじとうも、真っ暗い寂莫しゞまのなかで睡っていた。正成は、鍬形くわがたかぶとに大鎧を着て、牀几しょうぎにかけていた。弟正季まさすえと従弟の弥四郎正種まさたね、それから和田正遠まさとお、その三人だけが立っていた。恩智左近おんちさこん神宮寺正師しんぐうじまさもろ正房まさふさの父子、和田正遠まさとお貴志きし左衛門、矢尾の別当顕幸あきゆき、子の正春、宇佐美正安、久子の方の実兄である南江朝忠みなみえあさたゞ、その他の部将たちは、草の上に坐っていた。だが、兵はみんな立ったまゝだった。たての上に、多聞丸正行たもんまるまさつらと、久子の方が坐った。
 ──正行が「どうしても、兵庫ひょうごへお供かないませぬか?」といった。「ならぬ。還れ」と正成がいった。そして、「万事は左近さこんに託しておいた。左近を頼め。──昨夜いゝきかせた父が言葉、そちは覚えておるか?」「はい」「云うてみい」「はい。──大義は必らずしも我が今生こんじょう一生のうちに行われ得なくともよい。大義を行うこゝろざしそのものが千載不朽ざいふきゅうなのである。父がこの志を抱いて討死せば、精神は子に、孫に、曾孫ひこに生き残り、さらに広く世の人の心にも生き残って、つねに大義の道を示すであろう。父の志はそこで未来永劫みらいえいごうに滅びないであろう。父は死所を得て死ぬのだ。死んで、わが一族を、そして永く後人を鼓舞こぶして、人臣のむかうべき方向を指示しじしようと思うのだ。父が死んだ後、楠の一族は逆賊と戦って闘いぬくだろう。よしや我が一族が全滅ぜんめつの悲運をみようとも、楠の精神は、きっと生生と躍動やくどうをつゞけて決してほろびることなく、天下が、国家が、非常時に出あうたびごとに、心ある人々の胸に宿って、敢然たる奮起ふんきをうながすだろう。と、おっしゃったと思いまする」……
(わが夫の、その時のお顔つきは、ほとんど平常と変りはなかった)
 と、後室は、口のなかでつぶやいた。
「母上──」
 と、虎夜叉が呼んで、
「桜井の駅の御追想ごついそうでござるか?」
「おゝ! そうじゃ、つい想い出にふけったぞや」
「それがしは、御免蒙って夕餉ゆうげをすませまする」
 正儀は、高坏たかつきへむきなおって、箸をとった。幾波は、手招きされて、入側から食膳のそばに戻った。そして飯をよそった。
 その間に、後室はふたゝび目をつぶって、十二年まえの幻像まぼろしに追いついた。
 ──正成は、正行にむかって云った。「その通りじゃ。このたびの戦さばかりは、万死あって一生期しがたいのだ。わが献策けんさくれられずんば、河内かわちに退いて後図こうとをなせ。それが却って大君おゝぎみへの忠だ。という言葉にも無論、一理はあろう。しかし正成は、大義に殉ずることに一死を捧げて、末代まつだいまでも不滅な生命せいめいに生きたいのだ。正季、弥四郎、和田以下七百人をも、わしと共に死なせて、またわしと共に生かしたいのだ。わかったか?」「はい」と正行が答えた。正成はなお諄々とおしえて、最後に、「水分みくまりに帰って、父の志を継げよ」といった。東が白み、世にも悲壮な情景は、やがて旭の光りをあびた。正行も、久子の方も、橋本はしもとの渡しまでついて行って、そこで永久のわかれに切なる涙をながしたのであったが、正成の眼はうるみもせず、まことに清らけく澄みとおっていたし、面色かおいろも、桜井駅においてそうであったと同様に、自若じじゃくとして動きを見せなかった。……
(あの顔色のあおさ!)
 と、後室は、現在へ一とびに戻って、
(あの顔色のちがいだけ、わが子は父に劣っているのだろうか?)
 と、考えた。
 飯はすでに食べ終ったが、虎夜叉は、瓶子へいしに残った酒を、幾波いくなみにつがせて飲んでいた。
「──母者びと。好きな酒なら、こうして飲みながら──」
「おや、また酒か!」
「酒をのみつゝ母上と語るもよし」
「虎夜叉」
「それがし兄の殿なりせば、恩賜の弁内侍べんのないし、ありがたく頂戴におよぶ」
「あれ。そなたは──酔いが出たのかや」
「来年の正当忌しょうとうきのいとなみが、おぼつかないほど不利、困難な戦さなら、なぜ此方こなたからいどむぞ」
「これさ、ほんに酔うたのか?」
「いゝえ」
 と、さかずきをして、
「さあ、お供いたそう」
「え?」
水分みくまりへ」
「おゝ、そんなら今晩──」
「吉野の朝廷の御安危ごあんきにもかゝわる。明日を待たれませぬ」
 虎夜叉は、座を立った。
梶丸かじまる──。馬をひかせよ」
「はあ」
 玄々寮から入側いりがわに戻っていた梶丸が、心得てさがった。




水分館みくまりやかた

 屋敷のうらの、おゝきな森を、杜鵑ほととぎすいて渡った。
 上弦じょうげんの月のあかりが、初夏の水分みくまりの夜を、ひときわ緑かぐわしいものにしていた。
 幅はそう広くないほりのそとを、濠に浴うて屋敷をぐるりとめぐる土手には、かなり遅咲きのつゝじが、と、べにと、白と、あかねむらさきの色綾いろあやを、みごとに敷きのべているのであったが、満月へはまだ夜かずのある月光は、おしいかな光力こうりょくに乏しくて、ごくほのやかにその美観を照らしだすだけだった。けれども土手のそとべりに、杉や、松や、もみ常緑樹ときわぎと枝をまじえている銀杏いちょうとちしいけやきというような木々の、さわやかな緑は、いかにももはや夏という感触を、目よりもすぐに鼻へ、または肌へ、じかに訴えさせていた。
 濠の内がわの、築地ついじにかこまれた邸内では、あとから次ぎ次ぎと建て増されたことが、一目みてもわかるような格好かっこうの棟々の窓や、あか障子しょうじなどが、ともし灯のいろも、あかるあかる、ひなびてはいるけれども、どことなく充実した富裕ふゆうさ、満ちあふれる気魄きはく、とでもいえそうな趣きをたゞよわせていた。
 屋敷の、おもて門は、かやぶき屋根をのせて、ひどく古びていたが、柱は太かった。間口まぐちも狭くなかった。武骨ぶこつ筋鉄すじがねと、さびたびょうのついた扉は、まだ閉まらずにいた。
 門のすぐ内側に、二本の、何百年も樹のよわいを重ねたにちがいない楠の大木が、蓁々しん/\と枝葉しげらせつゝ、いとも蟠然ばんぜんと立っていた。
 この楠の老木こそ、由緒ゆいしょふかい樹であった。
 正成から五代前の祖は、名を成綱しげつなとよばれた。成綱は、遠い先祖以来、伝え継いできた金剛山麓こんごうせんろく七郷の地を領して、こゝ水分のたちにすんでいた。うまれつき、非常に楠が好きだった。で、館の大手先の馬場ばゝをはじめ、菩提寺ぼだいじの観心寺その他いたるところに、この樹を植えさせた。あまり楠樹くすのきを愛すので、誰れいうとなく、くすのきどの、楠どの。──やがて世人一般がそう呼ぶことになったから、自分のたちばなの姓を、楠に改めてしまった。成綱は、どんな気持からこの樹を熱愛したかというと、自ら人にむかって、次ぎのように語った。
 地上に生ずる木の種類は多いが、世の人が一ばん愛すのは、桜、梅、藤、などであろう。これは、春陽の気をうけて花をひらき、紅、白、紫と色をきそい、その芳香を四方にくんじさせる。だから、折にふれ、あるいは景色を賞でて、詩や歌を詠ずるものは、大体これらの花木かぼくを愛するのだ。けれども詩歌しいか題詠だいえいは、公家のもてあそぶところで、地方に土着どちゃくした武士の家のものでない。むろん詩歌文芸、あながちこれを捨てるわけではないけれど、おこなって余力あればすなわちぶんを学ぶのでなければならない。なおまたやなぎを愛し、松を好む者も、すくなからずあるが、柳は、嫋々じょう/\たる風情ばかりで、まったく気力に欠けた点は、まるで怯懦きょうだの人に似ている。それにくらべるなら、松ははるかに自分としても好もしい。十八公色は雪中に深く、春秋しゅんじゅうを知らずして露霜ろそうにも衰えない。しかしながら、その松さえも、楠にはくらぶべくもないと思う。なぜかなら、世に楠ほど木情ぼくじょう剛強ごうきょうなものはない。楠ほどの大木になり得る樹は、どう探そうとありうべくもない。一旦、亭々とそびえたならば、そのつよさはまったく言葉で形容けいようが出来ないほどで、後にはほとんど磐石ばんじゃくとなって、不朽ふきゅうに伝わり、永世に至りおよぶのである。さながら天地と共に長久ちょうきゅうを保つもの、これ楠でなくて何であろう。自分が最も楠を愛すわけは、これだ。
 成綱しげつなの植えた楠のうちで、特にすばらしく大きくなったのは、この門内の二本だった。
 門番の小舎こやは、その楠の大木の根もとにあった。小舎の前に、さゝやかな篝火かゞりびがたかれていて、話ごえが聞えた。
 多くの馬をいれることの出来る厩舎うまやが、低く、黒く、門内の広場の一方につゞいていた。その辺は、成綱の頃の馬場の跡だった。それほど屋敷は、正成の代になってひろがったのである。また広場の一方は、中門を設けた中築地なかついじで、それが厩舎とき合っていた。そして正面には、館の玄関と、遠侍の入口が見え、玄関は暗かったけれども、遠侍の方からは、あかるく灯影ほかげがもれていた。
 広場は、人寄せの法螺貝ほらがいなり、鐘なりが一度なれば、たちどころに五百や千の兵を、楽に集め入れるだけの広さがあった。
「お帰りーいっ」
 と、番人がさけんだ。
 門から、この広場へ、二人舁きの塗輿ぬりごしが入ってきたのである。
 門番は、後室の輿こしが帰ったものとばかり思ったが、違った。供の一人が、大きな声で、番小舎へ、
「これは吉野より、御当家楠の殿のおあとを追い参らせて、弁内侍べんのないしが見えて候う。お取次ぎ頼もう」
 と、云った。

 番小舎から一人、遠侍へ走って行った。
 玄関にが見え、人が見えた。
 輿こしと供は、広場を玄関へすゝんだ。
 供がしらの青侍が、式台しきだいに近づいて、
「内侍は、いたづきにせりし身を起して、はるけき山路を日ねもす輿こしにゆられつゝ参った次第、あわれ痛痛しさを何とぞ館の殿へ、聞えあげ下されい」
 そう云うと、式台に膝まずいている二人のさむらいは、顔を見合わせたが、
「しばらく、お待ちを願う」
 一人が奥へ去った。
 供頭ともがしらの青侍は、ずいぶん待ったが、なかなか取次ぎの士が戻らぬので、心もとなさそうに周囲そここゝを見まわしたり、からだをゆすったりしていたが、やがて輿のわきへ行ってみすごしに、なにかさゝやいたりした。
 式台に居残った士は、手を膝に、ひじを張って、無表情むひょうじょうな顔をよそおった。
 輿の従者たちは、みんな不安な面持ちで、供頭ともがしらをとりまいた。そしてひそひそ話しあった。
 かなり待ちくたびれたとき、遠侍の土間から、下部しもべが、供頭のためらしい洗足せんそくの水だらいを運んできた。と、取次ぎの士が、玄関へ戻って、
「どうぞ、お上りー」
 と、いった。
 供頭は、輿わきの従者を、すこし待てというように手で制して、まず自分が洗足をすましてから、あるじを輿からおろした。
 濃い群青ぐんじょう羅物うすものへ、朝顔の花を白銀しろがねいろに抜き模様した唐衣からぎぬ。下は、水色うすもの、は、白生絹しろすゞしに銀の波をおどらし、被衣かつぎをぬぐと、うばたまの黒髪が、たわゝにゆれた。
 弁内侍は、たおれそうであった。供がしらの老本由有おいもとよしありが、それをたすけて、みちびかれた。
 失った恋にやせおとろえながらも、なおあきらめかねて、一の望みをたどりつゝ、やっとこゝまでたどりついた内侍は、客殿のうちの一室に案内された。
「お目もじ、かのうであろうか?」
 かぼそい声で、内侍がいうと、由有よしありは、
「お案じあそばすな」
 と、なぐさめた。
 だが、うれわしげな溜息ためいきがもれた。
 こがれわずらった美姫びきおもざしは、ものにたとえようもないほどに凄艶せいえんだった。案内したさむらいは、一種のまぶしさを感じて眼をふせた。そして不思議な肌ざむさをおぼえた。
(こうもあでやかな※(「クサカンムリ/(月+曷)」)じょうろうを──殿は木か、石かのように──)
 さむらいが、心のなかでかこちながらさがると、内侍は、たよたよと体をまげて、支えるにさえ堪えがたそうに、上半身の重みをようやく手でさゝえながら、ふるびすゝけた格天井ごうてんじょうを見るともなしに見上げた。燭の灯は、天井てんじょうの隅々へまでとゞくほど明るくなかった。内侍の心はますます暗くなりまさった。
(身うちにあるかぎりの力を、ふるいたゝせて、こゝまでは──こゝまでは来たものゝ──)
 たとえて云うなら、わたるに舟のない、離れ小島に捨てられて、その荒ら磯に歎きつゝ、怒れるなみのさかまき狂う大海原おゝうなばらでへだてられた陸地をば、たゞひたすらにあこがれる人のように、かぎりもなく悲惨な気持にさいなまれるのであった。
「のう由有よしあり
「は」
「そなたならば、いくたび繰り返そうと、聞いてたもるであろう?」
「はい」
 由有は、日野家の雑掌ざっしょうだった。
「もそっと、近う寄りゃ」
「承わりまする」
「かけまくもありがたき思召おぼしめしの、もれた折のうれしさが、おゝきかっただけ悲しさが遣瀬やるせないぞや。あのお歌を、知った刹那せつなの切なさ、苦しさは、まのあたり我が玉の緒が絶えきれて、たちまち五体が逆さまに、奈落ならくの底へおちるような──」
「おゝ、内侍さま!」
「のう! 忝けない重ねての御諚さえ、かいなしとあれば、いかに辛かろうと諦めるよりないことながら、こばまるれば拒まるゝほど、うたてや胸のほのおはもえさかる。思いきろうと、あせる気持は泪となっても、あやしい光りをきらめかす想いの火は、消えるどころか、泪は油──油をそえたほのおの熱さ!」
「おゝ、御道理でござりまする!」
由有よしあり──。わらわは、その火に焼かれて焦げて、死ぬよりせんはないとおもうぞや。これほどに恋う楠の殿が、あだし女子おなごちぎらせらるゝを、どうまあ生きて見ておれようぞえ!」
「おことわり! もうもうてこでも、お身動たじろぎなされますな。この館から金輪際こんりんざい、はなれぬというお覚悟で──」
 由有は、はげました。しかし、動かぬ、離れとうないと云ったとて、追い出されたら何としょう? そう思うと内侍は、また今さらのように泣けて来た。
 涙で、ともし灯が曇った。
 檜扇ひおうぎをすてゝ、内侍は唐衣からぎぬの群青の袖に、白い顔を埋めた。
 由有は、すかすように、
「おあねぎみ北の方の仰せには、水分館みくまりやかたの御後室は、賢婦賢母のきこえあるお方ゆえ、内侍さまのお父上、俊基朝臣としもとあそんと、楠家との昔のよしみをたてにして、まげても割りなくおすがりあそばさば、かならずしくはなされますまい、との事でござりました」
 そういったとき、廊に足音がした。由有は声を落して、
「正行の殿の、お頑固かたくなも、あるいは御母堂のお肝煎きもいりで──」
 と、あわたゞしく云いさしたまゝ、そばから離れた。そして固唾かたずをのんだ。
 だが、由有の期待は、がらりはずれた。あらわれたのは、さっきの士より軽い身柄みがらの数人が、食物を盛ったうつわを、高坏たかつきと、それから曲物まげものにのせて持ってきたのであった。
「お空腹すきばらにおわそう。なんの風情ふぜいとてもござりませぬが──」
 高坏は、内侍の前に、そして曲物は供頭ともがしらの前にすえられた。

 正行は、狩衣かりぎぬ烏帽子えぼしもぬぎ、小袖に、掻巻かいまきをはおって、脇息きょうそくにもたれていた。
 頬づえの手くびにも、指の先のふれている※(「需+頁」)こめかみにも、きわだって痩せがみえた。蒼白な顔には、さびしげな陰影が、ともし灯のためにくまどられていた。
 居室は、附書院つけしょいんを思いきり大きくとり、入側へ一間半ほども、せり出させて、そのために出来たくぼみ所に、机と書架を置くようになっていた。畳が高麗こうらいべりので敷きつめられたことゝ、床の懸軸かけじく※(「木+眉」)なげし扁額へんがくとが別のものであることゝを除ければ、この室のすべてがみな、亡父正成からの伝承でんしょうであった。だから、壁にはひゞがいり、天井はいうまでもなく、板戸も、襖も、黒ずんでいたし、側床わきどこの棚がいくぶんかはゆがみ、先代の在世当時から、本箱の内に外に、本棚の上に下に、あるいは壁のわきに、つみ重ねられたまゝになって、虫干しや掃除されても元の位置はほとんど変えられずにいる、おびたゞしい書物が、かなり黴臭かびくさい紙のにおいを、室一ぱいに──廊下にまでたゞよわせていた。
 そこは、戸外からの見かけは、ちょっと泉殿いずみどのに似た構築だった。というのは、水分川みくまりがわの水をあげた池にのぞんでいたし、背後には築山つきやまを負っていたし、渡り廊下で母屋に通じてもいたからである。だが内部は、まったく枯淡こたんな造作で、自然木しぜんぼくとあまりちがわぬ木材と、壁ばかり、ともいえそうな粗朴そぼくさだった。机と書棚以外には、調度らしい調度は一つも置いてなかった。
 居間の奥には、寝室があった。居間は次ぎの間につづいていて、入側はかぎについていた。この建物のうちには、今、正行のほかに誰れもいないのであった。だから深い寂莫じゃくまくをかすかにやぶるのはたゞ、正行自身の引く息、吐く息だけだった。
 正行は、しばらくの間、おのが呼吸を聞いていたらしかったが、やがて頬づえをって、拇指おやゆびと人差指で左の手頸てくびをはさんだ。
 自脈じみゃくを、うかゞったのである。
 脈は、思ったよりなおはやかった。
 右手が、ひたいをおさえてみた。それから襟へ、ふところへ、腋窩わきのしたへ、指先がとゞいた。
 一文字の、濃い眉が、ひそんだ。
(いつもの微熱びねつが、今夜は高い。──吉野から並足なみあしの馬で、山路といっても、やゝけわしいのは水越峠みずこしとうげひとつ。それで疲れるとは!)
 脇毛わきげがべっとり、汗にぬれていた。
寝汗ねあせのみか、さめていても──)
 厚い掻巻かいまきをまとっているのだから、初夏とはいえ、相当な温気うんきに、汗ばむのもさしておかしくもないのだが、病いが病いだけに、ひどく神経がたかぶる。
(少納言入道ほどの医師が、およその死期について予測よそくの、つかない筈はなかろう。それを言おうとしないのは──)
 そう考え始めたとき、渡り廊下から聞えて来る足音が、思案しあんの糸を他事よそごとに、もつれさせた。
 石掬丸いしきくまるが、入側へあらわれた。鹿路平ろくろだいらでの負傷は重かったが、もはやすっかり治っていた。しかし※(「需+頁」)こめかみから頬へ三寸ほど、なまなましい傷痕きずあとが残って、その時の奮闘を物語るのだった。
 正行から先に、
掬丸きくまる──」
 と、いった。石掬丸は、しきいぎわに膝まずいて、
賓客まろうどが、待ちあぐんでおわすに、──成らせられい」
「いや」
「しかし、ともあれ──」
先刻さっき、いうたではないか、わしは逢わぬと」
「それは承わりました。なれど──」
助氏すけうじに、まかせた筈じゃ」
「それが、老巧ろうこうな助氏どのも、持てあましましてな、殿に、所詮しょせん一度は、お顔出しを願うほかない、と申しておられまする」
「わしが逢うては、なお悪い。断じて逢わん。助氏に、そう申せ」
「しからば、殿には、どうあっても──」
「くどい。そう申せ」
「は」
 石掬丸は、廊へ去った。
 正行も心のうちでは、
(助氏とて、困るだろう)
 と、思ったが、ほかに智慧ちえもうかばなかった。──和田助氏わだすけうじは、湊川みなとがわで陣没した和泉守いずみのかみ正遠まさとおすえの弟で、その母は、正成の叔母だった。がんらい和田の家は、楠にとって第一の重臣というよりは、むしろ同族関係であった。つまり家来筋けらいすじではないのである。ちょうど用件があったため、和泉いずみ岸和田きしわだの屋敷から出かけて来て、滞在していたのだった。で、正行からいうと、亡父の従弟いとこではあり、建武以来の宿将しゅくしょうや老臣たちが死に絶えた今日では、四十歳をいくつも越えていなくても、随一の長老ちょうろうに相違なかった。ほかに神宮寺の正房が、千早の城にいたが、和田と神宮寺では、太郎兵衛正房まさふさがいかに湊川の生紀念いきがたみでも、同列どころか、やはり主従関係の方に近かった。
(だが、困っても仕方がない)
 正行は、どうにかして助氏が、厄介千万な押し掛け客を、どこか一間に寝かしつけるであろう、夜さえ明けたら、有無うむをいわせず帰らすだろう、と、あくまで邪慳じゃけんに考えようとした。
 すると、妙なことには、できるだけ苛酷かこくになろうと思えば思うほど、その努力が、あべこべの結果をうんでゆくのだった。
 石掬丸いしきくまるが、最初に内侍ないしの見えたことを告げに来たときは、驚きはしたがまず腹がたった、二度目に来たときは、追払い方を助氏にたくさせて、自分では自分のことだけを、すぐに考えることが出来た。ところが、今度はそうは行かなかった。
不治ふじの病いとはいうものゝ、養生次第、労咳ろうがいの人でも、五十歳、六十歳まで生きられぬことはないと、円性医師が──)
 と、おのが体のことを、考えようとしたが、頭のなかに、すでに内侍が入っていた。
(吉野から、後追って来たからには──)

 手燭てしょくをもった侍童をさきに立てゝ、和田助氏が、石掬丸いしきくまると一緒に入って来た。
「館──。手をあげ申した」
「おむずかりか?」
「さよう。──事面倒ことめんどうじゃ」
「なんと?」
「吉野川のふちへ、身を投げる──」
「といわれるのか?」
「と、おっしゃいます」
「困ったの」
「まことにな」
「どう致す?」
「いかゞなされる?」
「なにか和殿わどの智慧ちえは?」
「ござらん。こればかりはな」
「智慧までゝなくとも、すべはないか、術は?」
「あるほどならば、こゝへは参りませぬ」
「母上に、なんぞ御分別ごふんべつはあるまいかの?」
 こうじ果てゝ、正行がそういうと、
生憎あいにくと、御後室はお外出でましじゃ」
 と、助氏が答えた。
「なに、おわさぬ?」
「おゝかた新屋敷でもござろうかと存じて、人をりましたところ、お見えにならぬとのこと」
「ほう。では、観心寺かんしんじか」
「あるいは、東条とうじょうかも知れませぬ」
「東条? ではなかろう」
 正行は、そうは云ったものゝ、ふとある懸念けねんがわいた。で、観心寺であってほしいと思った。正当忌しょうとうき繰上げの話をしたから、それで行かれたとすれば、格別かくべつのことはないけれど、もし寺でなくて東条の城だとすると──? 日ごろ、足を向けられたこともない東条へ、今夜──?
「御後室にも、よい御分別ごふんべつのありようがない」
 と、助氏が云った。
「なにか、思案しあんが──」
 と、正行がつぶやいた、なにしろ内侍のことは、当面の急なのである。
「館──。みずからお逢いなされて、御裁量ごさいりょうとげらるるほかは、ござるまいな」
「いや。わしが逢っては、悩乱のうらんをつのらすだけだ。和殿わどのから、しかと断りを言うて貰って、あとは成行きにまかそうぞ」
「なら、御自身、仰せられい」
「いや」
 たちまち正行に、困ったという面差おもざしが消えて、決意がまなこにひらめいた。
「わしは可厭いやじゃ」

 和田助氏は、こゝでもまた手を焼いた、というよりもにわかに、異様な不気味さを感じて、おもての館へ戻って行った。正行の決断の表情に気圧けおされたことよりも、その顔のいろの、なんともいえぬ蒼白さに、怖れをおぼえたからであった。
 ひとりになると、正行はふたゝび、脇息きょうそくに寄りかゝって、じっとり汗ばんだ前額まえびたいへ、てのひらをおしあてた。ひゃっこい皮膚の下面したつらの肉には、依然、厭な熱ぼったさがあった。脈膊みゃくはくの速いことは、じっとしていてもわかった。
(母上は、なんで東条へ?──)
 吉野から帰って、開戦のことゝ法要繰上ほうようくりあげを母に告げた今日の今夜だ。来年の正当忌しょうとうきをこの五月にいとなむということは、それに一言半句を加えずとも、たゞそれだけで、万事を説明している。たけしくはあっても、さすがに女性、母は正行の生命の半年でも一年でも長からんことをねがっている。そうでなければ今宵、虎夜叉とらやしゃのもとへ行くはずがない。たしかに母は──
(虎夜叉に、加勢をお頼みにちがいない)
 そんな具合ぐあいに考えているうちに、いつの間にか、尼僧のころものような感じの後室の小袖が、頭のなかで、心の眼の先で、色彩いろどりきらびやかな五衣と唐衣からぎぬとにおきかえられていた。そして後室の、さゝやかな切り髪──すでにやゝ霜をまじえ、光沢のうせてしまった頭髪は、内侍のさながら蠱惑まどわし陽炎かげろいたゝせるかと思われるような黒髪に変って、あやしくもかぐわしい肌のぬくもりの籠った蘭奢らんじゃの薫りが、嗅覚きゅうかくによみがえった。
 かぐわしい、ときめき! それは千本上の日野の館で──対屋の庭先で、はじめて内侍と言葉をかわした時に、おぼえずも正行がひきつけられたかおりだった。
 巫山ふざんの夢をはらむまゆずみ、なめらかな白肌。情けの泉を秘むる双眸ほうぼうあかい唇。
 人の世の悦楽えつらくの、しるしのような、その姿態したい
(ちえっ!)
 おそいかゝる、それらの記憶を、正行は払いのけるためにもがいた。
 だが、末梢まっしょうの感覚を、そうした記憶の方へ、と同時に、現に今わが邸内にある内侍の方へ、引きずってゆくものゝ力は、意外にもなんと強かったことだろう?
(えゝおろか!)
 いぶかりつゝ自分をいきどおる、声なき叫びをほとばしらせて、しとねを起ったのである。
 掻巻かいまきの裾を、畳にひきながら、正行は、室のなかをあちこちと歩いた。やがて、歩いている間に、その漠然ばくぜんとした視野しやのうちへ、ふいっと入ってきたのは、
   天理人欲交戦機てんりじんよくこうせんき
 という七文字であった。
 眸は、鉄片が磁石じしゃくにひかれるように、床の壁にかゝった掛軸かけじくの上に吸いよせられた。亡父正成の荘重そうちょうにして雄渾ゆうこん筆蹟ひっせきだった。天理人欲交戦機の七宇は、「朱子語類鈔鐸しゅしごるいしょうしゃく」の中の文字であった。
「おゝ、人欲じんよく、人欲!」
 おもわずも叫んで、正行は眼をとじ、
はこれ天理てんりはこれ人欲じんよく。是はすなわち守って失うことなかれ。非は即ち去ってとゞむることなかれ」
「朱子語類」の一節を、口ずさんだのである。そして静かにしとねへ戻って、脇息きょうそくにもたれた。



四つのくび

(どうにか、始末をつけたのだろう)
 何ともいって来ないから、たぶん助氏がほどよくあしらったものと、正行は思った。
(早く睡って、疲労をいやそう」
 明日は一族、宗徒むねとの家臣が、こぞって集まる。きっと虎夜叉が──素直には出まい。彼れのことだ、大風呂敷おゝぶろしきをひろげて悠々と論じるかも知れぬし、あるいは無手勝流むてかつりゅうに、おもてもふらず端的たんてきに、まっしぐらに迫ってくるか、とにかく、ちょっと端倪たんげいができん。が、手こずらすことだけは明らかだ。多ぜいの中には、煙にまかれるものもあろうし、感心させられるものもあろう。だから自分は骨が折れる。早く睡りについて、明日にそなえよう。母上とても、明日は厄介な母者はゝじゃびとかもしれぬ。
 ──と、そう思いつゝ、寝室の臥褥ふしどのなかで、睡りをいそいだ。
 けれども、目は冴えきっていた。
(内侍は、ほんとうに死ぬかしら?)
 吉野で、准后館じゅんこうやかたで、女人のひとりや二人、たとい悲恋に死なすとも、それにこだわるような自分ではないといったようにおぼえている。しかも、内侍の家とは姻戚いんせきの四条大納言の前で、そういったのだ。だが──
(死ぬかも知れん)
 吉野川の淵へ、身を沈めるかもしれぬ。俊基朝臣としもとあそんのこした姫が、あわれはかなく──
「誰れか?」
 と、正行はつぶやいた。廊下に幾人かの足音がしたのである。
 襖の外で、
やかた──」
 助氏の声であった。
 正行は、枕から頭を、やゝもたげて、
「また参ったのか」
「東条より、虎夜叉とらやしゃどのが参じられた」
「おゝ、正儀まさのりが」
「只今これへ。御後室にもともども」
 その時、虎夜叉の声がきこえた。
「兄のとの。正儀に申し条がござる。臥所ふしどを出でさしめ」

 虎夜叉は、暗い入側の遣戸やりとを、二三枚、繰りあけた。濡縁ぬれえんごしに、庭から月明りがさした。池のおもては、さやかに光り、青葉から微風そよかぜが、さわさわと渡ってきた。
 助氏が、ついてきた侍童に、
「ともし。」
 と、いった。
 手燭てしょくの火が、燭台しょくだいに移された。
 助氏は、自分で次の間から円座えんざをはこんで、居間の正行のしとねと向き合った場所に、後室のために座をもうけた。だが、後室はまだ姿をみせなかった。それに、おかしいのは、助氏が円座を二つ持ってきたことだった。虎夜叉はそれを敷かずに坐った。助氏は、敷けとも云わなかった。そして自分は、虎夜叉の後ろわきに坐ったのである。侍童が、次の間へさがった。
 寝室から、正行が現われた。
 白綸子しろりんずの寝間着のうえに、掻巻かいまきをまとっていた。
 居間のしとねにすわると、咳が出てきた。正行はうつむいて、やゝ少時しばし、苦しそうにそれを続けた。虎夜叉が、一礼して、
「おせきが──いけませぬの」
 案じ顔をあげて、そういったけれども、兄は答えなかった。
「それがしがもとへ、母者びとが見えられて──」
 と、あとを云わずに、じいっと見まもると、正行はやはり無言のまゝながめ返した。
 その沈黙がなお継続けいぞくしているうちに、静やかな、女らしい足音が、近づいて、後室久子ひさこの方が居間へ入ってきた時、
(あっ!)
 ぎくりとなった正行であった。母の背後から、よろよろと、内侍がよろめきつゝ現われようとは、まるで思いがけなかったからである。
 群青ぐんじょうに銀朝顔の唐衣からぎぬのそでが、ゆらいで、まろぶがように、恋人の膝へ、
「正行の──との!」
 人目も、羞耻もなんのその、わが身をわすれて、
「もし!」
 と、ひたすがりに、
無慈悲むじひ、無慈悲! おうらめしゅうございまする!」
 言葉のすえが泣くにとけ、れんれんと泪は白絖しろぬめのように頬をつたって、思わずもい抱くにも似た形になった正行の手へ、ながれ落ちた。
 後室が、おもむろに坐って、
「おうらみは、ことわりじゃ、お道理じゃ。委細いさいは内侍さまより、お物語りがあった。のう館、木目もくめかたいは楠木の本性もちまえとはいえ、勿体ない御諚ごじょうまでも頂きながら──おん身のように酷いのは人の情けにもとる。みずからも種蒔いておいて、刈りとらぬとは、そりゃお卑怯ひきょうじゃ」
 と、とがめるようにいうと、
「たれが種蒔いた。母上」
 正行は、青ざめたかおで、
「なにをむごいとおっしゃる?」
「まあ、たれがとは──おん身ともおぼえぬお言葉じゃぞえ。──みずから内侍さまに想いをかけ──」
「いや」
 と、さえぎって、
恋慕れんぼなど、いたしたおぼえはござらぬぞ」
 きっぱり云った正行は、その語気ごきとはそぐわぬようにふるえる手で、内侍を膝からおしへだてゝ、
「やよ内侍どの。申すべきことは、すでに吉野において、申し尽した。今、繰返したとて、せんはなし」
 まともに深く、ひとみを見入って、
畏怖おそれをもかえりみずに御諚をさえも、いなみ奉った正行でござる。いかに──いかにかこち、なげかるゝとも、なんでこの心、ひるがえしましょうぞ。縁なきは、宿世すくせのさだめごとゝ、おあきらめ下されい」
「諦めらるゝほどならば、慕うてこゝまで、此方こなたまで、参りはいたしませぬ。のう左衛門督さえもんのかみの殿──おこゝろ動かずば──」
「内侍どの!」
「わらわは命すてまする!」
「────」
「死にまする!」
「死なばとて、わが心は不動、鉄石──何条なんじょうゆるごう。ひとたび干戈かんか、北に向えば、いくばくも存生ぞんじょうせぬ正行でござる」
「戦場にむかうとき、生きて還るをのぞまぬは、武将のつねとやら承わりまする。討死あそばすお覚悟と、わらわが願いをかなえてたまわることゝは、ならび立たぬでございましょうか? 殿」
 正行が、目をそらしたので、内侍はすゝりあげた。
 そのとき、虎夜叉が、
「ならび立たぬ事柄ことがらではござらぬ」
 と、言葉をはさんだ。

「兄上──。決死は兵家へいか、武臣にとっては、格別かくべつのことでもござるまい。戦場の死ということにかゝずらっては、乱世の武士に婚姻こんいんはできぬはずじゃ。つまめとらばとて、心がら次第、あえて死に後れようとも存ぜぬに、御思案ごしあんがせますぎる」
 そう虎夜叉がいうと、後室も、
「正儀の申すことに、のう館、いまの言葉に、あやまりはないと思いますぞや」
 と、口をそえて、
「朝敵征伐のいくさとても、首将しゅしょう生死いきしにを、たゞ一戦にけるような、存亡一のたいせつな日は、そうそう急にはまいりますまい。かりそめな、名もない戦さとは事ちがい、湊川の弔合戦とむらいがっせんとあらば、天下の人目をみはらせましょうに、十二分の支度がのうてはかないませぬぞえ。かりちぎりを、いかで結ばんと、館はまれたけれど、その支度のひまにも重ねうるちぎりが、なんで仮の契りであろう。わたしは早う初孫ういまごの顔みたい」
「兄の殿──。母者びとは初孫を、早く見たいとおっしゃる。──忠とともに孝、孝とともに情知る人となられませ」
「虎夜叉、おぬしの申し条とは、それか?」
「いやいや。今宵の推参すいさん──余の儀にあらず」
 と、正儀は、膝をすゝめて、
「父上の十三回忌御法要ごほうようを、来月の御命日にいとなまるゝ趣き、まことに心得がたい」
 長兄の視線を、がっちりと受けとめ、
「開戦の勅許ちょっきょありたればとて、速戦して決をあせるは、せつの拙なるもの、敵を知らず、おのれを知らざること、甚だしいと考えまする。よって、正当忌しょうとうきお繰上げは、たしかに無用の儀と存ずるゆえ、断じておいさめつかまつる」
 正行の、やゝけわしくなった眼に、陰欝いんうつくまがかゝった。
 しずんだ声音こわねで、
おのれを知ればこそ、速戦そくせんの決をいそぐのだ」
 青白い腕が、白綸子しろりんずの胸でくまれた。
 虎夜叉が、
「いそぐべき理由いわれ、あらば承わろう」
 と、いった。そして答えを待った。
 しかし、兄がだまっているので、
「承わろう」
 と、くり返した。
 だが、沈黙は破れなかった。正行は、どこまでも自分の病いを、秘めたいと思った。
「仰せられい」
「────」
「兄者──」
「────」
「では、虎夜叉が言葉お聞きあれ。──敵を知らずと申したは、待たば京都で、人の和が、破綻はたんせんこと必定なるがゆえでござる。尊氏たかうじは、先帝後醍醐ごだいごの院が、鳳輦ほうれんに召して亀山かめやま離宮りきゅうに入らせたまうと夢みたと、夢窓むそう禅師から告げられて、おのれもまた、先帝が金竜こんりゅうしたまいつゝ、嵐山の川畔かわべりを、逍遙しょうようしおわしますのを夢にみた。それ以来、心はすくみ、気はえばんで、もはや昔の覇気はきは、いずこへやら、消えて失せたにもかゝわらず、師直もろなお師泰もろやす兄弟を、たよりもしかばいもする心だけは、あいも変わらずじゃ。されば、師直らが傍若無人ぼうじゃくぶじんは、ますますつのるばかり。それを憎しとおもう上杉、畠山のやからは、尊氏への面当つらあてもあれば、また各※(二の字点)打算ださんからでもござろうが、直義たゞよし直冬たゞふゆをかつぎあげておりまする。対立は、まさに五分と五分。いずれへか、なにか一つ拍車はくしゃがかゝらば、たちまち乱れる。攻める。ふせぐ」
「虎夜叉──。それしきの事、おぬしから聞かずともじゃ」
「いやいや。それがしでなくば、確的かくてきには申せぬことでござるぞ」
「癖が出た」
「いや。この虎夜叉なればこそ、言いうることじゃ」
高言こうげんをはくな!」
「きわめて内輪うちわに、申しておる。足利幕府の内情に関するかぎり、それがしのいうことは、信じられてよい理由、確乎かっこたる根拠こんきょをもっておりまするぞ。兄者、己を知らずとも申したが、これはそれがしでなくとも、いや誰れでも容易たやすく言いうることでござろう。即ち、征西宮せいせいのみやを奉ずる五条勘解由次官じょうかげゆじかんと、筑後ちくごの菊池どのゝ画策かくさく、みのらんとして、いまだみのらず──」
「やめい」
「申す。東も、霊山りょうぜんの準備最中──」
「えゝ親房卿から聞きかされた」
「すくなくも、大和川やまとがわ淀川よどがわの川尻から、兵庫ひょうごまでを、まもるに足る船の数が、そろう日を──」
「待てぬ。待てぬ」
「待つべきでござる」
「正儀っ!」
ほこをひそめ、馬を休めて、お美しき内侍へ、お心くつろげて──」
「えゝ何を! おのが好みを引きのべて、不埒ふらちなこと申すな」
「不埒とは、心得ず」
 虎夜叉が、微笑びしょうしたので、
「うすら笑ったな!」
 と、正行は、眼にけわしさを加えた。
 だが虎夜叉は、ほゝえみをおさめずに、
「これこそ、よくない癖でござる」
愚弄ぐろうするかっ」
 正行は、しとねを立った。そして、後室へ、
「母上──。気色きしょくがすぐれませぬ。御免ごめんあれ、内侍どのにも、許されい」
 と、会釈えしゃくして、寝室へ戻るつもりで、足をはこびかけた時、はっとして、おもわず立ちどまった。
 胸の深部しんぶに、なにかしら異状を──無気味ぶきみな圧迫に似たものを、感じたのであった。

(はて?)
 正行が、手を胸にあてたとき、
「わっ!」
 と、内侍はこらえかねて、泣きくずれた。
 和田助氏が、
「館──」
 たなごころをあげて、呼びとめた。そして、
乙殿おとどののお口には、とげもあろう。しかし七じょう錯落さくらくとして、ふれざるところなしでござるぞ」
 と、いった。
「兄上──」
 虎夜叉も、呼んだ。
しとねへ、もどらせられい」
 だが、正行は、後ろを見せたまゝで、
「正儀! 床にかゝった文字を、改めて読め」
朱子しゅし鉄縛かなしばりから、のがれしめよ」
「朱子は、人倫道義じんりんどうぎ鉄則てっそく。一歩たりとも、わしは、ふみえようとは思わぬ」
「しかれども小路しょうろに、の物事ありて引著いんちゃくせられ、知らず、おぼえず、走って小路に従い去り──」
 と、虎夜叉は『語類ごるい』から引用したが、たちまちそれにからめて、
大路たいろを行くべきを、兄上は、お忘れになったことがある」
「なに?」
 正行は、ぐるりふり向き直った。
「わしが何時いつ、どこで?」
鹿路ろくろはらで──」
「おゝ!」
「大君のおんために、足利あしかゞを討つべき、その重責にある身を思わず、竜在峠たつありとうげこえて将監しょうげんを追われた」
「む!」
「吉野朝武臣の旗がしらが、矢板某やいたなにがしの刃に、もし斃れなば、それこそ不忠不臣、あわれ不孝、不肖ふしょう
「あゝ、それ云うな! 正行の不覚ふかくじゃ」
「よしんば剣に、入神にゅうしんわざあればとて、名将かならずしも、いなむしろ剣戟けんげきの雄であってはならない。鼠賊そぞくを追わすには人があろう。自ら危きをおかすは、大きなあやまり──。その誤りに兄上を走らせたは、何か?」
「む!」
「すなわち、弁内侍への、つよき恋ごころ」
「────」
「さ、恋慕れんぼのおぼえ、なしなどと、兄者はなぜにおかくしあるか? なぜ没義道もぎどうに、内侍どのゝお情けをこばまるゝか?」
 そう畳みかけられては、正行もきゅうした。返辞に困ったのである。
「いざ、その訳は?」
「────」
 いやしがたい病いとは、母にも弟にも告げたくなかった。──それと知ったなら、虎夜叉は、出陣などは烏滸おこの沙汰だ、寝衾ふすまかぶって臥褥ふしどから、一歩も出るな、というかも知れぬ。そう言いはられては、いよいよ面倒だ。しかし告げなくては、理詰めの頭に、納得なっとくはさせ得まい。が、告げたらたちまち、知れわたる。郎党ろうとう卒伍そつご、百姓のすべてが知らば、士気、民心にもかゝわるだろう。
(明かすべきではない)
 正行は、そう考えたので、
「弟。──わしは体熱たいねつがたかぶって来た。風邪かぜを、こじらしたらしい。かしらも痛むし、いやな寒気さむけがする」
 と、いった。
 虎夜叉が、じいっと見て、
「お顔色が、わるいと思った」
 と、眉をひそめた。
 正行は
「話は、明日あすだ」
 そう、いゝすてゝ、寝室へ入って行った。
 その後ろ姿を、ながめる虎夜叉の、頭のなかを、ふと凶々まが/\しいものがかすめた。
 まだすゝり泣きをつゞけていた内侍へ、後室こうしつが、
「明朝のことに──」
 と、さゝやいた。

 後室こうしつは、内侍ないしをいたわりながら、廊をわたって行った。
 虎夜叉は、廊の中途で、助氏に、
「一言、いゝ忘れたことがある」
 そういって、足をとめた。そして侍童じどうに、
手燭てしょくを」
 と、手を出した。
やかたに?」
 助氏が訊くと、うなずいて、あかしを受取った。
「では、お先に」
 助氏と侍童は、虎夜叉をのこして母屋おもやへ去った。
 だが、しばらく虎夜叉は動かなかった。
(なぜ、宿直とのいを遠ざけておられるのだろう? 悪寒おかんをおぼえて、つむりが痛むくらい熱が、おありなのに?)
 ──もともと次郎兄や自分とは、体の出来が、違っていた。それをはげしすぎる鍛錬。──蒲柳ほりゅうしつが、気魄と鍛錬のおかげで、あれまでになられた、とも思えたが、やはり──正成の嫡男ちゃくなんという気持ちにとらわれたがための、過激な錬磨が、ついに──そうだ、体をこわしかけたのだ。しかし、どの程度に?
 そう考えたとき、またも、さっきの凶々まが/\しさが、心に戻った。胸騒ぎがしてきた。
せき。いやな咳!)
 ──あるいは?
 虎夜叉の鼓動こどうは、たかまった。
不吉ふきつ予感よかんでなければよいが!)
 そろそろと廊下を、離れ屋に近づいて、入側から、居間のあか障子しょうじのそばまで、静かに歩いて行ったとき、
(──?)
 刹那せつなに、(あっ!)と、感じた。
 叫びとも、うめきとも、うなり声とも太息といきとも判断のつかぬひと声が、寝室からもれたのである。虎夜叉は、はげしい切迫せっぱくをおぼえて、
「兄上っ!」
 と、呼びながら、ふすまへ走った。だが、こたえはなくて、疑いもないうめきごえが聞えたので、引く手もあわたゞしく、入口の襖をあけて、寝所へ片足いれかけたが、その瞬間に、ぐさりと、刃物はもので刺されたかのように、内部の光景にうたれたのであった。
「あゝっ!」
 血、血、鮮血せんけつ
 おぼろな紙行燈かみあんどんの灯かげでも、みまごうべくもない鮮紅くれないの血が、白綸子しろりんず寝間衣ねまきの、襟から袖をべっとり染めて──正行は、仰向けに臥褥ねどこと畳に、半がかりに倒れていた。喰いしばった口からは、どす黒いねばった後血あとちが、はみ出て、頬へも、あごへも、臥褥ねどこの上へもたれていた。
兄者あにじゃつ!」
 かけよって、のぞき込むと、まるで死人のようなかおの、眼だけがまず動いて、それから血みどろな口が動いた。
「騒ぐな」
「おゝ!」
「おぬしだけか?」
「はい。誰れも──」
労咳ろうがい咯血かっけつじゃ」
「労咳!」
 虎夜叉は、嗟歎さたんしたが、すぐ、
「お苦しくは?」
「ない。──紙」
「あ、お静かに」
 懐紙で、虎夜叉は、兄の口のはしをぬぐった。紙の上へ、正行が、黒赤い血痰けったんを、ぺっと両三度はいた。
「もうよい。らくになった」
「いや、仰向けのまゝ、じっとお身体を、兄者、動いてはお悪かろう」
 かつておぼえない感情が、心一ぱいにぐるぐると旋回せんかいして、もの事に狼狽うろたえることのない虎夜叉も、異常な亢奮へ没入ぼつにゅうせずにはいられなかった。常には油をたたえたような深潭しんたんも、暴風雨あらしにあえば波立ちもする。ふたゝび紙で、くちびるのあたりをふいてやる正儀の指の先が、かすかにふるえた。やゝかすれた声で、
「労咳の咯血は、はい臓腑ぞうふの、血管ちくだの破れからと聞きまする。二度目の咯血が来なければよいが!」
 と、いうと、正行は仰臥あおねのまゝで、
「当分は来ないだろう。円性先生がそう云われた」
「おゝ、吉野の典薬頭てんやくのかみが──?」
「ひそかにてもらった。一回や二回の咯血かっけつでは、死なぬという。わしは、病いではたおれん。戦って死ぬのだ」
「兄者!」
「虎夜叉!」
「戦われよ!」
「む!」
「己れを知って戦いをいそぐお心──」
 目がしらが熱くなるのを感じつゝ、
「お察し申すぞ!」
 と、虎夜叉が云った。そして自分の手を、兄の手へ重ねて、おもわずしっかりと握りしめるのだった。
「わかったか?」
「すべて!」
 内侍をこばんだのも、病いを亢進こうしんさせたくないからであったか、と思うと、虎夜叉は悲壮を感じた。正成の長男として、桜井駅さくらいのえき受訓者じゅくんしゃとして、たといどうあろうと、病いの臥褥とこでは死ねない兄なのである。そう考えた時、一度も経験したことのない熱涙が、あふれ落ちた。そして戦いをいそぐことをとする理窟が、兄への深酷しんこくな同情のまえに、低く頭をたれた。
「うがいの水をくれ」
 ひどい貧血ひんけつにもかゝわらず、精神はれつれつと、さかんなる意気で、ふるい起つのを感じている正行であった。咯血かっけつの量は、おびたゞしかった。だが来るべきところへ来たという、一種の落ちつきが、不惜身命ふじゃくしんみょうのひたむきな心を、朝敵と戦うことにもっぱらならしめたのであった。
 虎夜叉が、次ぎの間へ、うがいのうつわをとりに立った時、正行はまなこをつぶった。
 と、閉じられた目のさきに、現われたのは四つの首であった。
 並んだその四つの首は、尊氏たかうじの首と、直義たゞよしの首と、それから師直もろなおのそれと、もう一つは、正行まさつら自身の首であった。



とがめちょう軽からず

「暑い、暑い」
 直冬たゞふゆは、びっしょりぬれた狩衣かりぎぬをぬいで、敷妙しきたえから、手拭いを受取って、流れる汗をふいた。
直垂ひたゝれになされますか?」
 扇で、風をおくりながら、敷妙が云った。
「うむ。だが少し涼まぬことにはな」
「ほんに、どういたした暑さなのでございましょう」
戸外そとは、やけるようじゃ。路に、犬がたおれていた。人死にもありそうな日照りだ」
日蔭ひかげにいてさへ、息がつまりそうでございまする」
「生れて初めてじゃ」
 肌着はだぎの胸をはだけて、直冬は、どっかり坐って、
「湊川の戦さの日も、無上むしょうに暑かったというが、わしはあの頃、武蔵むさし東勝寺とうしょうじにおったので、それに小児こどもごころ、一向おぼえてはいないが、こんな日だったかも知れぬて」
「わたくしにもおぼえはございませぬけれど、関東と上方かみがたでは、暑さが異っておったのかも知れませぬ」
 敷妙がそういった時、直冬が、
「一向ておらんぞ」
 と、唐突に云ったので、
「──?」
 敷妙は、眼で訊き返すと、
「叔父上にも、北の方にも──」
「まあ、さようでございまするか!」
 さも、ぎょっとしたらしく、仰山ぎょうさんに云った愛妾へ、
「うまれたお子が、男と聞いた時──深くは気にかくべきことではないと、思いながらも、やはりひやりと心が寒気さむけ立ったが、親にぬ子の顔を、いま見てまいった。──どうにも厭な気鬱きうつがとれぬ」
「お道理でございます。せめて、ひいさまが、おうまれあそばせば、あのことも──お笑い話にもなったでございましょうに!」
「そうじゃよ。──まったく、おかしなことになってしまった。ないものと思っていたお子がもうかり、お夫妻ふたりとも四十歳をされての初子ういごが、男子とあれば、こんなめでたい儀はない筈じゃ、それを喜べぬというのは、のう。叔父上は、来て見ようともなさらぬ」
「あら! ではあの、左武衛さぶえさまは、若君をまだ、御覧あそばさぬのでございまするか?」
「そりゃ、御無理ないぞ、大塔宮だいとうのみやの御外戚、峰の僧正の生れ変わりというお子ではな」
 直冬は、重苦しい憂欝ゆううつへ、沈んで行った。その横顔を、敷妙が、じいっと眺めた。
 きのう──六月八日の午刻うまのこくに、足利副将軍直義たゞよしの北の方が、男の児を無事に産みおとした。産室は、二条京極の吉良邸きらてい──北の方の実家にあった。伏見院からはその日、院使を賜わって、御剣ぎょけんをくだされた。副将軍の初児はつごというのだから、源氏の一門、譜代外様ふだいとざまの諸大名は、いずれも黙ってはいられない。高師直をいたゞく、反直義党の人々までが、あるいは太刀、鎧、あるいは金銀、綾羅りょうらの類を、祝儀に運んだ。で、吉良邸は、ごったかえした。直冬もいま、お祝いに行ってきたのだった。
「でも、それでは北の方さまが──」
 敷妙は、うつくしい顔を、暑さのために上気じょうきさせて、なめらかな肌に汗をたらたら流しながらも、扇の手をやすめずに、直冬をあおぎつゞけていた。
「お可哀かわいそうではございませぬか?」
「だが叔父上は、六本杉の怪異かいいには、お気をくさらせきってござる。昨夜お訪ねした折なぞ、ほとんど恐怖きょうふにおびえておられたと云ってよいくらいだ。世の中には恐ろしいこともあるものだと、そうおっしゃった時の、お顔つきといったら、こちらが怖いようであったぞ」
「まあ!」
 敷妙は、あおぐ手をとめて、無気味そうにつぶやいた。
「お眼のいろが、なんとなく、くるおしいように光ったのだ」
「あれもう! わたくしは恐ろしゅうございまする」
 と、敷妙は、身をふるわせるのであった。
 ちょうどその時、使番つかいばんが、入側にひざまずいた。
「は、只今、副将軍館より、火急かきゅう、お出ましあられたしと、おん申越しでござりまするが、いかゞ御返辞ごへんじ?」
 直冬は、やゝ不安げに、
「火急と申したな?」
「はい」
「さっそく参上と答えよ」

 副将軍直義の、三条坊門館では、六けんの客殿の三方を開けはらって、上座には、直義。脇座わきざには、上杉、畠山。下座には、粟飯原あいばら下総しもおさ斎藤さいとう五郎左衛門入道などというごく腹心ふくしんの小名連が坐っていた。なにしろ気違いじみた暑さなので、密閉みっぺいした室で相談することは、どうにも我慢が出来そうもなかった。だが、非常な機密に関する評議ひょうぎであったから、むしろ客殿の広間ならば、最も凌ぎよいと同時に、秘密のもれる怖れも却ってあるまいと思われた。そこで密議みつぎが、館じゅうで一番広濶こうくわつな場所で、行われたのだった。むろん、要所要所には、見張りが立っていて、人を近づけなかったから、密議といっても、普通とあまり違わない音声おんせいで話すことが出来た。酷烈こくれつな暑気のために、神経がひどくにぶったせいも、いくぶん手伝ったのかも知れぬが、ほとんど異議いぎなしで話が、とんとん運んだ。いわば評議の体裁ていさいをなさなかったのである。まるで、すでに定った事柄について、ほんの一通り語りあったようなものだった。密議の題目だいもくについて話し合った言葉の数よりも、きょうの暑さに関して驚いたり、のろったり、たんじたりした言葉の方が多かった。それほど暑くもあったが、とにかく一座の気持は、まことによく一致していた。
 直冬の見えた時は、だから、はやくも評議がまとまって、皆が、衣服を汗で濡れしおたらせながらも、そして苦しげにあえぎながらも、一大事をいよいよ決行するという意気で、互いに鼓舞こぶしあっていた。
 副将軍が、
「ほかでもないが──」
 と、いった。直冬は、一座の顔ぶれから、すぐさとって、
こうどのが、どうかされましたか?」
 と、訊くと、
「明日、こゝへ、師直もろなおが来る」
「ほう、めずらしいことで」
「ついぞないことだ」
「楠への対策たいさくに関してゞござろうかな?」
「そうじゃ」
「お招きなされたのか?」
「いや。先方から」
 と、副将軍が云った。
 直冬は、さすが師直は豪物えらぶつだ、と思った。いかに平素は横暴でも、いざという場合には、べきことはする。先月二十五日に、河内かわち観心寺かんしんじで、楠正成の十三回忌が、来年の正当しょうとうをくりあげていとなまれた。これは誰れが見ても楠一族が、異常な覚悟で、戦いを準備している証拠しょうこだった。楠が単独たんどくで事をあげる筈はないから、河泉かせんの兵が起つときは、諸国の吉野方が並び動くものと、考えなくてはならない。とすれば、幕府ばくふにとってもまさしく非常時だ。こうが、副将軍の意見を訊きに、自分で出掛けて来るというのは、理窟からは当然でも、内輪うちわもめが昂じて、いつ、どんなことのないとも限らぬ昨今の情態では、師直ほどの剛胆ごうたんさがなければ、出来ない。そう直冬は、感じたのであった。
「絶好の機会じゃということに、今──」
「叔父上、なにがでござります?」
「まあ、聞け。今、相談が決ったところだ。五郎左入道も粟飯原あいばらも、腕力では人に負けない。両人を合わせたら何十人力じゃ。この両人を組み手にして、左右から師直の双手もろての自由を、うばうのを合図に、完戸安芸ひろとあきが、抜く手もみせずにこうを浴びせる。若党、中間ちゅうげんどもは、遠侍か大庭おゝにわかにおる。中門の唐垣からがきうちへついて来るのは四五人ゆえ、押しへだって斬りふせる」
「ひょんなこと。思いも寄らぬ」
 と、直冬が手をふった。
「なに? おぬしは不賛ふさんか?」
「申すまでもなし」
「それはおかしい」
 副将軍は、汗をぬぐいつゝ、眉根まゆねを寄せた。
おかしいのは叔父上、あなたの御心裡じゃ」
なことを云うぞ、幕府の癌腫がんしゅは、あの師直だと、申したのは誰れだ?」
「この直冬でござる。療治りょうじの致しようがないから、癌腫だと申した」
 わきから、上杉重能しげよしが、
竹若たけわかどの」
 と、直冬を呼んで、
「その癌腫を、下御所しもごしょが御療治なさろうとおっしゃるのだ」
 そういうと、直冬は、
ってのほか。荒療治は、腫物はれものを悪くつのらすのみでござろう」
 と、答えて、
「叔父上の、御分別ごふんべつとも存ぜず」
 むき直られて、
「荒療治ほかじゅつなかろう。わしとしては、母の生家、上杉が、師直のために滅びるのを、とても傍観ぼうかんは出来ぬからな」
 副将軍が、そういった時、畠山直宗なおむねが口をいれた。
「直冬の殿は、寵妾おもいものをねらわれておると、申しますぞ」
 それには返辞をせずに、
「高一族の全勢力を、一挙にくつがえすことが可能なら、なにも癌腫がんしゅなどとは申しませぬ。たとい、師直殿をほふったとて、一万の兵をもつ師泰もろやす師冬もろふゆ師秋もろあきがのこっては、どうなると思召おぼしめす? 師直、亡くば、形勢が変わると仰せあるかも知れませぬが、勢いをつくるものは人であっても、また同時に、人をつくるものは勢いでござります。かならずや師直殿に代って高一族の力を、指揮する人が出て、下御所しもごしょと上杉殿を打倒すべく闘いましょう。さあ、その場合の御成算ごせいさんがあるか?」
 暑そうに、ほっと一息ひといきいれてから、
若年じゃくねんのそれがし、口幅くちはゞひろすぎるようにはござれど、高一族は、済々多士せい/\たしじゃ。上杉畠山両殿りょうとのの武力を、けっしてあなどろうといたす竹若たけわかではござらぬが、将の数、兵の量において、及びがたいは論ないこと。のみならず、南方が微々びゝとして屏息へいそくするときならば、ともかくも、十二年の間、ねりに錬った精鋭をひっさげて、強敵、楠はこのあき、決然と戦いをいどんでくることは明らかだ。そうした際に、われわれがかき※(「門/兒」)せめぎ合うことは、何を意味するか?」
 直冬は、ぐるりと一座を見まわした眼を、叔父の顔でとめて、
「それがしごときに、教えらるゝような叔父上ではおわさぬはずながら、昨日の、御出産以来、ちとお心が、みだれたかに、お見あげ申す」
「黙れっ」
 と、副将軍は、思わず叫んだ。
 日ごろは、このおいに対しては、丁寧ていねいすぎるぐらいの叔父だったが、まさしく甥がいゝあてたとおり、昨日から心の平衡へいこうが、俄然、失われたのである。
 六本杉の怪異は、峰の僧正春雅しゅんがが男子となって北の方の腹から産れ出たことを、予言した。副将軍直義も昨日までは、男か女か、わかるものかと、ある程度までは多寡たかをくゝっていたのであったが、午刻うまのこくに男の子が分娩ふんべんされて、しかも自分にすこしもていない、と聞いた刹那のおどろきは、あぶなく昏倒こんとうしそうだった。一夜で懐胎みごもらせた、去年の九月一日のことを、怪異が知っていたことも、断じて偶然の一致や、いゝ加減な暗合あんごうではなかったと、そう思うと、体じゅうが粟立あわだった。そして、もう一つ悪いことには、先月の十七日の宵に、馬が一疋、この邸へ表門から走り入って、吐血とけつして斃れたのを、卜筮うらなわせたところが、大変なきょうとあったことが、今や新らしい恐怖となって、大塔宮の御怨霊ごおんりょうにむすびつけられた。
 決して人一倍の迷信家というわけでもなかったが、護良もりなが親王みこをあやめまいらせたという心の苛責かしゃくは、直義に、いとも困難な女犯戒にょぽんかいを誓わせもしたし、八万四千基の利生りしょうの石塔をもつくらせた。
 だから、昨日から今日にかけての稀有けうな暑さまでが、一つの凶兆きょうちょうであるかのように思われて、気が顛倒てんとうしていたのだ。
「直冬っ、おぬしは恩知らずだ」
「御恩をおもえばこそ、おいさめいたす」
「なにおっ!」
 眼が、凄くきらめいた。
 直冬は、
 (これは困ったことに──)
 そう、感じながら、
「お軽はずみは、あくまでおおさえ申すぞ」
 と、いった。その時、
「竹若どのっ!」と、上杉が叫んだ。

 征夷大将軍、源氏の長者、正二位大納言だいなごんという、武臣としては極位にのぼっている尊氏たかうじは、気にいりの侍童、饗庭あえば命鶴丸みょうずるまるに、書物を読ませていた。
 そこは、土御門つちみかど東洞院御所ひがしとういんごしょとよばれる、将軍の居館の一間だった。
 読ませているのは、つい近ごろ、世の中に流布るふされたばかりの、「太平記たいへいき巻二十一」であった。
 著者はたゞ、小島法師とばかりで、何処どこの、誰れか解らなかったが、数年前から、こつねんと出現して、読書人の驚異と讃嘆の坩堝るつぼをたぎらせた。そして巻を重ねるにつれて、だんだん広く世にもてはやされた。吉野朝よしのちょうの側に立って書かれてはいたが、持明院統へも、足利へも、ことさらな反感は含まれていなかった。事実にはあまたの誤りはあっても、その流麗な文章が、読むものを魅惑みわくしたのだった。
 日盛りの殺人的な暑熱が、雷も鳴らず、夕立ゆうだちも来ないのに、不思議にも急にどこへか行ってしまって、夏もおわりらしい入道雲が、にょきにょき西の空にわきたった。そしてむしろ涼しいほどの夜のとばりがおりた。尊氏は、居間先の濡縁ぬれえんへ、あかりをはこばせ、柱にもたれくつろぎながら、新らしい写本しゃほん「巻二十一」を読む命鶴丸の声に、耳をかたむけているのであった。
 だが、寵童ちょうどうが、
「──『先帝せんてい崩御ほうぎょこと』──」
 と、読んだ時、
「待て、おつる
 そうさゝえとめて、尊氏は居ずまいを正した。そして、
「読め」
 と、いった。命鶴丸は、
「──『南朝の年号延元えんげん四年八月九日より』──」そう読み始めて、「『委細いさい綸言りんげんを遺されて、左の御手おんて──』」というところまで行ったとき、ふたゝび、
「待て!」
「────」
 尊氏は、改めてえりを正して、両手をついて、うやうやしく、頭を垂れた。
「読め」
 ぬかずいたまゝ云った。
「『左の御手に、法華経ほけきょうの五の巻を持たせ給ひ、右の御手には御剣をあんじて、八月十六日のうしこくに、遂に崩御ほうぎょなりにけり。悲しいかな北辰ほくしん位高くして、百官星の如くにつらなると雖も、九泉の旅の路には、供奉くぶ仕る臣一人もなし。奈何いかんせん、南山の地僻ちさがりにして、万卒雲の如くに集ると雖も、無常の敵の来るをば、ふせぎ止むる兵さらになし。たゞ中流に船をくつがえして一の浪に漂い、暗夜にともしび消えて五こうの雨に向ふが如し。葬礼の御事かねて遺勅ありしかば、御終焉ごしゅうえんの御形を改めず、棺郭かんかくを厚くし御座を正しうして、吉野山の麓、蔵王堂ざおうどううしとらなる林の奥に、円丘えんきゅうを高くいて、北向きたむきに葬り奉る。寂寞たる空山くうざんうち、鳥啼き日すでに暮れぬ。土墳どふん数尺の草、一径涙尽きて愁ひいまだ尽きず。旧臣后妃こうひく泣く鼎湖ていこの雲を瞻望せんぼうして、うらみを天辺の月にそへ、覇陵はりょうの風に夙夜しくやして、わかれを夢裡むりの花に慕ふ。あわれなりし御事なり。天下久しく乱に向ふ』──」
「待て! 待て!」
 尊氏は、声をふるわせた。明らかに泣いていたのである。
 やっともたげた顔には、なみだしずくが、がけを映した。命鶴が、
「続けましょうか?」
 と、きいた。
少時しばし、待て」
 尊氏は、瞑目めいもくした。
 源氏の嫡流らしい端麗な輪廓りんかくだけは、容貌から消える訳はなかったけれど、かつては寛濶おゝどかのうちに覇気はき果断かだんとがつゝまれ、俊敏な理性を悠々たる情緒じょうちょでやわらげているといったような、いわば円満そのものにも近かったかおの肉づけは、いまや陰惨な痛々しい面相めんそうに、場所をゆずらねばならなくなっていた。つまり暗澹あんたんとした表情が、昔の明朗さに取って代わったのである。
 後醍醐のみかどがおかくれになったのは、尊氏の三十四歳のときだった。それからは、ちょうど一年に二つずつも歳老としとったかのように、十年目の今年、四十三歳の尊氏は、初老しょろうに入ったばかりなのに五十歳を、とっくに越したらしくさえ見えた。
 眼をつぶったなりで、
「一径涙尽なみだつきて、うれひ未だ尽きず」
 と、尊氏が、いま聞きとった文章の一句を、低く口ずさんだ。
 青ざめた頬を、泪の流れがった。
 しばらくして、
「はやくも十年!」
 今さらのように呟かずにはおれなかった。呟くと、まなこをみひらいて、
「お鶴──。この間、河内かわちで、正成どのゝ年忌法要ほうようがあったそうじゃ。──楠は、湊川で討死したとき、四十三歳であった。ちょうど今年の、わしの年齢としじゃ」
 かぎりなく寂しげな声色こわねであった。



攀慕はんぼ愁腸しゅうちょう

 命鶴丸みょうづるまるが、読みつゞけた。
「『──先帝程の聖主神武の君は、いまおわしまさゞりしかば、なにとなくとも、聖徳一たび開けて、拝趨忠功はいすうちゅうこうのぞみを達せぬ事はあらじと、人皆たのみをなしけるが、君の崩御なりぬるを見進みまいらせて、今は御裳濯河みもすそがわながれの末も絶えはて、築波山つくばやまの陰に寄る人もなくて、天下皆魔魅まみ掌握しょうあくに落つる世にならんずらんと、あぢきなくおぼえければ──』」
少時しばし
 尊氏は、入側いりがわへ目をやった。
 そこには、御台みだい登子なりこの方が膝まずいていた。
「何か?」
「あの──たゞいま、竹若たけわかどのより使いの者が参じました。お目もじかないましょうか?」
「竹若から、使い?」
「はい。なにやら、容易よういならぬことを、聞えあげねばならぬと申しまする」
「みだい。お身は、会えとわしにいうのか?」
下御所しもごしょで、一大事が、起りかけておると申しまするものを」
誰人たれか、使いは?」
「竹若どの秘蔵のてかけとやら、敷妙しきたえと申すおなごでございまする」
「わしは、会いたくない」
 そう云いすてゝ、命鶴丸へ、
「続けい」
「は」
 だが、躊躇ためらうあいだに、登子なりこの方が、
「もし。こうの執事どのに、かゝわったことらしゅうございますけれど──」
 といったが、尊氏は、再びかえりみようともしないで、
「いやじゃ。彼等のいさかいに、かゝずらう気になれぬのだ」
かみ──」
「────」
 尊氏は、直衣なおしの袖を、うるさいという言葉がわりに、後ろへ払った。
 御台は、うれわしげなおもざしで、起った。
 この登子なりこの方は、北条ほうじょう十代最後の執権、守時もりときの妹で、尊氏にとついで千寿王丸義詮よしあきらと、光王丸基氏もとうじの二子をもうけていた。北条のむすめに生れて足利のしつとなったのだから、武家の女性としては、この上もない名流にちがいなかった。元弘げんこうの末、みかどのお味方に、尊氏が馳せさんじたとき、わずか四歳の千寿王丸を擁して鎌倉かまくらを、攻めなければならなかったのは、登子としては世にも悲痛な事柄だった。わが夫のために、わが父と兄とを攻め殺した事は、若かりし心にいやしがたい痛傷いたでをおわせた。しかも登子にそれほどに大きな犠牲を払わせた夫尊氏の勤王は、薬師堂谷やくしどうがやつの夜嵐が狂おしくも大塔の灯を吹きけしたことを偶機きっかけに、まるで空から落ちるように、帝への叛逆はんぎゃくとなった。帝が南山なんざんに神去りましてから、夫の心が暗くなればなるほど、この妻の心の陰影いんえいもまた濃さをました。登子にとって、この世は決して楽しいものではなかった。けれども登子は、彼女の遠い祖先が生んだ政子まさこ(北条時政ときまさの女、源頼朝よりともの室)に、かなりかよったところのある女であった。明眸めいぼうの才媛で、良き妻であった点、政治的にも才幹さいかんがめぐまれていた点など。いやそればかりでなく、嫉妬しっと深かった点までが、よく似ていた。政子がそうであったように、登子もまた夫が他の女を愛すことを、かたくこばんだ。彼女は自分が、夫の愛を、独占するに充分な資格をもっていると信じた。だから尊氏は、竹若という子まで産ませた愛妾、朝日局あさひのつぼねを追わねばならなかった。そして庶長子である竹若をも、東勝寺の喝食かつじきにするというような、すこぶる邪慳な仕打ちをしてみせる必要にせまられた。だが登子は、そうした情痴じょうちのわずらいにおいてだけは、彼女の偉大な先人せんじん政子まさこよりも幸福だったといえる。なぜなら、頼朝よりともは生涯、いろんな女のことで政子を悩ました。ところが尊氏は、先帝への恐懼からすっかり気がえむすぼれた。
いさかいなどに、こだわるのは厭じゃとおっしゃる。自分で裁量さいりょうするほかあるまい)
 そう、思いながら御台みだいは、敷妙しきたえの待っている室へ、もどって行った。
(心にそまぬ竹若どのではあるけれど、どうした風向きの変わりやら、いつになくこう執事しつじのためをおもっての使いらしいが──)

海山うみやまもたゞならぬ御恩をくだされた、下御所しもごしょさまのおん身に、もしものことがあってはと──」
「これ、敷妙しきたえ
 と、御台みだいがさえぎった。
なことを申すぞや。そもじの主人あるじ、直冬は、下御所には恩を着たけれど、御所ごしょの恩は蒙らぬといわぬばかり!」
「あれまあ、御台みだいさま。御所さまは、おん血をおけくださいましたまことのお父君、わが館とてなんでお疎略そりゃくに思われましょう」
 敷妙は、こゝぞとばかりに、わざとじつちゝという言葉に力をこめた。その効目きゝめは、たちまち現われた。
「まあ! そなたは、故意ことさらにそのようなことを云いやるのか? わらわは継母まゝはゝじゃ。さぬ仲じゃ。その知れきったことをあてこすって!」
 御台は、師直もろなお暗殺あんさつの企みを聞くことが出来て、あゝよかったと思うと同時に、神経が不思議にいらだってきたのであった。
 いかに聡明でも、嫉妬しっとぶかい女の常として、時と場合で妙に物の感じかた、考えかたが、発作的ほっさてきに偏してくる。
「わらわは礼などは申さぬぞ。大それた陰謀もくろみを知って、それを告げるのは当然じゃ!」
 御台は、まだ三十五歳の若々しい声を、※(「ヤマイダレ/間」)かんだかくふるえさせた。
 登子の方の、感情のたかぶりを、心理的に解剖かいぼうするならば、なかなか複雑だ。──自分は、生家北条ほうじょうにえにしてまでつくした足利の家は、あくまでまもり、栄えさせなくてはならぬ。それがためには、いかに乱婬らんいんでも傲慢ごうまんでも、師直はなくてはかなわぬ人物だ。それを殺そうとする下御所は、憎い朝日局の腹からでた竹若を、ひどく愛しかばっている。竹若は秀才だ。末おそろしい器量人きりょうじんだ。源氏は由来ゆらい、兄弟喧嘩の家柄である。すると、自分が産んだ千寿王と光王丸にとっては、まことに気味のわるい庶兄あにだ。将来が案じられる。密告したのも、あるいは、遠大な腹黒さからかもしれぬ。
 かぞえ立てたら、きりがない。とにかく御台は、今夜はじめて逢った敷妙しきたえが、噂以上にも美しいことさえが気に入らなかった。
「わがやかたなぞと、北の方気取りは身のほど知らずじゃ。つゝしむがよい!」
「あれ、御台さまのお言葉ともおぼえませぬ。まこと、わが館ゆえ、わが館と申すのが無躾ぶしつけとは──」
「えゝもうあきれた女子おなごじゃ。帰れ!」
 御台は、青い顔で座をたった。
(思いどおり!)
 と、敷妙は心のなかで、ほくそえんだ。
 こうほくそえむまでの、敷妙の気持ちも、またずいぶん入りくんだ働きかたをしたのであった。
 まず、直冬が、三条坊門の下御所から戻って、いさめたが聴かれないから、不本意ふほんいでも密告すると云った時、敷妙は、せっかくそこまで運べたのに、残念至極──と、ひそかに歯がみをしたが、密告をさえぎる手段はなかった。しかし、あの六本杉の贋怪異にせかいいが、こうも大きな魔力をふるうものかと、驚かれるにつけても、東条の虎夜叉とらやしゃが、
御怨霊ごおんりょうが、男子となって生れることにした方が、凄味すごみがある。間違って、女子が生れたにしても、懐胎かいたいの夜を云いあてゝおるから、ひとたび根をおろした恐怖が、そう容易やす/\と消えるわけはない。で、もし的中して男子が分娩ぶんべんされた場合、どれほど直義が恐れ、おのゝくか。一時は、気も変になるだろう。こりゃどうしても、予言よげんしておいて、男子が産れた時の凄さをねらわずばなるまい」
 そう、伽羅作きゃらさくにむかって云ったことが、思い出された。敷妙は、密告するなら、自分が将軍御所へ使いに行こうと考えて、許しを得たのであった。ころんでもたゞは起きないという覚悟だった。

小座敷こざしきをともせ」
 と、尊氏がいった。
 命鶴丸は、対屋たいのやとは別棟の小書院しょうしょいんに、ともし灯を入れてもどった。
 尊氏は、鬱々うつ/\と歩みを運んだ。命鶴は、あるじの気持をおしはかって、ついては行かずにろうにとゞまった。夏もけた六月九日の月が、赤銅しゃくどういろに中空でかゞやいていた。その焦げたような色には、きょうのひつじこく過ぎまでつゞいた酷烈な暑さがしのばれたけれど、しっとりとぬれた夜露よつゆの庭ははやくも秋がおとずれたかのように感じられた。月あかりを浴びている樹々のむらは、どれもこれも緑がすでに疲れたように黒ずんでいた。夏草はもう大方おゝかた、花をしぼませて、萩や、月見草がそれに代ろうとしている閑寂なにわのすがたであった。
 小書院は、ちりひとつないように、清掃されていた。濡縁ぬれえん入側いりがわにかこまれた小さな座敷には、※(「糸+間」)うんかんべり厚畳あつだたみを敷きつめてあった。床と脇棚わきだなは、築山と植樹でしきられた小苑にのぞんで南面していた。座敷うちにも入側にも、一つも調度品が置いてなかった。というのは、こゝは尊氏にとって特別な場所であったからだ。
 たゞ床にじく一幅いっぷく、棚に観世音菩薩の小形の金銅像こんどうぞう一基。
 懸軸かけじくには尊氏の自筆で、
  ひそかにかえりみるに微質の鷹揚ようよう
  先皇せんこう鴻漸こうぜんに起る
  温柔おんじゅう叡旨えいし
  耳底じていに留る
  攀慕はんぼ愁腸しゅうちょう
  心端しんたんを尽し難し
  恩恵おんけい極みなく
  報謝ほうしゃ何ぞおろそかなる
 と、書かれてあった。
 ひそかに自分というものをふりかえってみると、一治部大輔じぶたゆうにすぎぬ微賤びせんな身をもって、建武維新の功の首勲しゅくんに賞され、御諱おんいみなの一字、たかを賜わって、雲上うんじょうにつらなることができたのは、ひとえにこれ先皇後醍醐帝ごだいごていの鴻大無辺の聖恩せいおんによるのである。禁裡きんり御座ぎょざちかきほとりにまでお召しをいたゞいて、和歌の御会やお歌合わせのお席をもけがし、かしこくも温かき、そして忝けなくも柔かき、おん言葉のかずかずは、かくある今もなお耳の底にふかくふかく刻まれ残っている。しかるに事は、心とゆきちがい、齟齬そごはついに大逆へ自分をおし落してしまった。あまつさえおそれおゝくも主上しゅじょうにおかせられては、南山雲白き彼方かなたかくれさせたまい、おんうつし身は永久とこしえに、北闕ほっけつに還らせたもう由もなし。ああ悲しきことよ、攀慕はんぼまいらする想いのみいたずらに募って、愁いは腸臓はらわたを断つようである。うらむらくは自分の心情は、いかなる表現によるも尽しがたいことだ。先帝の御恩恵は、実に極みないのである。おもえば、おろそかなことだ、あゝ、報謝し奉つることの、なんとおろそかなことであろう。
 じくに書かれてある文字の意味は、そうであった。
 尊氏は、小座敷のまん中に端座たんざして、この文字を、しばらく見入った。

 やがて直衣なおしの襟や、指貫さしぬきひだを正し、南の小苑こにわ、すなわち吉野の方へむかって、敬虔けいけんな面持ちでお辞儀をした。
 両手をついたまゝ、
「臣節をあやまった尊氏でござります。えてはならぬらちを踰えてしまった尊氏でござります。廃立はいりつの大逆をおかしました私でござりまする。今日は、炎天に身装みなりをくずしました為め、いまだ一度もおん詫び仕らなかった次第、恐懼きょうくにたえませぬ」
 さながら、おわしますがごとく、尊氏はうやうやしかった。
等持院とうじいん曼荼羅供まんだらぐを修めましたこと、南禅寺には千僧供養せんそうくようを行いましたること、洛西らくせい嵐山のふもと、保津川べりのおん聖跡に、天竜寺を、私のあらんかぎりの力を傾けまして、たゞたゞ御冥福ごめいふくを祈るために建立こんりゅういたし、これを勅願寺ちょくがんじとして証真常しょうしんじょうの一切経供養を相営みましたること、それらは御照覧ごしょうらんあらせられたとおりにござりまする」
 と、自らの報謝の業蹟ぎょうせきをならべたが、さらに言葉をつゞけて、
「さりながら、一たんおかしました私の大罪は、なにをもってしてもつぐないがたいのでござりまする。私もひとたびは、鎌倉の浄光明寺じょうこうみょうじにおいて、また再び目には尾道おのみちの浄土寺におきまして、落飾らくしょく遁世とんせいを志ざしましたものゝ、周囲の勢いが、つよく私をはばみ、腑甲斐ふがいなくも私は順逆を過ったのでござります。されど私が尾道で、仏門に入りましたにせよ、天下の武士どもはやはり武家政治を、再興仕ったであろうことは、疑うべくもごさりませぬ。この点におきましては、悲しくも尊氏一箇の力は、じつに微々びゝたるものにすぎませぬ。武家政治、幕府政治は、って来たるところ遠くして、根柢こんていろうとして抜くべからず、畢竟ひっきょうすれば武士土着どちゃく封建ほうけんの必然でござりました。廷喜えんぎ天暦てんりゃくの藤原氏全盛の公家政治によって、かもしいだされましたところの諸国、地方の形勢が、私の本家、頼朝よりともをしてついに幕府を開基かいきいたさせてより以来、源氏三代、北条十代の長い因襲いんしゅうは、あまねく天下の土に、田に畠に、山に川に、みおりまして、一旦には到底、得抜えぬけないのでござります。もとよりこのすめ御国みくには、一天万乗の大君の知ろし召すところ、政治もまた、おんしたしく知ろし召すべきは、理の当然でござりまする。不肖私も、率先、御親政に参じまいらせました。さりながら奈何いかんせん、のろわしくもゆがめられたる現実は、源氏の分家たる私を有無うむを云わせずいに強いまして、幕府のとばりのなかに押し据えたる顛末てんまつ、並びにその後の模様は、いま御照覧もあろうごとくにござりまする」
 息をらして、尊氏は、しばらくまなこをとじていたが、
「不正なる現実を、匡正きょうせいすべき力をいたがために、心うれわしくも順逆を踏みちがえましたる尊氏、死して限りなき罪をおん詫び仕るは、いとも易きことながら、それよりも命のかぎり生きて、生きてあるかぎり苦しみを続け、懺悔ざんげをつゞけ、御冥福のおんための報謝にいそしむが本義とこそ存じあげまする。──ひとたび絶たば再び続かず、ひとたびはらえば永く再び造らず、これ仏の懺悔ざんげの意なりと申しまする。日に悔いて懈怠けたいなければ、罪業ざいごうながく抜くべしとあるを、せめてもの頼みのともしびといたしまして、苦悩の暗夜やみを、尊氏は辿たどりつゞけまする」
 そう云い終わって、静かにぬかずいた。
 燭の灯が、淋しく、懺悔者ざんげしゃのやつれた顔へ、まばたいた。



干戈かんか動く

 はたが、白く幾流いくりゅうも、月の光で、黒いもりの前に浮きだしていた。
 侵入しんにゅう第一軍の大将、細川顕氏あきうじの本陣は、誉田ほんだ八幡社の境内けいだいに宿って、一夜明けたら、さらに前進することになっていた。
 ぬいだ腹巻はらまきを、草の上において、たてへ、脛当すねあて籠手こてを、枕にするつもりで重ねた兵が、
「このまゝ、寝てしまうには、もったいない月だのう」
 と、云った。石を枕にしていた兵が、
「すこし歩こうか」
 と、云いながら、起きた。
「む。お月見と洒落しゃれるかの。よかろう」
瓢箪ひょうたんに、枝豆えだまめが欲しいな」
贅沢ぜいたくいうなっ!」
 と、朋輩ほうばいの腹を枕に借用しゃくようしていた兵が、どなった。
「明日、富田林とんだばやしまで行けば、酒屋ぐらいあろうぞ。それ当てことに、飲んだ気でお月様をおがんで来い」
 と、明朝の朝食として渡された握り飯を、はやくも半分に割って、片方へかじりついた兵が、口をもぐもぐさせながら、ひとには何を云うのか解らぬように云った。
「や、食い意地の張った奴じゃ」
明朝あしたづら、おれは知らんぞ」
 二人は、やしろうらの森の下から、草原のみちへ出た。夜露よつゆのなかで、虫が、やかましいほど鳴いていた。あたりは、昼間のように明るかった。
「いゝ月だのう」
「十五夜じゃもの」
「月見る月は、この月の月か」
「あかるき月は仲秋ちゅうしゅうの月だ」
「なんじゃよ、それは」
「歌だ。しもの句だ」
「上のは?」
「ちょいとは出ないな。つけてくれ」
「よし。えゝと──もちつき、あゝ望の月、望の月」
「おいおい、自作じさくか? 人真似ではないのか?」
なし。自作じゃ」
「今年の十五夜に、河内かわちで逢おうとは、思わなかった」
「これが十五夜の、見納めかもしれん」
陰気いんきくさいを出さぬことだ」
「あそこに、水が光っている。なんという池かしら?」
「ありゃ池ではない、ほりだ。いや、お濠だ」
「濠? なら城か?」
け! あんなところに城があってみろ、こうはしておれんわい」
「大きにな」
「城のように見えても、じつはみさゝぎじゃ」
「みさゝぎ?」
ばちあたりめ! みさゝぎを知らんのか、みさゝぎを?」
「はての?」
応神おうじん天皇様の御陵ごりょうだ」
「あゝ、みさゝぎか。だが、えらい物知りじゃのう」
「さっき、殿にうかゞったのだ」
「殿に? 道理で!──だけど素晴しい御陵ごりょうじゃなあ」
「この辺は、御陵ばかりじゃ、おれはもう、みさゝぎにかけては、大したものだぞ。とんでもないつうの、また通の大通だいつうじゃ」
「ふうむ。話十分一としても相当なものだの」
度胆どぎもを引っこ抜いてやるぞ。ほれ、あの川原の、佐々木六角判官ほうがんどの御陣のうえに、黒うくまるっこく見える、あれが、えゝと、なんだっけな、えゝと──」
「こう、早く驚ろかしてくれ」
「はてな? 胴忘どうわすれしたかな」
「馬鹿めが」
「あ、わかった。允恭いんぎょう天皇さま御陵だ。そのすこし手前の森が、仲姫なかひめ皇后のみさゝぎだ」
「どなた様の、おきさきさまじゃ?」
「そんなことを知るものか。拙者は御陵専門せんもんじゃ。それからと──あの原っぱの向うの、赤松殿御陣と藤井寺ふじいでらの村の間に、やっぱりまるっこい岡が見えるだろう。周囲まわりのお濠の水もちょいと見えるだろう」
「む、見える、見える」
「あれが三韓征伐の、仲哀ちゅうあい天皇さまの御陵だ」
「へえゝ。だが三韓征伐は、神功じんぐう皇后だ」
「その、また向うの森が、えゝとその──むゝ、雄略ゆうりゃく天皇様のみさゝぎだ」
「ほう。みんな殿から、承わったのか?」
「知れたことよ。えゝ、それからと──」
「え? まだあるのか、まだ?」
「まだまだ。宇都宮うつのみや入道にゅうどうどのゝ旗差はたさものが立っているだろう、あそこに。あのうしろの小高いところが、ええとその、仁賢にんけん天皇の御陵だし、ちょうどのゝ陣所の裏が、日本武尊やまとたけるのみことの御陵だし、松田次郎左衛門どのゝ旗のうしろが、清寧せいねい天皇さまのみさゝぎだ」
「ひゃあ! 驚ろいたな!」
「そのまた東の、川っぷちに近い陣所、誰れのだっけ、目賀田めがたか、安保あんぼか、旗じるしがよく見えないけれど、あのそばの小山が、はてな──あゝそうだ、安閑あんかん天皇さまの御陵だ」
「ほう! 驚ろいたのう!」
「えゝと、それから──」
「あゝもう結構けっこうじゃ! 結構じゃ!」
「わはゝゝゝ! どうじゃ参ったか?」
「参った! 恐れ入った。なんのことはない、みさゝぎの御番ごばんに来たようなものだ」
「これさ、おれの物おぼえの達者たっしゃなところも、すこしは感心しろよ」
「いや、感心々々! そりゃそうと、ばかにかゞりが暗いじゃないか、どこの陣でも」
「お月様に顔負かおまけしたんじゃ」
「そりぁ顔負けもあろうが、一体にけちなのだ」
「相済んません、以後はきっと気をつけまする。だが何も、今晩あたり達筆たっぴつ篝火かゞりびを、くというはなかろうさ」
「念を入れて損はせん」
とくにもならん。考えても見さっしゃれだ、今日、楠兵が五六百、石川むこうの山根腰やまねごしを、こそこそと駆け抜けたときぁ、てっきり挾み討ちの寸法すんぽうと、思いきや当てことゝふんどし、向うがはずして、なんのことだ、飯盛山いゝもりやまをさして、ひた走りではないか。敵は、天王寺から八尾へ出た我が第二軍が、飯盛の城を攻めるものとばかり思いこんで、それでけに行ったのだ」
「おいおい、どうやらそれも、受売りらしいぞ」
「云うにゃ及ぶ。だが聞くがいゝ。敵はたゞもう籠城ろうじょうの一だ。東条の城は、われわれの殿顕氏あきうじさまの第一軍を引受けるし、飯盛の城では清氏きようじさまの第二軍をくい止める、という寸法なんだとさ」
「敵の腹のなかを、のぞいてきたようだな」
「そもそも昔から楠は、平場ひらばの戦に勝ったためしがないんだ」
「うそをつけ」
「うそなもんか。湊川みなとがわでも俺たちの卿律師定禅きょうりつしじょうぜんさまに、敗けている。われわれ細川兵の強さが、身にしみている」
「強かったのはわれわれの、親たちだろう」
「まぜっかえすなよ。とにかく籠城ろうじょうさ。こもったとなりぁ野方図のほうずもなく腰のすわる奴だ。楠はかたつむりの生れ替りだ」
「はゝゝうまいことをいうの。どこから仕入れた?」
「馬鹿にするな。これこそ自作じゃ。だが待てよ、何の話だったっけ?」
「えゝ?」
おまえがまぜっかえすもんだから、話の続きがになった」
「おい、冗談ではないぞ、篝火かゞりびけちだって話からだ」
 そういった時、
「やっ、あの音っ!」
 と、相手が叫んだ。
「おゝ、とき、鬨! 鬨の声だっ!」
 と、一人も棒立ちになった。
 どっとがった鬨の声は、まさしく誉田ほんだ八幡社のもりの方からひゞいた。
「と、と、と、鬨だ、敵だっ!」
「夜討ちだ、夜討ちだっ!」
 わあーっ、という声が、わめきが、続けざまに起って、それが、丘に、原に、森に、木霊こだまにひゞきわたった。

 仁賢帝にんけんてい御陵と日本武尊やまとたけるのみこと御陵との間、ちょうど宇都宮うつのみや隊の夜営地からも、長隊ちょうたいの陣からも見えない隘地あいちを、縦列じゅうれつで、将も、部将も、みな徒歩かちで粛々と通りぬけた楠勢であった。東条の城から、山伝いの間道かんどうを、強行軍で、小平尾こびらお填生はにうと進み、来目くるめ皇子の御墓のわきから、この隘地あいちにでたのだ。そして長、宇都宮の両隊へは目もくれずに、隘地から原へ出るとすぐ横列おうれつに展開して、薙刀なぎなたや、長巻ながまきや、太刀を、さやかな十五夜の月光にひらめかしつゝ、幅三町ほどの原を走り越え、敵の大将顕氏あきうじの本陣の宿やどった誉田ほんだもりへせまるが否や、わあーっ、わあーっ、と鬨をつくって夜営の場所へ、幕張りのなかへ、楯のかげへ、まるで猛獣のむれが餌食えじきをねらっておどりこむように、おそいかゝった。
 楠勢の将は、虎夜叉とらやしゃ正儀まさのりであった。部将は、香月こうずき権太、安西あんざい九八郎、生方うぶかた庄助、夜襲の奇兵五百は、すべて虎夜叉の手兵しゅへいだった。
顕氏あきうじのがすなっ! 定禅じょうぜんを斬れっ!」
 と、八幡社殿の鳥居の下で、正儀まさのりが叫ぶと、香月こうづきの兵が、おめきながら、禰宜ねぎの家へ乱入した。
「さわぐなっ!」
 と、陸奥守むつのかみ顕氏が、隣室へどなったが、自分もよろいを、肩にはかけたものゝ、上帯うわおびを締めるひまがないから、太刀がけない。籠手こてははめたけれど、脛当すねあては断念して、やいばを鞘から払った。
兄者あにじゃ! 逃げるほかないっ!」
 と、律師定禅りつしじょうぜんが云った。
 驍将ぎょうしょう、細川卿律師も、こう寝込みをおそわれては、あわてゝ闘う不利を感じたのだ。からくも小具足こぐそくだけつけて、よろいは捨てた。そして、長い太刀を押取おっとって、
「馬引けっ!」
 と、叫びつゝ庭へ、走り出た。
「馬、馬あ!」
 と、総師そうすいの顕氏も、素足にくつだけひっかけて、草摺くさずりなしの鎧で外へとび出て行った。
「律師定禅か、覚悟っ!」
 はやくも挺進ていしんしてきた兵が、薙刀なぎなたをふるったが、
推参すいさんっ!」
 律師の太刀が、月に光って、兵の腕が、長い得物えものと一所に地べたへ落ちた。
 半裸体の郎従が、くつわをとった馬の背へ、血刀ちがたなもったまゝとび乗って、
「兄者、はようっ!」
 と、定禅が呼ばわった時、抜身ぬきみの郎党十人ほどが、
「との! 両とのっ!」
 と、危急ききゅうを叫びつゝ駆けつけた。家のなかも外も、はげしいわめきと、足音と、衝撃しょうげきのひゞきと、よろけてぶっつかり、すべってころび、斬られて倒れ、うめきつゝ絶え入る、人と物のざわめきで埋められた。
 安西あんざい九八郎が、社殿の廻廊かいろうに突っ立った。
「そうれ、馬で逃ぐるぞっ!」
 森の中から、馬が二頭、顕氏あきうじ定禅じょうぜんを乗せて西へ走り出した。一かたまりの兵が、それをまもって、路のない原を、ちょう九郎左衞門の陣を目的めあてに駆けわたった。
「続けっ!」
 と、虎夜叉が、馬上で叫んだ。敵の馬を、うばったのである。すでに境内けいだいの乱闘は、さながら海嘯つなみの引いた跡のように静まっていた。そして、いわば大きな爼板まないたの上のなますでも見るように、武装ものゝぐまとう暇のなかった細川兵が、何百人も悲惨な死屍を横たえていた。
追撃ついげきっ!」
 と、生方うぶかた庄助が、兵をかえりみた。兵は、一気に敵の本営を潰乱かいらんさせて、いよいよ勇みたっていた。香月こうづきが、
「味方の死傷は、わずかだぞっ!」
 と、大きな声で鼓舞こぶした。
「わあ!」
 歓声かんせいがわいた。だがそのどよめきには、なお一倍の緊張きんちょうがこもっていた。細川兵の過半は、闘わずに四方の友陣へむかって逃散とうさんしたのであったが、追うとすれば、むろん、顕氏と定禅だった。目ざすは、ちょうの陣──宇都宮うつのみやの陣であった。香月こうずき生方うぶかた安西あんざい、そのほか重立った士が、みんな敵の遺棄いきした馬を利用した。虎夜叉が、むちをあげた。馬がいなゝいた。晃々こう/\と照りわたる月明の原を、武器とからだに雄々しく血ぬった東条の精兵が、将と部将をようしつゝ、疾風はやてのように猛然と、追撃にうつった。


 馬を、顕氏あきうじの馬へ、追いつかせて、
「兄者! 闇夜なら、命がなかった」
 と定禅じょうぜんが云った。
「楠は、今夜の将は誰か知ら?」
「わからん。誰れ一人、名乗なのりもあげん。ばかされたようじゃ」
「おぬしほどの豪傑も、あれではのう」
「出直すより、ござらん」
 長も、宇都宮も、松田も、総くずれだった。本陣一千の兵がついえたと聞いては、踏み止ってふせごうという者はなかった。佐々木も、赤松兄弟も、色をうしなって各自の陣をはらった。深夜の竹内街道は、たちまち兵で、なだれあふれた。たゝかって傷ついた兵が、闘わずに逃げて来たそつのなかにまじりあい、肩を貸してもらったり、かゝえてもらったり、押合い、ひしめき合い、馬のために路から田圃たんぼへ落されたり、はだしの足を踏まれたりして、今朝未明にってきた住吉すみよしへ、逆戻りの総退却をいそいだ。



瓜生野うりうの腥風せいふうすさぶ

 天王寺てんのうじの細川の軍営ぐんえいから、部将、小笠原おがさわら入道浄斎じょうさいが、法衣に小具足こぐそく、兵は十四五人、自分は馬上で、紀州街道へ出てきた。
 路は、雪が降ったように、霜で真っ白だった。あおい朝空の下に、阿部野あべのと、その先の大きな瓜生野うりうのが、白茶けてひろがっていた。茶臼山ちゃうすやま丘腹きゅうふくが、あざやかな紅葉をまとうていた時分は、この広野も、もっとふっくらと黄ばんで見えたのだが、もはやそこには晩秋が名残なごりなく冬景色ふゆげしきに、入替わられていた。痛いように澄んだ空気のなかで、呼吸いきが白くった。
 小笠原入道は、帝塚山てずかやま丘裾おかすそまでくると、馬をとめて、
「告げて参れ」
 と、云った時、丘の坂に、騎馬きばと兵が現われた。
「おゝ見えたぞ」
 と、駆け出そうとした兵をとゞめた。
 帝塚山てずかやまは、赤松信濃守範資しなのゝかみのりすけの陣所だった。
「や、筑前ちくぜんどのじゃ」
 範資の弟、筑前守貞範ちくぜんのかみさだのりが、坂から下りてきた。
「これはこれは。筑前守どの御自身にて」
 と、入道は、赤松貞範の馬側ばそくへ、自分の馬を近寄せた。
「わしらの身内みうちには、入道ほどの人物が見あたらぬでの」
「おれごとを、はゝゝゝ」
丁寧ていねいに越したことはなかろう、とも存じてな」
「いや、御尤も」
 入道は、貞範と馬を並べて、街道を南の方へ進んで行った。赤松の従兵も、二十人を出なかった。街道の右は、住吉浦すみよしうら磯馴松いそなれまつが、堺浦の浜まで延々とつゞいて、いだ海と、茶色の陸をかぎっていた。そして左は、住吉すみよしむらだった。民家が、路ばたに断続し、近在の百姓、物売り、旅人、修験者しゅげんじゃ、商人、荷車、牛、馬、手押し車などが路上に動いていて、関西近畿きんきにならびない要津ようしん堺港の近いことを思わせた。
 貞範さだのり入道にゅうどうは、やがて、さかいの街に入って、一ばん富裕ゆたかそうな通りへ曲って行った。街の両側には、大きな商人の店と、家が、ならんでいた。乗馬のとまったのは、唐土屋もろこしや伽羅作きゃらさくの店の前であった。

「ほゝう、あのような所に、お城を!」
 わざと、とぼけて、伽羅作きゃらさくは内心の驚きをおしかくすために、仰山ぎょうさんにいぶかってみせた。
「不思議におもうは無理もないが──」
 と、赤松貞範さだのりは、床柱とこばしらをかついだ上座から、附書院つけしょいんの前に坐った入道浄斎じょうさいへ目をやった。入道は心得て、
「のう唐土屋もろこしや大手筋おゝてすじとやらいうても商人あきうど、裕福でも町人のそなたにすれば、さぞ馬鹿らしいことゝ思うであろうが、武家大名に特別な利害なり、意地合いなりからはじく算盤そろばんでは、ぜひとも彼処かしこに堅固な城がいるのじゃ」
「へーえ。それはまた何故でござりまする?」
「訳か? それはこうじゃ」
 浄斎入道は、火鉢に手をかざした。唐土屋もろこしやの奥座敷は、ちいさな寺院の書院くらいには立派だった。四人ほど従士が並んだその下座しもざにすわっている伽羅作きゃらさくは、腹のなかで、
(さっそく、東条へげなくては──)
 と、思った。だが同時に、なんのために赤松の弟殿おとどのと、細川の老臣が、自ら突然出かけてきたのか? そう怪しみつゝ、入道を眺めた。
「唐土屋、そなたも勿論もちろん、知らぬはずもなかろうが、さんぬる八月十五日の夜、我等が殿、細川陸奥守むつのかみ殿、ならびにそれにおわす赤松の殿御兄弟は、御武運にめぐまれずして楠の奇計きけいにおち、不意の夜討ようちふせぐに術がなく、三千七百の侵入軍も、かるからぬ痛手いたでを蒙って退却のやむなきに至ったが、元弘以来、名誉のお家柄いえがら、おめおめと京へはもとより、御領国へも帰られず、天王寺の茶臼山ちゃうすやまと、住吉の帝塚山てずかやまに御陣構えあって、すでに二ヵ月、この冬は御陣中で年を越さねばならぬ、と申すのは、楠の、武備、兵力、さぐればさぐるほどあなどりがたく、容易には攻めがたいからじゃ。再三督促とくそくをかさねたものゝ、京都では、高の殿と、下御所のおん折合いが、面白うないために、山名時氏ときうじの殿の大軍も、さて何時いつ、京発か、見込みが立たぬでの、せっかく、飯盛城をかこんだ第二軍も引揚げさせて、いよいよ永陣ながじん、ということになれば城じゃ。この堺浦さかいうらから浪速なにわ川尻かわじりを、楠兵の手にゆだねたら、それこそ一大事だ。ついてはの──」
「もし」
 と、伽羅作が、
肝腎かんじんな、石と、材木を、どうなされまするか?」
 と、たずねた。小笠原入道は、
「それそれ、そのことじゃ。城造りに必要な石材せきざいと、木材もくざい。のう唐土屋、そなたの持ち船で、紀州から運んでは貰えまいか?」
 そう云ったが、伽羅作は答えなかった。
「どうじゃ?」
「────」
「この赤松からも、頼む」
 と、筑前守貞範さだのりが、商人に会釈えしゃくした。
「ひと肌、ぬいでくれまいか? かゝりに糸目いとめは、つけぬ」
「しがない町人へ、御歴々ごれき/\が、いかゞなされた儀でござりましょう。船にも、人にも、御不足があろうとも存じませぬ」
「いやいや、それに不足はないけれど──」
 と、入道が、
熊野くまのの海賊船が厄介やっかいじゃ。あれは吉野方の味方ゆえ、商人の船はおそわぬが、われわれの船なら見遁みのがしはせん。岸和田きしわだの、和田が兵船としめしあわせて、川尻から兵庫ひょうごまでも荒らし廻る。とても危うて、四国からも、播磨はりまからも、船をよう出せぬのじゃ」
 と、云った。
 阿波あわは細川の領国だったし、また播磨には赤松の所領しょりょうがあったのである。
唐土屋もろこしや──。赤松貞範が、頭を下ぐるぞ」
「あゝ恐れ入りまする」
わかってくれたか?」
「赤松の殿──。細川の御重役へも、申し上げまする。とう堺港さかいみなとには、船持ちの商人も数ござります。どうぞ餘人よじんに仰せつけ下さりまするよう──」
「なに?」
 と、入道が思わず叫んだ。
「は。私には、御用相勤あいつとまりかねまする」
「なんと?」
 貞範も、きっとなった。
「細川家、赤松家の御用命は、承わる訳に参りませぬ」
 伽羅作はおくせずに、きっぱり云って退けた。
「だまれ唐土屋もろこしやっ」
「おのれ楠に心寄するかっ」
 入道と貞範が、同時に膝を立てた。士の一人が、
「南朝方とあれば、容赦ようしゃ